スポーツニッポンのコラムに「十字路」というのが在るのだが、一昨日の記事の中に「ドルゲ事件」という印象深い用語が載っていた。太平洋戦争開戦前の日本を舞台にして起こった国際スパイ事件のゾルゲ事件ではなく、ドルゲ事件というのが今から33年前にTVの世界で起こったのだ。
1972年に始まった子供向け変身ヒーロー物で「超人バロム1」という番組が在った。当時、幼かった自分も夢中になって見ていた番組だった。正義の味方バロム1に対して、悪の組織のボスがドルゲという名前だったのだが、当時日本に住み、同じ名前を持った外国人の子供が学校で苛められているという抗議がテレビ局等に寄せられた為、「このドラマにでてくるドルゲはかくうのもので、じつざいのひとはかんけいありません。」というテロップが番組の最後に流される様になった。結局、このドルゲ事件が緒を引いたのか、番組自体は人気が高かったにも拘らず短期で終了してしまうのだが、こういった断り書きのテロップが使われた走りであった様に思う。
コラムでは、このドルゲ事件を取り上げた上で、最近目に付くテロップとして、温泉番組で多用される「撮影の為バスタオルを着用して入浴しています。」を挙げ、興醒めの感が強いとしている。又、ダイエット器具のテレホン・ショッピングで表示される「効果には個人差が在ります。」というテロップにも違和感を呈している。
現代のテレビマンが頭を抱えるのは、常識&良識の個人差だとし、ドルゲ事件のテロップはせめてもの誠意で在ったろうが、現代のテロップは怒られない為の方策としている。今後もこの様な注釈テロップは今後も増え続けるだろうとも書いている。
自分も全く同感である。一般常識で考えれば不必要とも思えるテロップが余りにも氾濫し過ぎていると思う。事の道理が未だ判らない子供達の為に出しているテロップだという事なのかもしれないが、そういった事は親を始めとした大人達が本来は教えるべきもの。どうにも変である。
又、バラエティー番組や情報系番組にもテロップは多用されている。聴覚障害者の為に使用されているのならばまだしも、そうとは思えない異常な多用ぶり。ましてや、バラエティー番組で、さもここが笑うべきポイントだ!という感じで使われるテロップの数々には、全く以って閉口してしまう。
一般常識を働かせる事も、笑いの感覚を働かせる事も、他者からの力を借りなければならないのか?何かおかしくはないか?
とは言え、授業参観中に携帯を大声で使って教師に注意され逆ギレする親や、ペット同伴可能な飲食店で出て来た濡れタオルで動物の御尻を平然と拭く飼い主が居る御時世。哀しいかな、注釈テロップがTV画面を埋め尽くすのは仕方ない事なのだろうか。
1972年に始まった子供向け変身ヒーロー物で「超人バロム1」という番組が在った。当時、幼かった自分も夢中になって見ていた番組だった。正義の味方バロム1に対して、悪の組織のボスがドルゲという名前だったのだが、当時日本に住み、同じ名前を持った外国人の子供が学校で苛められているという抗議がテレビ局等に寄せられた為、「このドラマにでてくるドルゲはかくうのもので、じつざいのひとはかんけいありません。」というテロップが番組の最後に流される様になった。結局、このドルゲ事件が緒を引いたのか、番組自体は人気が高かったにも拘らず短期で終了してしまうのだが、こういった断り書きのテロップが使われた走りであった様に思う。
コラムでは、このドルゲ事件を取り上げた上で、最近目に付くテロップとして、温泉番組で多用される「撮影の為バスタオルを着用して入浴しています。」を挙げ、興醒めの感が強いとしている。又、ダイエット器具のテレホン・ショッピングで表示される「効果には個人差が在ります。」というテロップにも違和感を呈している。
現代のテレビマンが頭を抱えるのは、常識&良識の個人差だとし、ドルゲ事件のテロップはせめてもの誠意で在ったろうが、現代のテロップは怒られない為の方策としている。今後もこの様な注釈テロップは今後も増え続けるだろうとも書いている。
自分も全く同感である。一般常識で考えれば不必要とも思えるテロップが余りにも氾濫し過ぎていると思う。事の道理が未だ判らない子供達の為に出しているテロップだという事なのかもしれないが、そういった事は親を始めとした大人達が本来は教えるべきもの。どうにも変である。
又、バラエティー番組や情報系番組にもテロップは多用されている。聴覚障害者の為に使用されているのならばまだしも、そうとは思えない異常な多用ぶり。ましてや、バラエティー番組で、さもここが笑うべきポイントだ!という感じで使われるテロップの数々には、全く以って閉口してしまう。
一般常識を働かせる事も、笑いの感覚を働かせる事も、他者からの力を借りなければならないのか?何かおかしくはないか?
とは言え、授業参観中に携帯を大声で使って教師に注意され逆ギレする親や、ペット同伴可能な飲食店で出て来た濡れタオルで動物の御尻を平然と拭く飼い主が居る御時世。哀しいかな、注釈テロップがTV画面を埋め尽くすのは仕方ない事なのだろうか。

当時、バロム1は見ていましたがテロップにはまったく
気がつきませんでした。
気づく、気づかないというのは人それぞれですね。
きなこは鈍感な方です。
知人に名前が太郎という人がいて、その人が「ウルト
ラマンタロウが出たとき」にいろいろ言われてイヤだった
そうです。だから、ドルケなんてもっとイヤだったと想像
されます。ドルゲ魔人はかなり気持ち悪かったですし。
子供は思ったまま言うから、ある意味残酷ですね。
大人である我々は言葉を発する前にきちんと考えること
をしたいですね。いや、しましょうね!
それをしていない子供な大人もいますが・・・。
バラエティのテロップってツマラナイですね、どこも
同じでマネッ子ばかり!どうせ流すなら、英語や韓国語
を流す遊び心がほしいなぁ~
頂いたコメントの「餅きなこ様」という様づけして
下さる、ば○こう○ち様の丁寧さに感動しました。
ありがとうございました。
こういうのもグローバリゼーションなのかもしれません。
だとすると、グローバリゼーションってのはバカになることなのかな、と思ってしまいます。
この場合はグローバル=アメリカですけどね。
生ものは入れちゃいけないのかと思っ私はもっとバカですが。
たしかに日本人にとってこの名前は「濁音」が多く、強烈な音に聞こえます。
アナウンサーも濁音を避けるため「06」を「ゼロロク」と読まず「レイロク」と読みます。実社会にはそんな読みをする人はいませんよね。それくらい濁音は力強いからでしょう(筆者推測)。
ゾルゲ事件を知ったのは、勿論十数年も後のことです。
そういうことで打ち切りになったのですか。
今まで知りませんでした。
ネーミングは難しいですね。
昨今のテロップ入れまくりの番組には、閉口します。
1972年というとボクは再放送を見ていたのかもしれません。
小学校の頃、友達と変身もしないバロムクロスをして遊んでいたことを思いだしました。でもドルゲの話は全然知りませんでした。
テロップはセンスのある人が使えば効果的ですが、センスのない人が使うと字幕のようになってウンザリします。
その上「そんなことも書かなわからんか」というようなテロップも多いですが、それに比例して常識や人と人との信頼関係が薄くなってきているような気がします。
なんだか悲しくなりますね。
まず30年も昔になると日本にはそんなに外国人なんてものはいないはず。絶対にいないとは言い切れないがいたとしても間違いなく外国人学校のはずだから接触がないかと思う。あの当時の日本は外国人ってだけで怖がっていたからいじめるとかそういう接触すらなかったと思う。
ドルケって名前正直希少すぎてそんなにいない数だと思われる
そんな希少な数でテレビのテロップを使うとはとても思えない。
1970年代前半と言えば、確かに外国人の姿を街中で見掛ける事は余り在りませんでした。しかし自分は其の頃公立の小学校に通っていましたが、ビルマ(現在のミャンマー)からの転校生が来たという事実が在ります。ですので、当時でも外国人学校以外で、外国人生徒が在籍していたという事は充分在り得たと思います。
http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/0bd82ff977c9d65e62f15554d22a9256
此方(http://blog.goo.ne.jp/kamekichi1964/e/f47939a6e3dcca7f9f5482de1e46fc29)で紹介されています様に「このドラマにでてくるドルゲはかくうのもので、じつざいのひとはかんけいありません。」というテロップが出ていたのは事実で(自分も当時、実際に目にしました。)、又、Wikipedia等の情報(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%A0%E3%83%BB1#.E5.82.99.E8.80.83)を見ると、「本作が放送され始めてから間も無く、神戸市に在住していた『ドルゲ』姓のドイツ人音楽講師が、「『バロム・1』 に出てくるドルゲが元で、息子が虐められるかも知れない。」として放送局に抗議、名前使用差し止めの仮処分申請をする事件が起きた。此の事は当時の新聞(朝日新聞1972年8月25日、1972年9月26日)に掲載され、第29話以降(再放送では第1話から)、番組オープニング・タイトルのラストにフィクション作品で在る事を示す注意テロップが挿入される様にになった。(子供にも判る様、漢字を使わないテロップとしている。)局側は番組の設定変更を急には行なえない事を説明し、対応策としてミスタードルゲ役の室田を降板させる事で了承を得た。番組が全35話という比較的短期間で終わったのは、此の件の影響だと言われている。」との表記が。実際に其の紙面を確認するには到っていませんが、具体的な記述等から事実と思われます。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
テロップが過剰に表示されるのは日本国民の大多数が「言われた事しかできない」、「自分で考えられない」、
「言動に責任が持てない」と言っているのと同じで、
恥ずべき事です。
テロップの過剰表示、仰る通りだと思います。又、ヴァラエティー番組で多いのですが、「笑いのポイントを、態々テロップで表示する。」というのは、「此処が面白い発言なのだから、笑いなさいよ。」という押し売りで在り、其れを見て笑うのは、「皆と同じポイント笑っている自分に、安心させられている。」という“自信の無さ”の裏返しの様に感じたりします。
今後とも、何卒宜しく御願い致します。