ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

勝ちを積み重ねて5千勝 Part2

2007年05月03日 | スポーツ関連
6位  1987年の日本シリーズ
1987年10月24日~11月1日に渡り、王貞治監督率いるジャイアンツと森祇晶監督率いるライオンズが闘ったシリーズ。結果的には4勝2敗でライオンズが日本一になるのだが、勝敗数や点数差以上にライオンズとの”チーム成熟度”の違いを痛感させられたシリーズでも在った。クロマティー選手の雑な守備や、篠塚和典選手のイージー・ミス等、”子供のチーム”(ジャイアンツ)が”大人のチーム”(ライオンズ)と闘っている様な情けなさを覚えてしまった。

7位  二岡智宏選手のサヨナラホームランでジャイアンツが優勝
2000年9月24日、東京ドームで行われた対ドラゴンズ戦。この試合に勝てば本拠地での胴上げとなるジャイアンツだったが、9回表を終えて4対0でドラゴンズに負けている状態で、TV観戦していた自分も100%この日の胴上げは諦めていた。この日は東京ドームでの最終戦に当たる為、「これで敵地での胴上げになってしまうのか。盛り上がらないなあ。」とぼやいていたのだが、9回裏に1死満塁のチャンスを迎え、打席に入った江藤智選手がエディ・ギャラード投手からまさかの満塁ホームランで同点に追い付く。「信じられない事が起こりました!」と絶叫するアナウンサーの声をバックに狂喜乱舞する自分。そして場内のどよめきが未だ残る直後、次打者の二岡選手がサヨナラホームランを放って奇跡の大逆転で優勝を決めるという、「猫ひろし氏が御笑い界の頂点を奪い取る。」位の在り得ない展開。ジャイアンツ・ファンの友人にすぐさま電話し、互いに興奮しながら喜びを分かち合ったのが懐かしい思い出。

8位  ランディ・バース選手、掛布雅之選手&岡田彰布選手の”伝説のバックスクリーン3連発”(動画
1985年4月17日に甲子園球場で行われた対タイガース戦。7回表終了時には、3対1でジャイアンツが勝っていた。7回裏、2死1&2塁で槙原寛己投手(ジャイアンツ)は打席にバース選手を迎える。「何とか抑えてくれ!」とブラウン管に向かって手を合わせていた自分を嘲笑うかの様に、バース選手が振り抜いたバットは投球を確実に捕らえ、打球はバックスクリーンへと一直線に。そして、続く掛布選手&岡田選手にもバックスクリーンにホームランを打ち込まれ(正しく言えば、掛布選手のホームランはバックスクリーンから若干左に外れていたらしい。)、この3者連続バックスクリーンへのホームランで逆転したタイガースが、結果的には6対5でジャイアンツを下す事に。それ迄は申し訳無いが「ダメ虎」と舐めて掛かっていた自分も、この3連発によって「今季はタイガースが優勝するかも。」と感じさせられた。そして晩年に”水道橋のダメ魔人”と呼ばれる事になる槙原投手の姿を、この時にうっすらと予感した試合でも在った。

9位  江川卓投手に引退を決意させた試合
1987年9月20日、広島市民球場で行われた対カープ戦。先発した江川投手は前半から全盛期を思わせるピッチングでカープ打線を翻弄し、9回を終えた段階での失点は小早川毅彦選手に打たれたソロホームランのみという好調さ。その時点で2対1とジャイアンツが勝っており、9回裏にはあっさりと江川投手が三者凡退に打ち取るだろうと思っていた。予想通り二者を打ち取り、次に迎えた高橋慶彦選手もゴロに打ち取って無事ゲーム・セットと誰もが思った瞬間、味方の守備の乱れから彼を塁に出してしまう。そして次の打者は、この試合でカープ唯一の得点をホームランで叩き出していた小早川選手。江川投手が全身全霊の力を込めて投じた5球目のストレートは、小早川選手がジャスト・ミートしてのサヨナラ2ランに。嘗ては”怪物”と呼ばれた男が、マウンド上で力無く崩れ落ちたシーンが何ともショックだった。その後、あの”クールな男”がベンチ裏で泣いていたという。法政大学の後輩でも在る小早川選手に対し、自信を持って投じたストレートを完璧にホームランされたこの夜、江川投手は自らの引退を決断したのだった。

10位 吉村禎章選手を襲った悲劇
1988年7月6日、札幌市円山球場で行われた対ドラゴンズ戦。このデイ・ゲームを自分は、キャンパスに置かれたTVで観戦していた。ジャイアンツの守備時、外野に上がったフライを吉村選手と栄村忠広選手が共に取りに行き、御互いに気付かないまま激しく衝突。リアル・タイムで中継を見ていた廻りの人間が、思わず「あっ!」と叫んでしまった程のアクシデントだった。吉村選手は左膝の4本の靭帯の内3本を完全断裂した上、神経迄損傷するという大怪我を負ってしまう。選手生命云々以前に、普通の生活をも今後は送れないだろうと誰しも思ったに違いない。しかし辛いリハビリ生活を乗り越え、彼は翌年終盤に復帰を果たす。その執念と努力には唯々頭の下がる思いだったが、あのアクシデントさえ無ければ彼は間違い無く原辰徳選手と共に主軸を務め続けたろうし、目を見張る記録を残した事だろう。そしてO(王貞治選手)とN(長嶋茂雄選手)が同じチームに居た事で、双方が切磋琢磨して共にスーパー・スターになり、ひいてはチームを栄光の道へと推し進めた様に、吉村選手の怪我さえ無かりせば、原選手はもっと記録を残せていたのではなかろうか。そしてチームも・・・。悔やんでも悔やみ切れないアクシデントだった。
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ジャイアンツの次なる目標は、5,001勝を上げる事。そして、その勢いで今季こそは優勝を果たして欲しい。それが真に強く、真に魅力の在るジャイアンツになる第一歩と信じる。*2

*1 スーパーサウスポーあさちゃん。様も応募された「ジャイアンツ5,000勝キャンペーン」には、自分も当然応募していた。ジャイアンツの5,000勝達成日をズバリ当てた人には、抽選で総額5,000万円の豪華商品が当たるというキャンペーンだが、開幕前に応募したので、完璧に昨年迄の”駄目さ加減”を考慮して「5月16日」としてしまった。長年のファンとしては在ってならない弱気さを恥じるが、まあ嬉しい誤算としておこう。

*2 1千勝目を達成した1952年、ジャイアンツは優勝を果たしている。2千勝目の1965年はV9スタートの年で在り、勿論この年も優勝。しかし3千勝目の1979年は5位、4千勝目の1993年は3位と優勝を逃している。つまり、記念日を達成した過去4回の年の優勝確率は50%。唯、直近の2回が「5位→3位」と推移している事を考えると、今回は優勝という事になるのだろうか?

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ベスト10に感動 (村長)
2007-05-03 14:42:32
 はじめまして。私は、長嶋さんの『虹をかける男』を読んだのが、巨人ファンになったきっかけです。giants-55さんのベスト10、全て覚えてます。わたくし的には、1位長嶋選手の天覧試合でのサヨナラ本塁打、2位10/8決戦、3位2000年の江藤:満塁同点弾~二岡サヨナラ弾、でしょうか。
 自分は草野球の捕手でしたので、番外編として『村田真一捕手の面が壊れた瞬間』も挙げたいです。当時のエース、斉藤雅樹投手が真っ直ぐを投げた瞬間、村田捕手の面が壊れ、顔が無防備になった。しかも、打者は空振りしたにも拘わらず、村田はしっかりと捕球していた、というシーンです。
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巨人ファンOBとしての“5000勝” (さのかづみ)
2007-05-03 22:26:40
こんばんは。まずは通算5000勝おめでとう御座います。

自分は5000勝の内、一番熱狂的に応援した1987年の夏頃の横浜大洋ホエールズ戦(後楽園外野席。若菜嘉晴捕手のパスボールを記憶)と、既に巨人ファンを“卒業”した1989年に父からもらったチケットで見たタイガース戦(東京ドーム内野席。二次会は外野へ潜入。石井雅博選手のテーマ“上から読んでも石井~アイヤ!”って歌った記憶在り)で勝利の体験をしただけに、巨人から離れた身としても感慨深いものです。

長嶋茂雄氏の引退記念映画を観て巨人ファンになり、王貞治氏のホームランに魅せられ、途中相撲ファン・ファークソング狂として寄り道するも、1983年の日本シリーズでの西本聖氏の熱投に感動し、1987年のW.クロマティ氏の、死球を頭に食らった翌日の代打ホームランで歓喜し…。こちらのトピックを読んでいろいろ思い出しました。

個人的には1986年の、有田修三氏の一塁へのヘッドスライディングが印象に残ってますね。日付・場所・対戦相手は失念しましたが…。あの執念は当時の巨人に無い物でした。



長文・乱筆乱文にて失礼しました。
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