昔はTV番組でもラジオ番組でも、音楽番組が多く放送されていた。“歌謡曲”という表現が、普通に使われていた時代の話だ。過去に放送されていた歌番組が此方に紹介されているけれど、個人的には「レッツゴーヤング」【動画】、「NTV紅白歌のベストテン」【動画】、「夜のヒットスタジオ」【動画】、「ザ・ベストテン」【音声】、「決定!全日本歌謡選抜」【音声】を良く見て(聞いて)いた。
中でも一番好きだったのは「ザ・ベストテン」。「1978年1月19日、黒柳徹子さんと久米宏氏が司会を務める形で放送開始。毎週生放送で独自の邦楽ランキング上位10曲をカウントダウン形式で発表し、ランキングされた曲を歌手が披露するというスタイルの音楽番組。」だった。
此の番組以前にもランキング形式の歌番組は存在したが、各歌手が所属する芸能事務所の“力関係”が影響している様な不透明さが感じられた。でも、「ザ・ベストテン」のランキング決定法は非常に明確。又、「追い駆けます、御出掛けならば、何処迄も。」というキャッチフレーズ通り、ランキングされた歌手が何処に居ても、其処迄追い駆けて行って生中継するというのは、当時非常に斬新で、毎週夢中になって見ていた。
第1回放送の前週(1978年1月12日)、「ザ・ベストテン前夜祭」【動画】というのが放送されていた事を、今回初めて知った。此の番組は見ていなかったが、第1回から久米氏が司会を“卒業”する第375回(1985年4月25日)【動画】迄は、恐らく1回も欠かさずに見ていたと思う。本当に面白い番組だったので。
「ザ・ベストテン」が終了したのは、1989年9月28日(第603回)の事【動画】。大好きだった歌番組が終わってしまうのは、何とも言えない寂しさが在った。でも、久米氏卒業以降、「ザ・ベストテン」を見る事は余り無くなっていたので、自分の中で「ザ・ベストテン」の最終回は、第375回という感じがしている。
印象に残るシーンが、幾つも在る「ザ・ベストテン」。ぱっと思い浮かぶだけでも「“ヒデキ”が『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』で、2週連続で“最高得点”の『9,999点』を獲得し、1位になった。【動画】」、「寺尾聰氏が『ルビーの指輪』で、最多連続1位を記録(12週連続)した。【動画】」、「新幹線や飛行機の到着(着陸)を待って、慌ただしく歌って貰う事が多かった。【動画】」、「『今週のスポットライト』というコーナーで、『勝手にシンドバッド』【動画】という“妙な歌”を歌うサザンオールスターズなるロック・バンドの存在を初めて知り、『何を言ってるのか、全く判らないなあ。』と思った。」等々。
で、自分が最も印象に残っているシーンとなると、1980年6月12日の放送で見せた黒柳さんと久米氏の姿だ。「『スタジオの出演歌手に対し、地方各地の視聴者が中継先から質問をする。』というコーナーが設けられ、顔面を黒塗りしていたシャネルズ(後のラッツ&スター)に対し、或る青年が『黒人の“癖に”、何で(フランスの高級ブランド名と似た)シャネルズを名乗っているのか?』と質問。メンバーの鈴木雅之氏は戸惑いつつも『ブランド名が、元になったのでは無い。』と答えたが、其の後のCM明けに黒柳さんが『皮膚の色や国籍で“○○の癖に”と言うのは、人種差別にも繋がるので、そういう、人を見下す様な言い方は、絶対に止めて欲しい。』と、涙乍らに訴えた。すると、何時もはチャラチャラした喋りの久米氏も真顔で、『黒柳さんの言っている事に、僕も全く同感です。』と口にした。」というシーンは、胸にグサッと突き刺さる物が在り、40年経った今も忘れられない。
そんな思い出深い音楽番組「ザ・ベストテン」が、CS放送のTBSチャンネル2で「6月20日(土)19時~」に再放送される事となった。特別番組の中で一部が再放送される事は在ったけれど、当時の番組が其の儘全部再放送されるというのは、非常に珍しい事だと思う。今回再放送されるのは「1980年12月25日放送分」で、今後は放送順では無いけれど、不定期に再放送されるというから、大ファンだった者からすると実に嬉しい話。
「ザ・ベストテン」、意外なゲストが登場する事が多かったですね。テンテンちゃんが出演されたのは覚えておりますが、黒BUTAオールスターズというのは勉強不足で知りませんでした。幼き頃に芸能界で人気を博し、長じてから別の形で芸能界で活躍するというのは、日本でも時々ありますね。
今後とも、何卒宜しく御願い致します。
違っていたら申し訳無いのですが、シフォン様は“別の名前”で此方に何度か書き込みして下さってませんでしょうか?最後の文章の形式が、其の方と全く一緒なので。
名前を変えて書き込んで下さる事自体は全く問題無いのですが、此の手の話で“意見”や“推測”を求められても、恐らくは答えが戻って来るのは難しい気がします。
若し其の方と同一人物で在れば、“同じ記事”に“別の日”、“全く同じ文章”が投稿されており、管理者判断でコメントを反映しない形にしました。日を改めたとしても、其の時点で“答え”が書き込まれていないという事は、全く同じ文章を書き込まれても、何等かの進展が在るとは思えなかったからです。
其の事で“違う名前”を使われる様になったのだとしたら申し訳無い思いも在りますので、敢えて今回の様なレスを付けさせて貰った次第です。