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・ 物凄く親しかったという訳では無いが、中学時代に時々遊んでいた同級生が居た。中学を卒業して以降は全く付き合いが無かったのだが、社会人になって数年経った頃だったか、中学時代の別の同級生から「彼は高校時代に、遊びに行った海で溺死した。」という話を聞き、その余りに早い死に衝撃を受けた。
・ タレントの東山紀之氏が週刊朝日に連載しているコラム「これまでと、これからと」で、自身の芸能界デビューに付いて以前書いていた。それによると中学時代(だったと思うが。)、母親が人から貰ったコンサートのチケットにて友人達と渋谷公会堂(現在の渋谷C.C. Lemonホール)に行き、終演後は「東京迄出て来たのだから、東京見物をして行こう。」という事に。青山通りの交差点で信号待ちをしていた所、其処を車で通り掛かったジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川氏にスカウトされたのだと言う。「もし青山通りに行かなかったら。」、「もし青山通りのその交差点で信号待ちをしていなかったら。」、東山氏は芸能界デビューしていなかったかもしれない。
・ 以前、何かの本で読んだのだが、「突発的な理由が発生し、搭乗する予定だった飛行機をキャンセルした所、その飛行機が墜落事故を起こして全員死亡し、九死に一生を得た。」という人物の話が載っていた。作り話の様な実話だが、この人物は同じ目に3度も遭っていたというのだから更に驚きだ。
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上記の様な話に触れる度に「人の運命は、この世に生まれ落ちた時点で既に確定しているのか否か?」、即ち「人の運命は必然に支配されているのか?それとも偶然の上に成立しているのか?」と考えてしまう。我々が「幸運」だ「不運」だと一喜一憂し、「偶然の産物」として受け入れている物も、実は生まれ乍らにして確定していた「必然の産物」の様に感じる事も在るのだ。
「DNAには“死の時限タイマー”が組み込まれており、その“定まった時”を迎えると人は“死”に到る。」という説を、以前目にした事が在る。真実かどうかは不明なれど、もし事実だとしたら、少なくとも「細胞レベルでの死」は生まれ乍らにして必然という事になる。そして交通事故等での死は、あくまでも偶然の産物となる訳だ。
「神の見えざる手」は経済用語だけれど、人の運命も神の見えざる手に全てを支配されているのだろうか?否、人の運命は努力で変えられる部分も在ると信じたい。他者に全てを支配された人生なんて、考えるだけで虚し過ぎるから。
・ 物凄く親しかったという訳では無いが、中学時代に時々遊んでいた同級生が居た。中学を卒業して以降は全く付き合いが無かったのだが、社会人になって数年経った頃だったか、中学時代の別の同級生から「彼は高校時代に、遊びに行った海で溺死した。」という話を聞き、その余りに早い死に衝撃を受けた。
・ タレントの東山紀之氏が週刊朝日に連載しているコラム「これまでと、これからと」で、自身の芸能界デビューに付いて以前書いていた。それによると中学時代(だったと思うが。)、母親が人から貰ったコンサートのチケットにて友人達と渋谷公会堂(現在の渋谷C.C. Lemonホール)に行き、終演後は「東京迄出て来たのだから、東京見物をして行こう。」という事に。青山通りの交差点で信号待ちをしていた所、其処を車で通り掛かったジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川氏にスカウトされたのだと言う。「もし青山通りに行かなかったら。」、「もし青山通りのその交差点で信号待ちをしていなかったら。」、東山氏は芸能界デビューしていなかったかもしれない。
・ 以前、何かの本で読んだのだが、「突発的な理由が発生し、搭乗する予定だった飛行機をキャンセルした所、その飛行機が墜落事故を起こして全員死亡し、九死に一生を得た。」という人物の話が載っていた。作り話の様な実話だが、この人物は同じ目に3度も遭っていたというのだから更に驚きだ。
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上記の様な話に触れる度に「人の運命は、この世に生まれ落ちた時点で既に確定しているのか否か?」、即ち「人の運命は必然に支配されているのか?それとも偶然の上に成立しているのか?」と考えてしまう。我々が「幸運」だ「不運」だと一喜一憂し、「偶然の産物」として受け入れている物も、実は生まれ乍らにして確定していた「必然の産物」の様に感じる事も在るのだ。
「DNAには“死の時限タイマー”が組み込まれており、その“定まった時”を迎えると人は“死”に到る。」という説を、以前目にした事が在る。真実かどうかは不明なれど、もし事実だとしたら、少なくとも「細胞レベルでの死」は生まれ乍らにして必然という事になる。そして交通事故等での死は、あくまでも偶然の産物となる訳だ。
「神の見えざる手」は経済用語だけれど、人の運命も神の見えざる手に全てを支配されているのだろうか?否、人の運命は努力で変えられる部分も在ると信じたい。他者に全てを支配された人生なんて、考えるだけで虚し過ぎるから。
いることを神様も嘆くか、まあこんなもんじゃと思って見守っていただいているのか、宗教には全く関心はありませんが、時々そんなことを考えるとおもろいですね。 男女間の恋愛には偶然が作用して盛り上がることや、ダメになることとかが結構あるように、あったように思います。 実は必然だったと後でよくよく考えると失敗だった。 結婚はしてもしなくても後悔するものだ。
「偶然を確率や数式で論じるとロマンが無くなるし、神様が存在すると考えた方が嬉しい場合や心が震える様な事も在ると思う。」というのは、自分も全くそう思います。「幾ら努力しても、人生は全て決まっている。」なんて考えたら、それこそ夢もチボー(希望)も無いですしね。
何か「神のような何か」がないと
世の中には説明できない
事柄がありますよね。
かといって
「目茶苦茶いい人が早死にした」などというのは、
神様がどうとかいうより
運命があるのかなとも思ってしまいますし。
全て科学で割り切れないほど
世界や自然はすごいんだということなんでしょうね。
世の中には人知の及ばない出来事は数多在るでしょうし、理屈だけでは説明出来ない事象に出くわす事も実体験として何度か在ります。自分も神仏の類は基本的に信じていないけれど、余りにも悲惨な現実を目にしてしまうと「神も仏も無いのだろうか?」と思ってしまう矛盾。
Dr.マンハッタンの心を動かしたものは果たして必然か偶然か。
原作併せてお読みになるとよろしいです。