ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

村八分

2017年11月07日 | 時事ネタ関連

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「<大分県弁護士会>『村八分止めなさい。』人権侵害是正勧告」(11月6日、毎日新聞

 

大分県弁護士会は6日、就農、県北部の出身地の集落(14世帯)にUターンした男性の世帯に対し、集落全体で「村八分」をしているとして、村八分を止める様、是正勧告したと発表した。

 

弁護士会によると、男性は母親の介護の為、2009年に関西からUターンしたが、2011年頃、農地開拓の補助金の支払われ方に疑問を呈し、住民とトラブルになった。母の死後の2013年、集落は会議を開き、男性を自治会の構成員に入れないと決定。其の後、男性は豊作祈願等の行事の通達をして貰えなかったり、市報が配布されなかったりしている。

 

男性の申し立てを受け、会の人権擁護委員会が調査、仲介に入ったが、集落が「構成員として認めない。」との態度を取り続けた為、1日付で自治会長に勧告を送付。勧告は「男性の落ち度は少なく、一方的に除け者にしている人権侵害だ。」と指摘、男性を構成員として認め、平等に扱う様求めている。

 

弁護士会によると、村八分に関する勧告は県内で3回目。過去2回は公表しなかったが、「農村部にUターンする人は増えており、同様のケースが増える恐れも在る。」と公表に踏み切った。集落が在る市は取材に「未だ事情を聞いておらず、コメント出来ない。」と話した。

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内情が良く判らない事も在り、軽々にどうこう言えないので、飽く迄も“一般的なケース”として記してみたい。出身地にUターン就職し、村八分に遭ったAという人物が居るとする。Aが余りにも身勝手な言動を繰り返した事で、“組織”がAを村八分にした“ならば”、組織の決定は完全否定出来ない。でも、Aが“組織の今後”を考えた上で、良かれと思ってした提案が、“既得権益”を死守したい組織の逆鱗に触れ、「Aを村八分にしろ!」となった“ならば”、此れは組織の側に問題在りだろう。今回の場合、弁護士会は「男性の落ち度は少ない。」としているのだから、少なくとも前者のケースでは無いと思われる。

 

体内に“異物”が侵入して来た際、其の異物を排除し様とする仕組みが、人体には備わっている。時には“異物として排除してはいけない物”を、誤判断によって排除し様としてしまう事も在る様だが、人間社会の“村八分”よりは、頻度が低そうだ。我が国政界では“排除の論理”とい名前の村八分が過去に何度も行われて来たし、難民十把一絡げにして排除し様とする世界の潮流も、村八分と同根に在ると言って良い。

 

14世帯という非常に小さな組織の中で、村八分に遭うというのは、心身共にきつい事だったろう。是正勧告を受け、自治会が彼を受け容れたとしても、其の受け入れは“形式的な物”だけになりそうな気もする。村八分にされた6年間というのは、関わった人達の心を解すには、余りにも長過ぎるから。


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4 コメント

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Unknown ()
2017-11-07 14:38:48
このような社会的な迫害を受けた人は、以降どのような思想を持つかも気になります。保守は、SNS上でも村のような集団を作り、リベラルは比較的異論に寛容だと思います。それは、そのままリアルの延長線上にあり、ネットが逃げ場になる、という事はありませんが、このような村八分のような古い慣習とは、対話の機会をも奪うものでしょう。

ネットはネットで恐いですが、リアルでの「排除」は生活を抑圧しますし、ネットが物書きである以上、リアルから受ける影響も大きいでしょう。大分の件では、男性が村の思想や掟に対して、無知であり、それは、地域から離れていた以上、仕方のない事だと思います。こうした情状の余地、対話の機会をも奪う行為は、帰農者の教化にはなりません。若い人口、とりわけ、古い慣習にとらわれていない人々には教育をしていくぐらいの、前向きにおかしな物に対する、相互理解のスタンスが取られるべきだと思います。

この件では、人権をめぐる双方の立場が真っ向から違うと思います。保守的な組織在りきの人権と、中立的な個人の人権との違いでしょう。日本では近代化が進められ、脱亜入欧で権力側の古き因習は排除されても、村が無くならないのは、組織在りきの人権、運営の好転による集団の擁護、が説得力があるからでしょう。田中角栄は自身の党派を「村」と称していましたが、必ずしも、村はネガティブな意味だけではない、と思います。
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Unknown (悠々遊)
2017-11-07 20:34:21
若者のUターン、Iターンに必死に取り組んでいるところがあるかと思えば、このまま自然消滅を望んでいるかのような閉鎖性の強いところもあるんですねえ。
代々親類縁者だけで暮らしてきたから異論や異分子は受け入れられない、というのかもしれませんが、あまりに心が狭いです。
都会の無関心も怖いですが、それとは対極にありますね。
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>隆様 (giants-55)
2017-11-08 01:09:51
書き込み有難う御座いました。

「村八分の様な古い慣習とは、対話の機会をも奪う。」、其の通りだと思います。リアルな排除は、基本的に四六時中心身を蝕み兼ねないし、非常に危険。

「村」という概念は、仰る様に必ずしもネガティヴさだけでは無いと思いますが、昨今の世界的潮流を思うとネガティヴさ、其れも可成り陰湿さを伴った物になって来ていると思います。
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>悠々遊様 (giants-55)
2017-11-08 01:15:02
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

此れは日本だけの話では無いのですが、“閉鎖性”や“排他性”って、どんな組織にも昔から大なり小なり存在すると思うんです。でも、ネット上での“匿名性”を悪用した排他的主張、そして政界等、多くの関心が集まる場での露骨な迄の排他的言動が“普通に”報じられる事で、閉鎖性や排他性に加担する事の“躊躇”というのが、どんどん薄れさせられて来ているのではないかと。
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