年末ジャンボ宝籤は既に10枚購入していたが、「数枚買い足しておこうかな。」と昨日、帰宅途中に宝籤売り場に寄った。窓口は1つで、其処には70代後半と思しき男性が並んでいた。其の後ろに立ち、順番が回って来るのを待っていたのだが、其の男性は50枚購入。「50枚とはリッチだなあ。」思いつつ、彼が窓口から離れるのを待つ自分。
宝籤を受け取った彼が販売員に「領収書出して貰える?」と言った瞬間、思わず「えっ!」と声が出てしまった。宝籤売り場で領収書を要求する人を見たのが初めてだったし、「経費で落とす積りなの?」という驚きが在ったので。声に気付いた訳では無いだろうが、其の男性は後ろを振り返り、長い列を確認したからか、「今回は良いや。」と去って行った。
「宝籤評論家」という事ならば、宝籤購入費を経費として落とせるのかもしれないが、何か不思議な光景だった。
話はガラッと変わる。
以前、自身のブログで「暴力団の構成員には、中国人や韓国人が多い。治安を守る為に、中国人や韓国人を日本から全て追い払え!」といった趣旨の文章を書いている人が居た。「暴力団は治安を悪化させているので、構成員全てを日本から追い払え!」というのなら未だしも、「構成員の中で、中国人や韓国人“だけ”を日本から追い払え!」というので在れば、態々「暴力団」という用語を持ち出すのは変。要は「中国人や韓国人が大嫌い。」という事だけを言いたいが為に、意味の無い「暴力団」という用語を持ち出しただけだろう。
近年、極端な思想を打ち出している政党や人達の中には、「『敵対戦略』を駆使し、自分達への支持者を掻き集め様としているのではないか?」と思われるケースが目に付く。社会に対して大きな不満を感じていたり、満たされなさを感じている人達に対し、「貴方達が不遇なのは、~の所為なのだ。」と訴え、彼等に特定対象を敵対視させ、散々煽った末に「私達はそういった連中を許さないし、貴方達の味方になれる。」と遣る訳だ。
社会に対して大きな不満を感じていたり、満たされなさを感じている人達。」が若者ならば、「今の高齢者は、こんなにも美味しい思いをしている。だから、貴方達は恵まれないのだ。」と煽り、困窮はしていないけれど決して裕福では無い生活を送っている人達が相手ならば、「生活保護費を不正に受給している人の所為で、皆が苦しんでいる。だから、生活保護費受給者を許してはいけない。」と煽ったりする。
誤解しないで欲しいのは、「生活保護費を不正に受給している人」を容認しろと言っている訳では無い。不正受給者を許してはいけないし、そういった人達が非難されるのは自業自得と思っている。問題なのは「“全て”の高齢者が美味しい思いをしている。」とか、「生活保護費受給者の“全て”が、不正で在る。」という様に、意図して「十把一絡げ」にし、其れを敵対視させるスタンスだ。
非難されるべきは「不正している人だけ」の筈。そうでは無い人迄も一括りにして敵対視させるというのは、許されない遣り口で、冒頭に紹介した人と何等変わらない。況してや「そういった『敵対戦略』を駆使した上で、自分達の支持者集めに利用する。」というのは、卑怯千万で在る。
「敵対戦略」、行うのが一般人でもどうかと思うのに、平然と行っている政治家が居たりするのだから、全く以て呆れ返ってしまう。勿論、其の儘ズバリ言ったり書いたりすると大問題になるから、巧妙に暈したりはしているが、読み手(又は聞き手)が誤誘導されるのを狙っているとしか思えない形式なのが狡猾。
「悪いのは団塊の世代だ。」とか「日教組が全て悪い。」という主張は、結構見聞する。斯く言う自分も若かりし頃は、「彼の年代の人達って皆、聞く耳持たないし、小狡い人許りだ。」なんぞと、十把一絡げ的に批判していたから、偉そうな事は言えない。
でも、年齢を重ねる事で、「嘗ては一括りして批判していたけれど、批判すべきでは無い人も大勢居る。」という“当たり前の事”に気付かされた。「自分達の世代の中には、どうしようもない人間も居れば、真面な人間も居る。」のと同様なのだ。
「『敵対戦略』に乗せられて、面白おかしく支持者になった。でも、敵対視していた対象が居なくなり、気付いてみれば自分自身が周りから敵対視され、そして排除される事になった。」、過去の歴史を振り返れば、そんな事例は幾つも在る事を知って欲しい。