移動中に聞いていたラジオ番組で、中国の若者事情を報じていた。経済成長著しい彼の国に在っては、我が国以上に貧富の差が大きいというのは以前から聞き及んでいたが、その差は一層拡大している様だ。そんな中、若者の間には月光族と呼ばれる人達が増加しているという。
「三光作戦」なる呼称が在る。その実態の有無は別にして、「殺し尽くす、焼き尽くす、奪い尽くす」という行為を指しているとされるが、中国語で「光」は「使い尽くす」という意味が在り、月光族には「月収を使い尽くしてしまう人達。」という意味が込められている。中国の若者達の中には月収の殆どをブランド品購入に費やしたり、全てを注ぎ込んだ挙句にローン地獄に陥っている者が増加しており、特にファッションに入れ揚げる若い女性達(若い男性の間には、未だそれ程ファッションへの傾倒は無い様だ。)が、富裕層以外にも目立って来ているのだとか。昨年、彼の国の人材紹介会社が行なった調査によると、仕事を持つ女性の内70%が貯蓄をしていないという結果も残っている。
生活が豊かになって来ると、更に上の生活を望むというのは何処も同じなのだなあと感じる一方で、その時さえ楽しく生きられればOKといった先を考えない思考迄もが、同様に広まってしまうのは困ったもの。
「三光作戦」なる呼称が在る。その実態の有無は別にして、「殺し尽くす、焼き尽くす、奪い尽くす」という行為を指しているとされるが、中国語で「光」は「使い尽くす」という意味が在り、月光族には「月収を使い尽くしてしまう人達。」という意味が込められている。中国の若者達の中には月収の殆どをブランド品購入に費やしたり、全てを注ぎ込んだ挙句にローン地獄に陥っている者が増加しており、特にファッションに入れ揚げる若い女性達(若い男性の間には、未だそれ程ファッションへの傾倒は無い様だ。)が、富裕層以外にも目立って来ているのだとか。昨年、彼の国の人材紹介会社が行なった調査によると、仕事を持つ女性の内70%が貯蓄をしていないという結果も残っている。
生活が豊かになって来ると、更に上の生活を望むというのは何処も同じなのだなあと感じる一方で、その時さえ楽しく生きられればOKといった先を考えない思考迄もが、同様に広まってしまうのは困ったもの。
確かに自分の収入を超えて高価なファションに身を包むのはいきすぎだけど、人生は必要な物だけで成り立ってるわけではない。こういうのに幸せを感じるのも一つの価値観ではある。
社会主義が崩壊した理由の一端がこれですね。
人それぞれ収入に応じた支出内容。食料費に幾ら、教育費にいくら、レジャーにいくら。光熱費にいくらと。適正な基準があってそれを善良で優秀な官僚が発見すれば皆が幸せになれるとカン違いしたのが社会主義です。実はそんな基準なんて幻。
人生には多様な価値観があるのです。
共産党が支配する中国でこのような人達がでてくることは社会主義の論理が破綻している証拠だと思います。
近年、北朝鮮からの情報がボロボロと流れ出しています。「蟻の一穴からダムは崩壊する。」という喩えが在りますが、情報の流出は金王朝崩壊の予兆なのでしょうか。
システム的にコンビニ感覚で安直に御金を借り易くなったというのも在るとは思うのですが、以前にも書きました様に言葉のイメージというのも大きい気がします。「月賦」と表現するよりも、「ローン」と表現した方がその重さが軽くなる気がしますよね。ローンと呼ぼうが、結局背負うものは同じ。安直にサラ金に走ってしまう人達には、そういった言葉の”まやかし”に気付いて貰いたいです。
ところで中国の社会保障は貧弱なのでしょうか。給与の一部が貯蓄、保険に自動で振り込まれるということはないのでしょうか??
昨年のウイーク・デイに回転寿司屋に入った所、レジで会計を済ませている女子高生と思しき集団と遭遇しました。5人居たのですが、その全てがブランド品の財布(ブランド品に詳しくない自分ですら判る超有名なブランド。)を所有。そういった事は別段珍しくは無くなったのですが、集団でそういったものを見てしまうと一寸した驚きでも在りました。老婆心ながら、若い内からそういった物を持ってしまうと、長じるにつれて一寸やそっとの物では満たされない様になってしまうのではないのかなあと思ったりも。
中国の社会保障に付いて、下記の様な記事が以前載っていました。腐った官僚は、何処の国でも居るんですね(苦笑)。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20061019/111994/
いや、案外とああいう品はガッチリしていて、使いづらいので、年を取るとより使いやすいものを選ぶかもしれません。典型例は帆布バッグの流行でしょうか。あれも見た目の割には随分高いですけど。あれを買うぐらいなら革の方がいいです。ただ使いやすさ、保存面では話は別ですが。
根が貧乏性という事も在って、所謂ブランド品と称される物に関しては、出張先のシンガポールで同僚に「話の種に。」と進められて渋々?買った偽ブランド品のバッグを買った位しか思い当たらない自分。ですのでブランド品をどうこう語る事は出来ないのですが、概して使い勝手はそんなに良くは無いのですね。
帆布バッグというのも例の御家騒動で初めてその存在を知った程でしたが、正直見た目はピンと来るものでは在りませんでした。やっぱり自分は井川投手の様に、ブランド物のバッグよりも”コナン君の紙袋”(http://www.nikkansports.com/baseball/p-bb-tp0-20061129-123232.html)の方が好きかも(笑)。