一世を風靡しているAKB48。「会いに行けるアイドル」というのをコンセプトに、同グループがデビューしたのは2005年12月の事。しかし、記念すべき第1回公演の入場者数は僅か72人で、其の内の65人が関係者だったと言われている。詰まり、一般の観客は7人だけだったという事で、今では考えられない話だ。
此の時の7人を含め、初期の頃からのAKB48ファンにとって、彼女達が時代の寵児になった事は、「手が届かない存在になってしまった。」という寂しさも在るだろうが、「メジャーじゃない時代からずっと応援して来た彼女達が、遂に世間から認められる様になった。」という喜びの方が遥かに強いのではないだろうか?
プロ野球ファンで言えば、「無名の頃から応援して来た選手が、1軍のレギュラーに定着し、そして一流選手へとなった。」のを見届ける様な喜びと同じに違いない。
*********************************
「ミステリー作家の今邑彩さん死去 『蛇神』等」(3月16日、共同通信)
ミステリー作家の今邑彩(いまむら・あや、本名今井恵子=いまい・けいこ)さんが、東京都内の自宅で死去していた事が16日、判った。57歳。長野県出身。葬儀は近親者で行った。喪主は兄の今井哲夫(いまい・てつお)氏。6日に自宅で倒れた儘、亡くなっているのが発見された。検視の結果、2月上旬に病死したと見られる。家族によると、約2年前から乳癌を患っていた。1989年にデビュー。主な作品に「蛇神」等。
*********************************
今は超売れっ子作家の東野圭吾氏だが、其の作品が脚光を浴びる迄には、10年以上の時を要した。デビュー間も無い頃に彼の作品を読み、其の才能にすっかり魅了されてしまった自分には、彼の作品が高く評価されない事にもどかしさを感じ続けていたので、脚光を浴びる様になった時には、我が事の様に嬉しかったっけ。
3年前の記事「律子さん、律子さん、爽やか律子さん♪」の冒頭でも触れたけれど、「東野氏同様に、類い稀なる文才を高く評価し続けるも、一般的な認知度の低さにもどかしさを感じていた作家の1人。」が今邑彩さん。作家としては寡作な部類に入るが、其の多くが“読ませる内容”で、「何故、此の作家の作品の良さを、多くの人は判ってくれないのか?」という思いがずっと在った。しかし、3年程前から彼女の作品が脚光を浴び始め、「漸く、世間が気付いてくれたか。」と喜んでいたのに・・・。
3年振りに彼女の新作が刊行された2006年、其の後書きで「彼女がバセドウ病を罹患し、一時期は2週間で体重が20kg以上も減る程、激烈な闘病生活を送られていた。」事を知った。其の事実にショックを受けるも、大病を乗り越え、素晴らしい作品を生み出し続けてくれる事を信じていたのだが、結局、其の後に刊行された新作は、1冊だけだったのが残念でならない。
戦国時代の武将の1人・蒲生氏郷。彼の辞世の句には、胸を打たれる物が在る。
*********************************
「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風」
(風等吹かなくても、花の一生には限りが在るので、何時かは散ってしまうのです。それなのに春の山風は、何故こんなに短気に、花を散らしてしまうのですか。)
*********************************
40歳で病死した蒲生氏郷。「今と比べると、平均寿命が格段に短かった。」と言われる当時でも、40歳での氏は若い。「戦で死ぬならば未だしも、未だ未だ武将として十二分に働ける年齢なのに、病で世を去らなければいけないとは・・・。」という、氏郷の無念さが伝わって来る句だ。
自身の作品が漸く脚光を浴び始めた中、此の世を去らなければならなかった今邑さん。氏郷と同じ胸中だったのではないだろうか。ファンの1人としても、無念でならない。
多くの人に、彼女の作品を読んで貰いたい。一番の御薦めは「いつもの朝に」で、此れは上記した「2006年に、3年振りの新作として刊行された作品。」で在る。
合掌。