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ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「空白の叫び」

2006年12月19日 | 書籍関連
2000年4月、名古屋市緑区の市立中学校で発覚した「5,000万円恐喝事件」。当時中学3年だった被害者少年が、同級生を含む10数人から度重なる暴行を加えられ、総額で5,000万円以上もの金銭(少年は事件が発覚する3年前に父親を事故で亡くしており、その保険金約3,000万円に加害者達が目を付けたのが発端。)を毟り取られていたというこの事件を記憶されている方も結構居られるのではないだろうか。中等少年院送致の保護処分が下された加害者少年達の中には主犯グループに属し、被害者と同級生の2人の少年も含まれていた。

時は流れて今年の2月13日、名古屋市南区に在るパチンコ店に強盗が押し入り、売上金約1,200万円が強奪される事件が発生した。発生から約9ヵ月後の先月22日、愛知県警は強盗致傷容疑で4人の男を逮捕するのだが、この中には21歳と22歳になった嘗ての加害者2少年も含まれていた。

以前書いた記事「素直に非を認めよ!」でも触れたが、これ迄数多の事件&事故の報に触れて来た中で、心底加害者を殺してやりたいと思った事件の一つに「女子高生コンクリート詰め殺人事件」が在る。当時未成年だった加害者少年達が、被害者の女子高生に対して為した残虐にしてな所業に付いては、此処で記すのもおぞましさを感じる程。逮捕された7人の少年達は、4人に懲役刑が、そして残り3人は少年院送致の処分が下された。

事件発覚から15年後の2004年、知人の男性を車のトランクに押し込んで連れ回した上、監禁して殴る蹴るの暴行を加え怪我を負わせたとして、逮捕・監禁致傷容疑で一人の男(当時33歳)が逮捕された。この男は嘗て「女子高生コンクリート詰め殺人事件」で懲役5~10年の不定期刑で服役し、その後出所していた人物だった・・・。

残虐な事件を起こしながらも、少年法の”厚い壁”に守られた加害者少年が、その後に更なる犯罪に手を染めるというのを、現実に見聞する事がまま在る。その度に、「罪と罰のバランスが釣り合っていないのではないだろうか?」、「更生施設は果たしてきちんと役割を果たしているのだろうか?」といった思いが湧いてしまう。

今回読破した貫井徳郎氏の「空白の叫び(上)&(下)」は、殺人事件を犯してしまった3人の中学生男子が、少年院での生活を経て一般社会に戻るも、結局は再び犯罪に手を染めてしまう過程を描いた作品で在る。

育った家庭環境も性格も全く異なる3人。優秀だったり多少悪ぶっていたりの違いは在るものの、”普通の少年”と言っても良い彼等が、どうして殺人を犯さなければならなかったのか?送致された少年院で偶然にも知り合いになった3人が、この”閉ざされた空間”で体験させられた事とは?そして、再び一般社会に戻された彼等が、何故再び犯罪に手を染めるに到ったのか?3人の少年達の視点から順繰りに語られるスタイルで、ストーリーは進められている。

彼等が人を殺めてしまう根底には、身勝手さが見え隠れしていない訳では無い。故にその事に対しては同情を覚えるものでは無いだのが、元犯罪者に対する世間の冷たい目、そして何よりも更生しようとしている元犯罪者に対して向けられる、同じ立場の筈の元犯罪者の妬みの感情には同情を感じなくもなかった。

3人の中では最も大人しさと優しさを感じた少年が、様々な経験を経て行く中で狡猾な顔を現して行く。これは、そもそも彼の中に備わっていた”悪の面”が成長して行っただけなのか?はたまた、後天的に体得”させられてしまった”ものなのか?

謎解きという面では、比較的早い段階で全貌が見えてしまったが、少年達が抱える”闇の部分”や心の葛藤に、ついつい「自分が彼の立場だったらどうするだろうか?」という自問自答をしてしまう等、どっぷりと作品世界にのめり込めた。

総合評価は星4つ

コメント (10)    この記事についてブログを書く
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10 コメント

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Unknown (アラメイン伯)
2006-12-19 21:22:33
罪の重さによります。ちよっとした窃盗とかそんなものならまだ更正の余地もありましょうが、殺人は一生その罪の重さを背負っていかなければならないはずです。少年法の適用から外されるべきだと考えます。
今のままだと仮にヤクザが少年を殺し屋として雇って誰かを殺させたら罪も軽くて出所後は巨額の報酬も手に入ることになります。
かなり効率的な方法です。
やはり変ですよ。
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戦でも殺人は殺人 (マヌケ)
2006-12-20 09:37:41
改心する心を持たない性根から悪である者や犯罪という病気に罹って直らない人も人間の中にはいるのだと思います。 中学時代のクラスの友達でおそらく彼は病気だったのではないかと思うのですが、アルミキャップに火薬を詰めて爆弾を作りました。 駅のホームで店頭してポケットに持っていた爆弾が暴発し右手の指を失うとともに公園の電話ボックスを爆破した犯人だったこともわかりました。 彼は少年鑑別所に入りましたが卒業までには戻ってきました。 爆発物への異常な執着心は消えないままで普段は普通の学生の顔をしていました。 今はどうしているのか知りません。 人を殺してしまったらもう元の自分には戻れないのだと思います。 どのような事情があっても罪を償っても。 それは常人の心で一生苦悩するのだと思います。 ところが改心もせずまた同じ罪を犯してしまうのは頭に問題があるのか、性根から悪なのか、病気なのかだと思います。 フォークランド紛争のドキュメンタリーで見た英兵が突然現れた敵と対峙して向こうが一瞬躊躇したため先に引き金を引いただけだったが、敵がくず折れる瞬間が脳裏から離れないし元の自分に戻れないと語っていました。 あれから何十年も経っていてもです。 汚れた手で幸せをつかむことはできないと語っていました。 紹介いただいた著書には関心がありますので是非読んでみたいと思います。 改心しない人間は刑罰で止めを刺すしかないと私は思います。
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なんかぐちっぽいけど・・ (ほーほー)
2006-12-20 15:02:24
ホームレス殺人の事件、まだ、詳しいことは伝えられてないけど・・14歳未満だと、実質「刑」というものが存在しないらしくて、せいぜい、児童相談所あたりで、厳重注意・人殺してそれで、済んじゃうって・・もう、頭がぐるぐるします。
「思いっきり、めった打ちにした」と、少年が述べてて、それに対して行政の反応がそんなのんで、更正するわけ?逆に、あ。俺たちのやったことって、こんな程度の犯罪なのね・・彼らはそう思うのではないでしょうか?
ある、犯罪で、少年刑務所に行った少年が、いっしょに犯行を犯した仲間で少年院にいったほうは、出てきてみたらちっとも変わってなかった。更正してなかった。罪の意識がなかった・・て、朝の番組で言ってました。

成長のいい少年が、69歳のおばあさんを、集団で襲い、棒で頭、体、顔、力をこめて殴り、リンチで殺した。。彼女からは、まったく抵抗がなかったって。。
残酷、卑怯、・・・
この子たちの親って、責任を問う気もしないくらいのとんでもないバカ親なのか・・一応、世間並みのふつうの親で、面倒くさいからほっておいた・・という人たちなのか・・(子供に対する危機感知能力にぶいのか?)
まっ、やっぱり、これは、、親子でなんとかしなあかんわ。。。

ちらっと、少年の母親のインタビュー映ってたけど、けっこうな強い口調で、「まだ、何も知らされてないので、わかりませんっ!」と、一言。
思わず、「このボケ女!学校にも言ってない息子が、タバコを吸って、夜ナ夜な仲間とどこかをうろついてる。いいことしてるか、悪いことしてるか、そんなもんは、すぐにわかるやろが。。」もう、母親に憎しみを感じました。

とにかく、犯行時13歳であろうが、残酷な殺人に見合った罪を!!
このまま何もなかったように、人生を送らせるのか?

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おぞましい薬物禍も頭に入れて書いてください (Spa supernova)
2006-12-20 18:42:50
>その後出所していた人物だった・

確かあの連中はシンナーのやりすぎがもたらす病(あれは怖いらしい)や社会からの無言の制裁等により出所後神経を病んでいて異常であったらしい。
確かに感情的には許せないし、一生外に出られなくすればいい、と思うが、そんな者でも簡単に出られる刑罰、あるいはそんな者を生む社会に問題があるということも考えて書いたほうがいいのでは。感情論だけではテレビ朝日のワイドショーや「テレビタックル」と同じですよ。


自分が中高の頃「アンパン」と称してシンナーをやり、歯抜けになったり(女子もいたな…)したあの子達はどうなっているのか?とたまに思いますね。

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>マヌケ様 (giants-55)
2006-12-21 00:58:47
書き込み有難うございました。

人を殺めるという行為は同じなれども、其処に到る経緯や動機は当然ながら百人百様。それがどういう経緯や動機で在ろうが、決して許されない事なのも又当然なのですが、哀しいかな人間は感情に左右される生き物で、其処に同情すべき点が垣間見れてしまうと、どうしても糾弾する気持ちが萎えてしまうという面は在りますね。「幼き頃より両親から虐待され続けて来た子供が、その両親を殺してしまった。」なんてケースは正にそういったものですが、逆に「誰でも良いから殺したかった。」等という快楽殺人の様なものや、自身の欲求を満たすだけの為に無関係な人間を殺めたなんていうのは全く同情の余地無しで、あくまでも私見ですがこういった輩は更生の可能性がゼロの様に思います。
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>ほーほー様 (giants-55)
2006-12-21 01:09:10
書き込み有難うございました。

ホームレス殺人事件、確か集団で襲ったという事でしたよね?供述を見る限りでは、相手が死ぬのが判った上で暴行の限りを尽くしていた様で、この集団の中に「悪い事をしてはいけない!」と言える(思える)人物が居なかったにせよ、せめて「こんな事をしたら相手が死んじゃうよ!それに無抵抗な人間に暴行加えるなんて卑怯だし。」と口に出来る人間が居なかったのが恐ろしい所。虐めと同様に、集団の中に在って正論を吐くと、その時点でそれを口にした者が被害者に転化してしまうという恐怖が支配していたのでしょうか?

こういった子供達の親が全て駄目とは言いませんが、概して「放任主義」と「産み捨て」を取り違えているアホ親が多いのではないかという気がします。明らかに産み捨てしている親は、子供が問題を起こした際には同罪に処しても良いと、暴論かもしれませんが思いますね。
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>Spa supernova様 (giants-55)
2006-12-21 01:22:28
書き込み有難うございました。

劣等生の身では在りましたが少なからず法律を齧った人間として、感情論で語ってしまうのはまずいのですが、どうしてもこの手の問題には感情論が先行してしまうんです。失礼致しました。

御指摘の通り、薬物禍は決して看過してはならない問題だと思います。当事者のみならず、薬物中毒になった者から危害を加えられた被害者、その親族、そして時には当事者の親族にも多大な災いをもたらすものですから。

最近でこそ薬物に関して取締りが厳しくなって来ましたが、それでも未だ生温い様に感じます。「胴元から政界に何等かの形でブラック・マネーが還流しているから、抜本的な取り締まりが出来ないのでは?」と思ってしまう程。

安倍ちゃんも「美しい国」を連呼するならば、命を賭してでも”闇”にメスを入れて貰いたい。まあ妙な団体に入れ揚げているという噂もチラホラ在りますから、そういった気持ちは起こらないのでしょうが(苦笑)。
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Unknown (KURT COBAIN)
2007-01-04 12:11:07
僕は17の高2です。今『空白の叫び』を読み終わりました。終わり方にどうもしっくりこなく、この本について誰かと意見を交わしたいと思ったんですが身近に読書好きの友人がいません。それで僕はアンチPC類なのですが今こそ文明の利器を使おうということでブログ検索で一番始めに出たここにコメントさせてもらうことにしました。終わり方にしっくりこないというのは只単に葛城と久藤のその後が気になるというだけで作品自体は面白かったです。しっくりこないというのは違いますね。僕がひっかかったのは帯の「普通の少年がなぜ…」というのです。読み終えてあの3人はやはり小説上の人物でしかあり得ないと思いました。普通ではない。

少年法は甘いと思います。憲法を変えるのなら少年法こそ変えるべきです。今は小学生も高学年になれば幼さは感じられない。僕は人間の性は悪だとする性悪説を信じています。環境が人を悪にするとも思いますが、それで悪になるならやはり性は悪だと思います。だから故意に殺人を犯した人間は死刑になるべきだと思います。被害者のあらゆる人権を永久に奪った殺人者の人権を擁護するこの世界が信じられない。もちろん冤罪など多々問題はあるんだろうと思います。でも悲惨なニュースを毎日のように耳にし、中学生の時に思い至った結論が、殺人者はその者が被害者を死に至らしめた方法で死刑になるべきだということです。

僕がおかしいのかもしれません。でもただの気紛れで自分の考えを言いたくなっただけですから、削除するなり何なりしてください。

僕は『慟哭』を読んで引き込まれたただの貫井徳郎ファンです。
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ニルバーナ (マヌケ)
2007-01-04 14:08:22
現実の出来事や世相や風潮に流されること、一時の怒りで極論に走ることは拙い思考と言えます。 死刑が存在していてもこれほど凶悪な事件が起こる現実を何とかする方法が少年法の改正であるとか即人間は性悪なものだという結論にいたる前にそう判断するだけの十分な人生を自分が生き多くの経験を積み重ねた上での考えならばまだしもあなたはまだ高校生ではありませんか。 あなたの頭の中にある世界はあなたがこれまで見てきただけの範囲でしかありません。 外見上は今の子供は小学校高学年でも大人びているかもしれません、しかしそれは世の中が、テレビや雑誌や大人の影響で大人と同じくらいの消費者であらしめようとする経済の中に取り込まれているからかもしれません。 しかし、中身はまるきり子供という未熟なもので、大人の助けがなくては何も出来ないものです。 未成年が犯罪に走る原因の多くは彼らを助けるべき大人や社会そのものにあることは確かなのです。 あなたは正義感の強い青年なのだと思います。 しかし被害者の立場になって考えることは誰にでもできますが、加害者がなぜそうなったのかも同様に考えることも必要だとは思いませんか? この世の中はかしこい人もだめな人も同じくらいいてどうにかこうにかやれている、実は脆弱なものなのかもしれません。 少年法に関しては私も個人的にあなたの意見には賛成なのですが、凶悪な犯罪の原因や理由は人間そのものの性悪さというところには疑問を持ちます。
ところでサダム・フセインの死刑は私には恨みをはらすとか憂さばらしのパフォーマンスのように見えました。 あのようなことを国家レベルで行うことは蛮行に等しいと思いました。 彼の口から謝罪の言葉を引き出すこともなく葬り去るような恨みをはらすためのシステムになってしまうこと、見せ物にして第三者が傍観し憂さ晴らしをするようなシステムになってしまうことは間違いではないでしょうか。 人間のすることは古代も中世も近代も現代も大して変わりないですね。  
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>KURT COBAIN様&マヌケ様 (giants-55)
2007-01-04 21:03:23
>KURT COBAIN様
初めまして。書き込み有難うございました。

アンチPC派という事なのに、わざわざこんなブログを見付けて書き込みして下さった事に感謝致しております。

「普通の少年」という捉え方には確かに自分も最初はやや違和感を覚えました。それはどういう形で在れ、他者の命を奪っている以上は普通の少年足り得ないではないかという思いが在ったからです。しかし、「殺人者」というフィルターを外してみた時、一般よりも悪ぶっていたり、金銭的に恵まれていたり、逆に不幸だったりという面は在るものの、素顔の部分は普通の少年と言ってもあながち方向違いでは無いのかもと感じる様になりました。最初から”意図して”人を殺めようと思っていなかった筈なのに、一寸した”爆発”から人を殺めてしまった。勿論、上でも書きました様にどういう形で在れ他者の命を奪ってしまった以上は、それが正当化されるべきものではないというのは言う迄も在りませんが。

小説の終わり方にしっくり来ないという面で言えば、自分は「何故あの3人の中で、作者は神原だけを死なせ、残り2人の少年は生き残らせるストーリーをチョイスしたのだろうか?」という思いが在りました。誰かが死ぬというストーリー設定にしろ、それが何故神原だったのか?という疑問。其処に作者の何等かの意図(訴えたかった部分)が在るのかなあと。

自分の場合、貫井徳郎氏の作品で最初に出遭ったのは「殺人症候群」。「様々な意味合いから興味深い作品。」という書評を目にして読んだのですが、これ以降貫井作品にはまりました。読み進めて行く中で、色々考えさせられる作家の一人ですよね。


>KURT COBAIN様&マヌケ様
マヌケ様、書き込み有難うございました。

自分が小学校高学年の頃を振り返った時、自分としては大人の様に自身を感じていた部分も在りましたが、今考えるととんでもな唯のガキでしたね(笑)。今の子供は見た目の成長が自分等の頃とは比較にならない程著しく、売春行為(援助交際という奇麗事的な表現は嫌いなので、敢えてこの言い方をさせて貰いますが。)を為していた女の子を補導してみたら実は小学生だったなんてニュースも耳にしますし。でも、幾ら見た目が大人で在ろうとも、どれだけインターネット等の普及で多くの情報に触れられ様とも、内面はやはり子供だと自分も思います。促成栽培の野菜が見た目は普通に作られた野菜と同じで在っても、概して普通に作られたものよりも味が落ちるのと同じ様に、見た目だけでは判断出来ないというのは、人間の方が特に強いのではないかと。

唯、私見で言えばKURT COBAIN様の御意見に正直自分は近い考えを持っています。と言うのも、性善説よりは性悪説に正しさを感じますし、どうしても被害者の側に立って物を見てしまう(昨今の理不尽且つ残酷な事件が多い世の中では、特にその気持ちが強くなってしまうのですが。)からです。

しかしマヌケ様の書かれている様に、「加害者はどうして犯罪に手を染めてしまったのか?」という事に思いを馳せる事は必要だし、重要だとは思います。御二方共御存知かとは思いますが、1968年に世の中を震撼させた「連続射殺事件」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E7%B6%9A%E3%83%94%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB%E5%B0%84%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6)というものが在ります。これは一人の少年が僅かばかりの金銭を奪う為に、1ヵ月の間に見ず知らずの人間を4人もピストルで射殺したという事件でした。少年の名前は永山則夫(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%B1%B1%E5%89%87%E5%A4%AB)といい、逮捕された時は19歳10ヶ月という年齢。

虫けらを殺すが如く人を殺めていったこの少年に、世間は戦慄の思いを感じたのですが、その後に彼が獄中で記した手記「無知の涙」によって再び世間は衝撃を受ける事になります。それは彼が育って来た環境が余りにも劣悪で、その事に深い同情を覚えずにはいられなかった為です。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%B1%B1%E5%89%87%E5%A4%AB#.E7.94.9F.E3.81.84.E7.AB.8B.E3.81.A1

だからと言って、他者の命を奪って良いという事には絶対に繋がらないのは勿論の事ですし、此処に書かれていた事はもしかしたら一面的に過ぎるかもしれませんよね。自分が絶対に許す事の出来ない事件の一つ「女子高生コンクリート詰め殺人事件」(http://profiler.hp.infoseek.co.jp/concrete.htm)の加害者達も、報道されている部分とは異なった面が”もしかしたら”在り、其処に”もしかしたら”自分が同情を覚える部分が在るかもしれないのと同様に、結局は当事者の側にいないと全ては見えないのですから。

ですので、私見としてはKURT COBAIN様の御意見に近い考えを持っているものの、先ずは両者(加害者&被害者)の観点に立って物を見る(考える)というのは重要だと思います。

何か纏まりの無い文章になってしまって申し訳在りません。

今後とも何卒宜しく御願い致します。
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