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「ゆるキャン△」に登場しない大井川鐡道を巡る その11 新金谷駅側線の電気機関車と旧型客車

2024年03月20日 | ゆるキャン△

 新金谷車両区の車輛群を東の公園から見ました。上図は南海6000系と東急7200系です。後者はこの日も翌日も全く動いていませんでしたので、運休日であったか、または要点検であったのかもしれません。前者は令和六年度中に営業運転に入るとの噂があるようで、ひょっとしたらこの両者が置き換わるのかもしれないな、と思いました。

 

 

 蒸気機関車のC10形8号機は、まだ運転準備中でしたが、煙突にかぶせられていた排煙ノズルは外されていました。ボイラーの圧力が規定値に達して黒煙が白煙に変わっていたからでしょうか。
 このC10形8号機が、これから私も乗るSL急行かわね路号の牽引機関車を勤めます。私にとっては初めてのSL急行かわね路号の蒸気機関車なので、ワクワク気分でしばらく眺めていました。

 時々「シューッシューッ」「ポッポッ」という音が小刻みに聞こえました。前者は下の方から響いてきましたので、おそらくドレーン(蒸気が冷えて水になったもの、凝結水)の排出音でしょう。後者の「ポッポッ」は煙突からの白煙とともに響いてきましたので、蒸気のブラスト(強い風、突風)だな、と感じました。

 上図では見えませんが、煙突の近くに吐出管というのがあり、これはドラフト弁とも呼ばれますが、その音らしいのがかすかに「ジュッ、ジュッ・・・」というように聞こえました。ボイラーから煙突までの一連の通風、通気の機構が作動している状態でああいう音が出ているのかもしれませんが、一般的にSLの音として言われる「ドラフト音」というのは、ドレーンやブラストや排気関連などの音の総称であるそうです。

 

 そのドラフト音が低く辺りに響き渡っていました。停止中でこの状態でしたから、走行中はドラフト音が高く大きくなるわけです。私が子供の頃は、あちこちの鉄道でまだドラフト音が響いていたといいますが、かすかに記憶しているのは国鉄時代の中央本線と二俣線ぐらいのものです。

 中央本線は、母の実家筋にあたる親戚の一家が高蔵寺駅の近くにあった関係で、子供の頃は名古屋から何度も乗りました。また定光寺駅近くの川沿いの民宿へ毎年の夏に家族で遊びに行った時期があり、その頃に川遊びをしていて上の線路を蒸気機関車がドラフト音を響かせて通ってゆくのを、たなびく白煙を目で追いつつ見ていた記憶があります。

 二俣線は、現在の天竜浜名湖鉄道にあたりますが、その三ヶ日駅の付近に親戚の家がありました。母と一番仲が良かった弟にあたる叔父の家、そして母の兄にあたる伯父の家がともに三ヶ日の街区にありました。
 子供の頃は、どうも豊橋駅からそのまま三ヶ日駅まで乗っていたように思います。新所原駅で乗り換えた、という記憶が無いのです。

 そして叔父が当時は国鉄の保線員を勤めていた関係で、当時は遠江二俣駅と呼ばれていた二俣駅の車両区へ連れて行ってくれて、そのときに蒸気機関車に乗せてもらった事があります。
 その時の写真がアルバムにあるので確認してみたら、蒸気機関車は豊橋機関区所属のC50形96号機でした。豊橋駅から二俣線に出入りしていたようです。

 

 さてこちらはE31形電気機関車です。パンタグラフを畳んで収納しているので、この日は運行予定が無いようです。

 

 公園の線路わきに上図の「SL広場」の石碑がありました。

 

 もう1輌のE31形電気機関車は、これから乗るSL急行かわね路号の補機として最後尾についてパンタグラフも片方を上げていました。

 

 この日のきかんしゃトーマスは静かに停まっていました。この日は運行しないようでした。

 

 側線沿いに北へ歩くと、留置されている旧型客車が見えてきました。片側のドアが3つあるタイプでした。

 

 これも検査または修理中であるのか、錆止めの赤い塗料が各所に塗られていました。

 

 側面の車番を見て、あっこれはNゲージで持っている客車だ、と気付きました。優等列車用の三等座席荷物合造車であるオハニ36-7、間違いない、と二度見て確認しました。マイクロエースのA4295番、「C12-164・44系客車「トラストトレイン」青色4両セット」を夏に中古ショップで買ったのですが、その客車3輌のうちの1輌がこのオハニ36-7でした。

 やっぱり模型を手元に置いて見ていると、実物を見た瞬間に「あっ、これだ」とすぐに分かります。Nゲージは小さくても細部の再現度がなかなかのものですから、それを1/1に拡大した姿をそのまま見るという形になります。おお・・・、と感動してしまいます。

 

  その北にも3輌ほど繋がっていましたが、宅地の横なので近寄ることが出来ず、側面の車番も草木に隠れて見えませんでした。外観と車体色から、たぶんオハ35かな、と思いました。

 これらの旧型客車は、新金谷駅のホームからのほうが、よく見えそうに思えたので、とりあえず、宅地のなかの道を旧東海道筋まで北上し、北から回って新金谷駅に戻ることにしました。  (続く)

 


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