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紫野大徳寺21 芳春院 上

2023年08月17日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2023年2月11日、水戸の友人U氏の京都散策に付き合って、紫野の大徳寺および花園の妙心寺を回りました。春の京都の特別公開で見たいものがあるから行こうぜ、と誘われたからでした。U氏は奥さんも連れてきていて、そちらは私の嫁さんと四条河原町へショッピングに行くとかで、夕方に合流して4人で食事しよう、ということになりました。

 今回U氏がリクエストした特別公開スポットは、大徳寺の塔頭2ヶ所と妙心寺の塔頭2ヶ所でした。いずれも行った事が無かったので、興味津々でお供しました。祇園四条の宿に前泊してきたU氏と8時に合流して、市バス206系統に乗り、大徳寺前で降りて上図の中門から境内地に進みました。

 

 U氏のリクエストの1ヶ所目は、上図の三玄院でした。石田三成や古田織部の墓があることで知られますが、寺そのものは明治11年にかつての龍翔寺の場所であった現在地に移転しているそうで、建物や庭園もその頃から整備されてきたもののようです。
 なので、管見の限りでは、国や府の指定文化財になっているものは無い、と聞いています。

 

 さらに、三玄院の門内は写真撮影が不可となっていました。にもかかわらず大勢の観光客や見学希望者が集まり、行列を作っていました。誘導係が整理番号札をあらかじめ配り、人数を限ってグループごとにまとめて待機させ、間を置いて順に入れる形でした。見学範囲は寺域の半分にも満たず、本堂、方丈、庭園の一部しか公開しなかったため、大勢の人数が一度に入れなかったからでした。

 それでもU氏が「絶対に行く、行かなかったら一生後悔するかもしれん」と言い、長い待機行列にじっと佇んでいたのは、今回の三玄院の特別公開が、なんと50年ぶりであったからでした。今年2023年3月に文化庁が京都に移転するのを記念して、NHK大河ドラマ「どうする家康」にちなんで家康とゆかりある人物の史跡を公開する、との趣旨にのっとっての特別公開でした。

 

 三玄院の見学は、時間を限ってグループごとに係員に案内されて回る形でした。次のグループが控えているので、立ち止まったり座ったりはNGで、回るというより、人の波に押し流されているのが実態でした。

 それでほとんど見るべき対象も定まらず、寺内の何ものも印象に残らないまま、5分足らずで退出しましたが、U氏も同じ思いだったようで「何も無かったな、せめて三成公の墓ぐらいは拝みたかったな」とボヤいていました。

 ですが、次はU氏のリクエストのメインであった芳春院でしたので、「よし次だ」と元気になってそちらへ足早に向かってゆくのでした。

 

 芳春院の山門です。寺が明治の廃仏毀釈で壊滅して荒廃したため、参道入口に位置するこの門も、明治八年(1875)以降の復興において設けられています。境内地は北に離れていて別に表門が建っているので、こちらの門は山門というより通用口というのに近いです。

 

 表門から参道を北へしばらく進みました。その西側は塔頭の如意庵の境内地となっています。その土塀に沿って梅、桜、紅葉の木が並ぶので、春秋を通じて花の見どころにもなっています。私たちが訪れたのは2月でしたから、花の咲く時期には早すぎました。

 

 参道を北の突き当りで右折して進むと、上図の表門がありました。ここからが芳春院の寺域にあたります。表門は江戸期の建物で、廃仏毀釈後の荒廃期にはボロボロになっていたそうですが、明治八年からの復興事業において修理され、旧観を取り戻しています。京都府の指定文化財に登録されています。

 

 表門の東側の塀は、御覧のとおりの瓦土塀でした。奈良や京都の古社寺では古代からの遺構をよく見かけますが、関東では古いものは少ないらしく、U氏がしきりに珍しがって立ち止まって観察し、写真を撮っていました。

 このように土塀の壁面に瓦を埋め込むことで、土塀に染み込んだ雨水を排水し、かつ土塀自体の強度を増す効果があります。同時に見た目にも変化がありますので、土塀の意匠の一つとして、中世期から好んで採用されるようになったと聞きます。

 古代においては、古い土塀を修理または造りなおす際に、古い瓦や割れた瓦を材料の一部に組み込んで有効に再利用したケースが多いのですが、中世期には瓦そのものが頑丈になって建築用素材としても活用出来るようになったため、このような瓦土塀がよく作られています。土だけの土塀よりも頑丈で耐久性があるため、戦国期には城郭の塀にもよく採用されています。

 

 瓦土塀を観察し終えたU氏が、なにか満足げに「では、参りましょうかの」と水戸光圀ばりの口調で話しかけてきたので、こちらもおどけて佐々木助三郎の口調で「ははっ」と短く応じて、先導して上図の庫裏へと向かいました。  (続く)

 


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