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「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

伏見城の面影12 南禅寺金地院の明智門

2024年07月06日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 南禅寺金地院の山門をくぐり、右脇の拝観受付で拝観料を払った後、U氏が「さあ、まずはあれだな」と上図の庫裏に向かって左手に建つ門の建物を指差しました・

 

 U氏が指さした門の建物です。境内地の中門としての位置にあります。
「あれだ、あれがもと大徳寺の、現在の唐門の位置にあったという明智光秀の寄進門だな・・・」
「うん」

 

 傍らの説明板にも、天正十年(1582)に明智光秀が大徳寺に寄進建立し、明治元年(1868)に南禅寺金地院の現在地に移築した旨が書かれてありました。

 去る5月に大徳寺の特別公開に行った折、この明智門が移築されて後に移されてきた国宝の唐門をU氏と共に見ましたが、その際にガイドの方が「もとはここに明智光秀が寄進した唐門があって明智門と呼ばれていました」と説明していました。そのときの記事はこちら

 

 「これがもとは大徳寺方丈の唐門だったわけか。なんかえらく質素にみえるな」
 「ああ、いまの豪華絢爛な国宝の唐門とは全然違うね。むしろこっちのほうが、大徳寺方丈の佇まいには相応しいね」  
 「そりゃそうだろう、光秀ほどの文化教養人ならばこそ、大徳寺方丈との調和を重視してこういう設えにまとめたわけだ」
 「そういうことやね」

 

 「ただ、規模的にはこっちがちょっと小さいのと違うかな」
 「やっぱりそう思うかね。僕もそれを思ったんよ」
 「この柱とかも、華奢という感じで細いな」
 「まあ、あっちの現在の唐門はもとは聚楽第の門やったと伝わるし、本質的には城郭向けの門やったから部材も太くて堅牢なんやろうな」
 「うむ」

 

 「こっちのは、いかにも寺院中枢部の唐門という雰囲気だな」
 「せやな」
 「彩色の痕跡とか、無いみたいだな。素木づくりの門だったのかな」
 「だろうね、胡粉の痕もまったく見えへんし、大徳寺方丈の正門にあたる唐門だったから、装飾意匠は最低限におさえて目立たなくしてるしね」

 

 「門扉も丁寧にしっかり造られてるね」
 「上部が連子窓になってるの、当初からの状態のまんまなんだろうかね・・・」
 「ん?・・・ああ、なるほど。大徳寺方丈の唐門やった時は連子窓やなかった可能性があるな。基本的に方丈の玄関門は板戸で内部が見えないように造るからね・・・」
 「だろう?ここへ移築してからさ、ここは中に庭園とかあるだろ、そういうのが門を閉じててもある程度見えるように連子窓に改造したのと違うかね?」
 「その可能性はあるな・・・。よし、調べてみる。この門の修理報告書とか出ていれば、詳細は分かる筈」

 

 「屋根裏の木組みだけに装飾の彫り物が施されてるぞ。本当に目立たない、最低限の装飾だ」
 「こういうのが戦国期当時の粋ってもんやったかもしれん。もしくは光秀の美意識やったかもしれん」
 「うむ。派手好みの秀吉とは対照的やな。桃山建築の豪華絢爛さは秀吉個人の好みからきてるんだろうな」
 「信長の時期にも贅沢な建物はあっただろうけど、細部まで色とりどり、ピカピカってのは安土城でも無かったらしいからね。信長のオシャレの感覚は品格があるって感じ。秀吉のオシャレは農民が贅沢な羽織着て単純に喜んでる感じ」
 「まさしく」

 

 明智門をくぐって内側から見ました。太陽の位置の関係で、正面から見ると逆光になったので、内側から見ると上図のように綺麗に見えました。前後とも同じ形の唐破風屋根なので、棟瓦も前後に載せられています。

 

 唐門の内側に広がる庭園の園池です。寛永九年(1632)に崇伝が徳川家光を迎えるために小堀遠州に作庭させたもので「鶴亀の庭」と呼ばれます。国の特別名勝に指定されています。隣には弁天池があります。

 

 明智門は、その「鶴亀の庭」および弁天池を一巡する散策路の起点に位置しており、左手に進むのが拝観順路となっているので、先に弁天池の周りをまわって東照宮に行き、そこから方丈へと回って「鶴亀の庭」を見る、という流れになります。

 

 U氏が唐破風の上の棟瓦を見、スマホで撮っていましたので、私も同じように撮りました。撮影後もU氏がしばらく見上げていたので、横から問いかけました。

 「水戸の・・・、もしかして、明智氏の桔梗紋があるかどうかを確かめたのか」
 「実は、そうなんだ。でもあの通り、桔梗紋は無いなあ・・・」
 「もとは大徳寺に寄進した門だから、普通は大徳寺の寺紋になるのと違うか。いまは南禅寺金地院に在るから、その寺紋に換えられるやろうし・・・」
 「そう、そうなんだな。でも今は寺紋すら入ってない。普遍的な三つ巴紋だ」
 「でも、寄進建立の当初の棟瓦かどうかは分からんぞ。移築してるんなら、小修理というか改造も受けてるだろうし」
 「そういうことだな・・・」

 U氏はちょっと残念そうに、上げていた視線を下ろしました。おそらく、明智光秀建立の確かなしるしを、断片でもいいから、捉えたかったのに違いありません。  (続く)

 

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