気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

妙心寺桂春院へ

2022年07月14日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2021年11月20日、水戸の友人U氏に誘われての大徳寺塔頭特別公開見学の後、まだ時間があったのでどこか一ヶ所、他の禅寺の塔頭へ行きたいとのU氏の希望により、妙心寺桂春院へ向かいました。
 一般的には妙心寺へは南側の花園界隈から南総門を経て入りますが、桂春院は広い境内地の北東側に位置するため、北門から入ったほうが近いと判断しました。それで大徳寺前から市バス204系統に乗って北野白梅町まで行き、26系統に乗り換えて上図の妙心寺北門前のバス停で下車しました。

 

 バス停からは北門の反対側、つまり東側の路地へ入り、歩いて5分ほどで、上図の妙心寺桂春院の表門前に着きました。妙心寺の塔頭は山内、境外あわせて40数ヶ所が数えられますが、常時公開しているのは退蔵院、大心院とここ桂春院の3ヶ所だけです。特別公開の機会も大徳寺に比べると少ないので、妙心寺の塔頭というと非公開のイメージが強いです。

 そのためか、U氏は妙心寺へは初めての訪問でした。私も妙心寺へはまだ二度ぐらいしか寄っていませんので、中心伽藍はまだ全然見る機会を得ないままです。過去に訪れたのは、ここ桂春院と、養源院の特別公開だけです。

 

 門脇の案内板です。ここへは初参拝のU氏が早速読み始めましたが、「風化退色がかなりあるんで、ちょっと読みづらいな」とぼやいていました。それでも真剣に二度読みするところは流石でした。京都の芸大で共に学んでいた頃から、資料や説明文を二度または三度読みしてきちんと理解しようとするスタンスは変わっていません。

 

 京都市指定文化財の江戸期の表門をくぐって中に入りました。石畳の道が左右に分かれ、右手をみると上図のように方丈の玄関にあたる唐門と庭園の仕切り塀が見えました。今回は足止めの立札がありましたので、参拝路は左手の庫裏から入る形でした。

 

 左手に進むと京都市指定文化財の庫裏がありました。表門と同じ江戸期の建築を近年に修繕しています。今回の拝観受付はこの庫裏の玄関にあり、そこから庫裏内部を経て書院、方丈へと移動しました。それ以降は、初訪問のU氏に楽しんでもらおうと、常に彼を先にして、その後についていきました。

 

 庫裏から書院への廊下を進むと、右手に上図の「清浄の庭」と名付けられる庭園が見えてきました。それを跨ぐ通廊の壁に花頭窓(かとうまど)が設けられ、それが独特の雰囲気を石庭のうえに添えていました。「清浄の庭」の石庭のメインは白砂の清流で、それを花頭窓からも眺められるような構造の中庭となっています。

 

 U氏が「さっき見てきた大徳寺の大仙院のアレみたいだな」と気に入った様子でしばらく眺めていました。大徳寺大仙院にも通廊の壁に花頭窓(かとうまど)が設けられた有名な中庭があり、そちらは国宝になっています。室町期から著名な庭園として知られた大仙院の構えを、各地の禅寺にて模倣した動きがあったとされていますが、江戸期成立の桂春院においても同様であったのでしょう。

 U氏は「でもこっちのほうがいい感じだな。大仙院のは庭園の添え物みたいな壁と花頭窓だったけど、こっちのは方丈への通廊の壁に花頭窓がついてて、普通に移動しながら庭園を見るスタイルだから、それなりに実用的にしっかり設えてあるといった感じだな」と感心していました。

 上図の順路の廊下をまっすぐ奥へ進むと書院へ、右へ曲がって花頭窓の通廊をわたると本堂の方丈へと行きますが、U氏はまず奥の書院へと進みました。

 

 書院に入りました。桂春院を中興整備した戦国武将の石河貞政(いしこさだまさ)が寛永九年(1632)に父光政の50回忌の追善供養のために、弟で禅僧であった桂南守仙(けいなんしゅせん)を中興開山に請じて建物を寄進整備した際の建物です。その主室空間が公開されていて、上図のように奥に床の間がありました。

 

 書院主室の前縁より、歩いてきた庫裏からの廊下を見ました。左端に花頭窓付きの通廊への取り付きが見えます。この書院建築は、石河貞政が寛永八年(1631)に城主を務めていた長浜城から移築したもので、江戸期の城郭書院の遺構としても貴重です。共に移築された茶室は「既白庵(きはくあん)」と称し、茶道の庸軒流(ようけんりゅう)の構えの茶室とされますが、非公開です。書院の裏手に建つので、書院の見学路からは全く見えません。

 

 書院の庭は「侘の庭」と呼ばれます。桂春院にある、国指定名勝の四つの庭園のひとつで、地面は蒼苔で覆われて典型的な苔庭の様相を示しています。その外側に上図の簡素な露地門があって「梅軒門」と呼ばれます。それをくぐると「思惟の庭」へと行けますが、拝観順路ではないので、「梅軒門」も書院の廻縁より庭園の一部として鑑賞するのみになっています。その奥の「思惟の庭」も、今回は拝観順路外となって遠望するのみでした。  (続く)

 

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