日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

日本文学の金字塔一本 「JR上野駅公園口」

2021年01月29日 07時27分03秒 | 政治
 柳美里の小説「JR上野駅公園口」(河出書房新社)は、昨秋11月、アメリカで最も権威ある文学賞の一つと言われる「全米図書賞」の翻訳文学部門賞を受賞したという。めずらしい「賞」で、しかも日本文学を英語に翻訳したその出来栄えを讃えることと、小説作品の中身とどういう関係があるのかしらという興味から先ずは読んでみた。
 「読んでみた」というのは、「読んだ」のだが、翻訳賞というからには英訳を読まないと分からない理屈だが、手に入らないのをいいことにして邦語原作の方だけを読んだのだが。
 主人公は1933年(昭和8年)12月23日、平成天皇誕生日に福島県相馬郡八沢村(現南相馬市)で生まれた。昭和8年と言えば、その1月にはドイツでヒトラーが首相に就任し、2月には日本が国際連合を脱退、軍靴の音が一段と高鳴る世相の、さらに3月には八沢村は昭和三陸大津波に襲われて多くの死者を出すという、日本と世界と当人とにとって暗黒時代の始まりであった。
 主人公にとって唯一の幸いは戦時中に徴兵年齢に達しなかったので戦場に駆り出されることは無く、過疎の村には米軍の攻撃も無かったから命を失うことは無かった。敗戦から2年後静かな村が大いに沸いたことがあった。昭和天皇が僥倖の途次、常磐線原ノ町駅頭に7分間立つという「事件」が有ったのだ。2万人の群衆に向かって帽子を掲げる天皇、何時果てるとも知れないバンザイの歓呼が大地の唸りのように鳴り響いたのを主人公は生涯記憶し、これが彼の「心の原風景」となった。
 主人公にとって話に聞くだけの天皇制の存在だったのだが、あの時の記憶に加えて、長じて妻を迎えると、彼女の名前が昭和天皇の母君貞明皇后の諱(いみな)と同じの「節子」であったから、皇室に対する尊敬の念が大いに高まった。やがて夫婦の間には娘・洋子と息子の浩一が授かる。洋子は太平洋の「洋」から、浩一は彼の誕生と同日に皇太子ご夫妻の間に生まれた皇孫殿下のご称号が浩宮(現天皇)と聞いてその一字を頂いて「浩一」と名付けた。
 敗戦直後の農村は食うには困らない最低限の食糧を自作していたが、やがて復興と共に金銭経済の世界がやってくる。食えるだけでは生活が成り立たない。第一、子供たちの教育ができない。水飲み百姓の主人公には復興著しい東京に出稼ぎに出て稼ぐ以外に金銭を得る手段も方法も見つからなかった。また、近隣の人々も一斉に東京に出ていくのがトレンドでもあった。
 東京オリンピック前年の1959年12月27日、26歳の彼は初めて東京上野駅頭に降り立った。この日は昭和天皇が摂政時代の1923年、難波大輔に襲撃された「虎の門事件」の記念日であった。その日から盆と正月に帰省するだけの生活が続くことになった。この間に彼が関った仕事は東京オリンピックの主会場国立競技場の建設現場、次々と延びていく首都高速道路建設、日に日に巨大化していく大企業本社の高層ビル建設現場の力仕事だった。この間に頼みにしていた浩一が21歳の若さで死んだ。
 60歳で出稼ぎを辞めて郷里に帰り悠々自適の隠居生活を送るつもりだったが、帰省して間もなく労苦を共にした妻の節子が亡くなった。彼はあの働き盛りを過ごした東京に再び向かう。何の目的があったのでもない。着いた先は題名の「JR上野駅公園口」。緑のテントが点々と群れ隠れる木陰の中だった。
 ここは音楽・美術・工芸・演劇等々、日本の文化・芸術のメッカだ。しばしば平成天皇ご夫妻をはじめ皇室の人々がここを訪れる。その度に上野駅公園口周辺にたむろするホームレスたちは俗称「山狩り(特別清掃)」によって排除される。そんな時でも、主人公はあの常磐線鹿島駅頭での昭和天皇地方巡幸の記憶、妻節子や息子浩一と皇室の「つながり」に思いを馳せながら、トヨタセンチュリー特別仕様車に座してやさしく手を振る両陛下に親しい心持を寄せて見送るのだった。
 その後、故郷は大津波にのまれ、原発事故で帰りたくても帰れない地となった。主人公の耳に「間もなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります。危険ですから黄色い線までお下がりください」という構内放送が切れ切れに聞こえるところで小説は終わる。
 いま、コロナにおびえる首都東京は、戦後初めて人口減少を迎え、泣く子も黙る権勢企業「(株)電通」が汐留一等地に屹立する本社ビルを売却するという。
 ゆっくりと坂道を下り始めたこの国と、その中でやっぱり最初に捨てられていく草莽の人々の哀歓を作者柳美里はたっぷりと作品に書き留め、それが英文に見事に翻訳されて世界に発信された。
 日本文学にまた一本の金字塔が立った。
 

厳寒の冬に雪の無い富士の山が教える今やるべき事

2021年01月28日 07時36分00秒 | 政治
 地球温暖化についてはその主因が炭素であるという説明が、今ではどうも争う余地のないほどに人口に膾炙してきた。それは、近代以降、わけても第二次世界大後において先進国を中心に消費社会が異常に発達し、本来地球の深奥に隠れていた石炭はもちろん石油・天然ガスなど炭素を主成分とする化石燃料を地中から引っ張り出し、これを大規模に使用し始めたがためであるという。
 そういえば、筆者の子供時代、家の土蔵にしまわれていた一斗缶に入った石油は自転車やリヤカーなどの錆び落としや、しばしば起こる停電対策の石油ランプ燃料のために用意されていたのであって、一缶の石油がおそらく何年とそこにあったのではなかったか? それが、急に消えて無くなったのは高度経済成長にのって石油コンロや石油ストーブがお勝手や居間に鎮座するようになったためであり、あっと言う間に石油缶の中身は消えて無くなって、以後買い足し買い足しして石油の個人消費をドライブしていったのである。
 石炭・石油に関わる産業、電力などのエネルギー産業や自動車などのこれを利用する業種など、現代社会の基盤産業資本はその強力な政治力を使って異説をつくり出す。いわく、地球温暖化は太陽の黒点活動によるのであってカーボンではないとか、地球には原因不明の低温化と温暖化の周期があって、現代はその温暖化のフェーズに位置しているからだとか、諸説を引っ張り出して抵抗してきた。
 しかし、もはや国際社会は地球温暖化の炭素犯人説で政治的に決着しまったようだ。これを決定づけたのがトランプアメリカ大統領の「失脚」であったろう。かくて、勝者バイデン新大統領は就任早々1月20日に地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」への復帰を表明し、環境対策を後退させてきたトランプ前政権の政策全ての見直しを指示した。こうして、現代人は一つの世界世論の形成過程を現代完了進行形の形でいま眺めているという実にスリリングで希有な時代に生きていることに思いつくのである。
 それにしても地球温暖化の原因はともかくも目に見えて地球が暖かくなったことに間違いはない。今冬の富士山にはほとんど雪が無かった。先週の1月23日土曜日の夜にようやく山肌が全面的に雪に覆われるようになったが、日本海側の豪雪が大変な被害と惨状を呈している最中にあっても富士に雪は降らなかった。元来が、西高東低ではなく相模湾から房総半島沖を通過する低気圧によって雪を降らせるのがこの山(富士)の特徴ではあるのだが、それでも寒中に雪の無い富士の姿を見たのは筆者の意識の中では初めての経験であった。この小降雪が何十年か後に「白糸の滝」や「音止めの滝」を水無しにするかもしれない?
 「脱炭素」を叫ぶのは実によいとして、だから原子力発電へという陥りやすいところへ収めようという菅政権の魂胆が気にかかる。わざわざその実現期間を出来もしない2050年と切ったところが実に怪しい。昨秋、富士山の麓で採れたキノコたちが高レベル放射能で汚染されているとして地元保健所は流通と食用を禁じた。言うまでも無くフクイチ事故の影響だ。脱炭素に原発はオールタナティブでないことも用心深く追記しておこう。
 


直近の「事件」から 文章を読むことの難しさ

2021年01月27日 07時36分53秒 | 政治
 「ドイツのメルケル首相は11日、トランプ米大統領のアカウントを永久凍結したツイッター社の決定について、意見表明の自由を制限する行為は「法に基づくべきだ」と述べ、同社の対応を批判した。報道官を通じてコメントした。意見表明の自由を守ることは絶対的に重要だと強調した。メルケル氏は多国間主義の重要性を基本理念に据え、トランプ氏の「米国第一」の政治姿勢に対しては批判的な立場を取っている」(2021/01/11共同)
 ドイツのザイベルト政府報道官が発表したメルケル首相のコメントを世界中のメディアが報道した。上は日本で共同通信社が配信した日本語記事である。
この記事の一般的な解釈は、Twitter社が一方的にトランプ大統領のアカウントを削除してしまったことについて、メルケル氏は『いくら何でも一民間企業の所業としてやり過ぎではありませんか』とTwitter社を批判した。つまり、あの独善家トランプさんに対すると言えどもいくら何でもこれは「人権侵害」ではないですかと彼女が言ったかどうか?。ともあれ、「こんなことを民間企業がやるのはあまり良いことではありませんね」、と彼女が言ったというように、多くの人々は解釈した。筆者もまたそのようにこの記事を読んだのだが・・・。
 しかし、どうもこれは読みが浅かったようである。こういう読み方をしたのは、上の文章末尾に「メルケル氏は多国間主義の重要性を基本理念に据え、トランプ氏の『米国第一』の政治姿勢に対しては批判的な立場を取っている」という一行が、「にも拘らず・・・」というように、メルケル女史はあえて政治的に理念を共有しないトランプ氏と言えども、一企業(Twitter社)が彼のアカウントを剥奪するという侮辱は許さるべきでない、と主張したのである、と強調したように読めたためと思われる。ということは、外電の原稿にこの2行が付加されていたのか、共同通信の受電したデスクが分かり易くするためにこれを付加したのか?。つまり、前者であれば源情報が、後者であれば通信社が、メルケル氏の発言を読み違えたことになる。
 まあ、ことがあの傍若無人のトランプ氏であり、早晩、世界政治場裏から消えていく身なればどうでもよいようなものだが、しかし文章の書き方、読み方、伝わり方の難しさ、マスコミの在り様としてシロクロをしっかりつけておく必要はあるのではないかと思ったのである。
 


二度有ることは三度有る? 再び「東京」オリンピック中止の不運??

2021年01月26日 07時40分22秒 | 政治
 朝日新聞が2、3日前、延期された「東京オリンピック」を直前にしてもなおその開催の帰趨が定まらない状況の中にあって、千々に揺らぐ代表内定者たちの心境を聴いた記事を紙面に載せていた。そこからオリンピック参加権を与えられているアスリートたちの「不安を抱きながらもなお懸命に前に進もうとする姿が見えてきた」(2021/01/24朝日新聞記事より)という。
 記事は、11種類の競技から41人の出場予定者がアンケートに答えたその回答結果から彼らの「内奥」を読み解いたものである。同記事によれば、回答者44人の半数がこの大会の開催可能性について不安を感じていると回答している。開かれるのか?、ことによると開かれないのではないか?、という第一ボタンがとめられていない状態で、モチベーションそのものが維持できない焦りが紙面から伝わってくる。
 五輪出場にあたって「コロナ感染症が広がる可能性が不安」25人/41人と過半数の選手たち、「自らが感染するリスク」18/41への危機感、「世の中の気分が高まらずに応援が得られないのではないか」15/41という晴れがましさの減退、「練習や実戦不足」14/41とういう不充実感、「世界中から選手が揃わず、世界一を決める大会にならない」14/41という正統性への懐疑、「特に心配は無い」という人は41人中6人しかいない、という結果であった。これだけ見ただけでも、一生懸命自らを鼓舞しつつもどうにも盛り上がらない気分が伺えてきてなんとも気の毒になる。
 思えば、日本のオリンピックの歴史の中で、こういう状況がはじめてというわけではなかった。すでに過去に全く同じ体験をしている先人たちもいたのである。その最初は1940年、あの幻の第12回東京オリンピックであり、もう一つは1980年、ソ連のアフガン侵攻に抗議するアメリカに追随してボイコットしたモスクワ大会。これら2例とも何れも政治的、極めて国際政治に翻弄されての「悲劇」であった。特に前者1940年の中止は今回同様の東京大会であったから日本人アスリートたちにとっては全く同じ思いを強いられたことになるが、それでもあの時は開催2年前に「返上」という形で早期に中止が決まったが、現在の事態はコロナウィルス次第という、まことに千分の1ミリに及ばないミクロの半生命(ウィルス)に決定権を奪われていること、それも世界中に事態は蔓延した状況であって一国の努力では解決しないという複雑さが割り込んでいる。
 はじめ悪ければすべて悪し。今月27日にはIOC理事会が開かれる。その時「コロナウイルスに負けた証」として、正式に「2020東京オリンピック」の中止が発表されるのではないかと思われる?。その時、この新聞に応えていたアスリートたちの心理的・精神的サポートを誰がどう支えてくれるのであろうか? 常に、政治に翻弄されるオリンピックというイベントのもつ実に巨大な悪しき影響力にどう対処していけばよいのか? 記事を読んで暗澹たる気分にさせられたのであるが・・・。
 ここまで人々を追い詰める羽目をつくった政治の責任はどう果たされるのであろうか??

緊急事態法を「戒厳令」にしたい? 菅総理よ、もっと誠実にやれ!

2021年01月25日 07時46分01秒 | 政治
 成功した庭園は、その園路が実によくできている。特に芝でも植えてあれば、それが歩行者によって踏み荒らされた跡などが全くない。つまり、人々の歩行を妨げる強制が芝生の植えられた平面内に無いのである。
 ということは、失敗した園路は設計者がこういう風に歩いてもらいたいと期待して設計図に線を引き、その通りに施行した結果、完成後に利用者とそりが合わずにショートカットがいっぱい発生してしまったのである。
 こういう失敗をしないためには園路は庭園の作りとは別にして、まずはこれを作らずにおいて一面に仮設の敷物を配置し、利用者にその上を自由に歩かせた結果として生じた足跡を確認した上でその踏み固められた平面を園路として初めて恒久的に施工する。こうして、訪れる人に無理を強いない園路が出来上がる。公園発祥の先進国=欧米の庭園はすべからくこういう手順で作られていたという。
 政府はコロナ改正法案を今国会に提出するという。その中の特別措置法では、食堂など飲食業などの営業について「時短命令」に従わないなどの「
違反」に対しては、重点措置時であれば30万円以下の過料を、緊急事態宣言下では増額して50万円以下のそれを課すという。
 また、感染症法については入院措置に応じなかったり、入院先から逃げ出したりした場合にはなんと懲役1年以下または100万円以下の罰金を科すという。なんとまあ!
 この一年、レストラン等を舞台に感染・発症したとする「感染経路説」はどれほど正鵠を射たものであったのだろうか? 飲食店でクラスターが発生したというエビデンスは実は無いと言われてもいる。それゆえにその確信の無さが「過料」という行政罰で済まそうというのでもあろうが、食堂経営者たちはこの無謀さを納得できるのであろうか? また、入院を拒んだり、入院先の病院から勝手に出てきてしまった場合の患者が受ける「懲役刑」/「罰金」はつまり刑法犯罪として分類されることになる。踏んだり蹴ったりである。
 つまり、政府が強制的に作った歩きにくい園路から一歩でも外れて歩くと、ある場所では行政罰が、またある個所では刑事罰が加えられるという。不出来の公園しか作れない日本政府にしてこの国民無視の居丈高、歴史への反省が全くない。
 報道によれば、既に生じている医療崩壊によって病院等の病床がひっ迫していて入院できず、自宅で死亡したコロナウィルス感染症死が18例に及ぶと報道されている(1月22日現在)。病院から逃げ出すのでなく病院に入れなかったこれらの死者は、上の園路設計の例で言えば、園路で足を踏み外して池に落っこちて溺死した犠牲者に相当する。これは設計者の罪以外の何物でもなかろう。
 緊急事態法を「戒厳令」にしたい自公政権の衣の下の鎧が筆者の目にはチラチラ覘いて見えるのだが・・・・。菅総理よ、もっと誠実にやれ!と言いたい、今日この頃である。