日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

続報待たれる「桜を見る会領収書」 たった一枚とはどうしたことか?

2020年02月28日 07時41分20秒 | 政治
 2月17日衆院予算委員会での辻本清美氏の追及;安倍首相「主催」の「桜を見る会前夜祭」なるパーティーについて、「参加者はホテルと個々に契約をした上で『会』に参加し、その支払いは個々にホテルに払っていて、安倍氏及び安倍事務所には何ら商契約上の関係は存在しない」という安倍首相の主張に対して、こういう「取引は行っていない」とするANAホテルによる書面での解答が「暴露」され、首相との間で真っ向から異なる「事実」が争われた。この段階では、安倍氏の主張はどう見ても分の有るものとは思えなかった。
 ところが、実は首相側が言うように契約がなされていた証拠として一枚の領収書が発見された、というのである。このニュースには正直驚いた。その特ダネ新聞記事の見出しはこうだ:――
 「ANAホテル領収書 桜夕食会の宛名は「上様」 首相答弁と一致」の三段。いわく、「『桜を見る会』前日に安倍晋三首相の後援会が主催した夕食会に関し、会場となったANAインターコンチネンタルホテル東京(旧全日空ホテル)が発行したとする領収書を参加者が実際に受け取っていたことが21日、分かった。宛名は「上様」と記され、首相の国会答弁と一致している」(2020/02/22産経新聞)
 記事中には、その証拠となる領収書の写真も掲載されていて、そこには少々ぼやけて不明ではあるが「’14・4・.11」らしき日付、宛名欄に「上様」とあり、金額は「5000円」、「但し 夕食懇談会として」とあって、「株式会社パノラマホテルズ・ワン東京」の押印がある。安倍氏が国会で声高に叫んでいた宛名「上様」ともしっかり一致している。
 「夕食懇談会として」という「会」の名称の不一致と「・・・として」という不明な語尾、また写真の証書は本来ホテル側に残すべき売上証拠としての「領収書」本体であってその支払者が保存すべきカーボンコピーではないことなど多少の疑義はあるものの、記事中には「参加者は同紙の取材に『会場で会費を支払い、首相の事務所職員からホテルの領収書として渡された』と話している」という記述もあっていよいよ安倍氏の陳述との整合性が高くなる。いっそ、この所持者が名乗りを上げたら記事の「信憑性」ははるかに高くなったことであろう、に・・・。
 この会に招かれた参加者は多数いる。一世一代の名誉と心勇んで参加したに違いない人たちだ。思い出のアルバムにこれと同じ領収書を残している可能性も少なくあるまい。過去5年間、延べ数千人の人々が該当する。よもや「領収書」これ一枚ということは無かろう。一枚でも多く出現すればするほど自分を招いてくれた安倍氏を救済し恩に報いる?ことともなるであろう。
 この記事に刺激されて、今年の確定申告に証拠となる昨年ホテルニューオオタニで開かれた「前夜祭」で受け取った1000枚にも及ぶ大量の領収書が次々と出てくるのではないだろうか??
 しかしながら、この「大スクープ」にも関わらず、爾来1週間、今日に至るも他紙やラジオ、テレビは完全無反応、この「大ニュース」に一瞥もくれないのはどうしたことであろう? それ以上に、当の産経新聞が今日まで続報の皆無とはどうしたことだろう??よもやこれもまたねつ造であったというのなら、もはや・・・
 


度重なるモラルハザード、もはや無政府状態

2020年02月27日 07時23分03秒 | 政治
 あれは、国の省庁再編、霞が関の諸官庁を1府22省庁から1府12省庁へと改変した直後のころであった。旧1府としての「総理府」に対して新たな「内閣府」という新組織はそれが何をするのかその姿がまるで見えない頃の「内閣府」副大臣室を祝意伝達のために訪れたことがある。財務省と文科省の間の坂道を上りその右手の合同庁舎4号館と呼ばれる国家官庁の混住ビルの二階に鎮座していた時分の事であった。
 はじめチョロチョロ中パッパとでも言うのであろう?、その頃の「内閣府」は何をする役所なのか、せいぜい国家統計データの整理でもしていればよい程度の官庁だなと筆者は勝手に想像して副大臣室を後にした記憶が今もおぼろに残っている。
それが急激に変貌を遂げ、殊の外、現政権になってからこの官庁は総理官邸の事務局として急激に末端肥大化し、それがとりもなおさず内閣総理大臣の個人的権力集中へと繋がった、というのが史上最長の安倍政権の歴史である。
 各省庁から選抜され内閣府に招集された官僚たちは出身官庁を尻目に、虎の威を借りて権勢を身辺に帯びるようになった結果、それぞれの風下に追いやられた各省庁の著しい権威の減退、または政策提案力や現場指導力が衰弱してしまったように見える。
 文部科学省所管の大学入試制度での英語入試の不始末、文科省だけでなく異論を持つ農水・厚労両省を巻き込んだ加計学園獣医学部新設問題、今渦中のパンデミック騒ぎで自らスタッフが現場で罹患してしまうという不手際ぶりを発揮している厚生行政の無策・無能、何を「研究」するのか全く不明のアラビア海派遣を強要された防衛省、検察官人事に為すすべなく新規の定年制?を押し付けられた法務省等々、あの20年前にはパッとしなかった内閣府への権力集中が今や大変な成り上がりぶりだ。そして、何と言っても「桜を見る会」スキャンダルは、「内閣府」の独善と強権と不道徳を象徴して余りある。
 縦割り行政の弊害が叫ばれ、その対策として採られた省庁再編は首相官邸を中心としたファシズムという鬼子を産み出し、その反動として専門性と現場力と権威を失った歴史となったようだ。
 もう一度、現場力を磨き直すこと、それこそが霞が関再建のための喫緊の課題であろう。炬燵にあたりながら、雪の白河関の歌を詠むようななまくら総理官邸行政ではこの困難な時代を乗り越えられまい。「森羅万象」そのすべてが一官庁にあるのではなく、まして総理大臣御一人に有るわけもなく、全国津々浦々人々が生活する地域の現場にあることを肝に銘ずるべきだ。


衆院予算委員会、一番うるさいのは議長殿だ!

2020年02月26日 07時32分42秒 | 政治
 国会は年中行事の衆参両院での予算委員会審議が今まっさかりだ。審議と言ったところでそこで議論が練られて与野党意見を止揚した結論に昇華するというわけではなく、最後は政府原案通りに「強行採決」で決まるのである以上結論は決まっている。四の五の言わずに粛々と会議を時間通りに消化してその敏腕ぶりを魅せつけようという議長と「そうはさせじ」と抵抗する野党。議題の中身は異なるとも会議のフローはこういう調子でここ例年通りに進んでいるようだ。
 それにしても、この模様をNHKのテレビ中継で見ていて実に不愉快なのは、「不規則発言?」に対して居丈高に静止命令を頻々と発する衆院予算委を取り仕切っている議長殿の発言だ。質問者と政府委員との間に存在する意見の違いが際立ってくると当然会場はざわつく。「不規則」発言と称する野次が飛び出してくる。分けても政府に反対の党派である「野党」席から野次は多く発せられるのは当然だ。議長は与党委員から選出されている以上議院内閣制では政府側に賛意を有しているのも「当然」だ。当然だけに近頃この国にはびこる「忖度」を野党に対して働かせて議事を進行させれば議場が荒れなくて済む。
 つまり、会議の運営における議長の役割は餅つきの要領だ。議長は杵をもって政府が提供した粗くふかした蒸かし米たる「議案」を叩いて餅にする役割。それに対して与野党を問わず委員は合いの手を入れてまんべんなく餅にするように「手返し」をするのが役割だ。杵を揮う議長と合の手を入れる与野党委員、そのリズムを旨く取るのが議長の役割だろう。
 しかるに棚橋泰文衆院予算委員長は「合の手」役に口数多く指図する。実に権威主義的である。結果、会議は混乱して結果的に時間を空費するか、実質審議時間(餅つき時間)を失った委員、特に野党委員に不満がつのり、結果的に餅はコブ餅になってしまう。
 これについて遥か少年時代の学級会を思い出す。筆者の少年時代は戦後民主主義の最盛期、月一回開かれるクラス会は模範的な民主主義の実習場であった。4年生の時だった。タケちゃんが議長に選出された。会の最中タケちゃんは発言者の意見にいちいち注意や補足を加えた。それがうるさいと言ってみんなから苦情が噴出し始め、やがてそれが止まらなくなってしまった。ついに、タケちゃんは泣き出して学級会は散々たる事態に発展してしまい、最後にタケちゃんは解任されてしまい、泣きなき教壇にしつらえた議長席から降ろされてしまったのである。
 あの光景を何十年ぶりに思い出しながら、棚橋委員長を解任するには何とすればよいのかなどと空想を逞しゅうしつつTVの国会中継に見入っている。「野次は議場の華」、誹謗中傷や人権侵害でなければ少々の逸脱の有無は「言論の府」の活力のバロメーターであろうに。「お願いだから静かにしてください!」などという情けない議長の声は聴きたくない。それより立法府に対して審議をお願いしている行政府の責任者たる安倍総理大臣が不規則発言(野次)を盛んに飛ばしている。棚橋氏は、これをこそ止めさせるのが議長の役割である。
 


ぶざまに散る桜を見たくない

2020年02月25日 07時25分10秒 | 政治
 「2020年の桜は記録的な早さで開花する所が多く、トップは福岡で3月16日。東京では、3月17日に開花する予想です。日本気象協会発表の第2回「桜開花予想」です」(2020/02/21日本気象協会発表)。
 同協会によれば、東京都心の桜の開花予想日を3月17日として、平年の3月26日、昨年の3月21日と比べても「かなり早い」と予想しているという。平年とのずれが10日に近い。
 「春と聞かねば知らでありしを、聞けばせかるる胸の想いをいかにせよとのこの頃か」(「早春譜」)の歌詞のとおり開花が一刻もはやくと気分が急かれる今日この頃ではある。
 しばしば日課にしているWalkingで通る町の図書館脇の並木の桜は去年の夏にはその葉っぱのほとんどをアメリカシロヒトリに食われ、まるで枯れ木のようになっていた。それが原因だろうが、それらの桜木は秋に爛漫の花をつけて季節をあざむいていたから、この「記録的な春」を謳歌するはずのつぼみたちを使い果たしてしまっているのではないだろうか? せっかくの早期開花予想だが本番の花のその数が心配になる。
 それにしても異常な暖冬だったのだから桜が早咲きは当然と言えば当然だが、それでいてただそれが「暖冬」ばかりでもなくて、これほど民を愚弄した「桜を見る会」なる政治の不道徳を「桜」に関わって聞かされ続ければ当の「桜」もじりじりと不満が嵩じ、その面目を施したくもなることであろう。きっと、この開花予想の早期化はそんな桜のいらだちを気象専門家が感じ取ったためではないか?
 「いつまで桜の話ばかりやっているのだ?!」という巷の声が高まっている。まったくそのとおりだ。桜の美は豪華絢爛の爛漫にのみあるのではない。「散る」美しさもまた賞讃されてきた。ことのほか現政権の「主」は「散る桜」の「美」を讃えてきた人だ。である以上恋々とポストに縋りつくのではなく、自らもしっかりと「散華」して魅せてはどうだろう?
 風雨にさらされてぶざまに散る桜は見たくない。 「美しい国へ」の総理大臣よ⁉
 


鹿煎餅が無くても奈良公園の鹿は大丈夫⁉

2020年02月21日 07時33分36秒 | 政治
 「保護活動をしている奈良公園のシカについて、新型ウイルス流行以降、インターネット交流サイト(SNS)に『おなか減らしてかわいそう』『シカも死活問題だ』などと心配する投稿が殺到。同会には『シカが腹を減らしているなら何とかしてあげて』などと電話やメールが数多く寄せられている」(2020/02/10時事通信)。
 世界にはやさしい人々がたくさんいるものだ。旅行中に見た奈良公園の鹿が、コロナウィルス騒ぎで観光客が激減したためにシカ煎餅にあずかれなくてきっと空腹に陥っているのではないか、と心配になった人々の投稿が盛んという。
 奈良市の鹿愛護会によれば、奈良公園の鹿といえども、かれらの主食は草。落ち葉やドングリなどであって、鹿せんべいはあくまでも「おやつ」に過ぎない。かりにシカ煎餅が全く配られなくても鹿たちが飢えることは無いから大丈夫だ、という。
 「大仏に 鹿の巻き筆 あられ酒 春日灯篭 町の早起」奈良を読んだ一首。落語の「鹿政談(演者:桂米朝)」によれば、江戸幕府は興福寺と春日大社合わせて禄高を1万3000石としていたという。そのうちの3,000石はシカの餌代と見積もられていたとか。しかるに、両社寺はしばしばシカの餌代をご本尊様か人間様か知らないがこの禄をネコババしていて、シカが空腹に陥り、ために彼らは早朝に街に繰り出し、人家に被害を与えたという。その中にはくやし紛れに、あるいはあけぼのの暗さに見紛って鹿を殺してしまうような事件もあって厳罰に処されたという。
 また、シカが自家の前で死んででもいると罰が科せられることもあって、暗いうちに家の前をみてシカの死体の無い事を確かめるために奈良の町の朝は早く、その早朝の朝食の寒さのために熱い熱湯をかけた朝茶漬けを食べる習慣が、胃がんの因になって一時奈良市の胃がんは他を圧倒したという「話」がまことしやかに語られたものであった。
 上記米朝さんの高座「鹿政談」では時の奈良奉行が幕府方能吏であった川路聖謨(かわじとしあき)ということになっている。公金横領の暴露をちらつかせながら鹿殺しの嫌疑のかけられた被告豆腐屋一家を無罪判決に導く人情噺である。
 しかし、ここで語られているのは、餌が欠乏すると奈良の鹿は飢餓に陥ることが噺の前提になっているようで、SNS投稿者が心配になる鹿煎餅の欠乏は鹿の食餌不足を招かないかと心配にならないでもないのだが・・・?
 それはそうと、奈良の神鹿(しんろく)は、稲荷社のキツネ同様に神の使いであってみれば尊いには違いないが、今や日本国中山野には鹿が満ち溢れて年間農産物被害は60億円の巨額に達し、農民の営農意欲をそいでいる。環境省統計によれば2016年度末、ニホンジカの推定個体数は中央値で約272万頭が全国の山野を跋扈しているという。これを適正数にまで減少させるのも小泉環境大臣の役目である。
 居る場所によって同情されたり嫌われたり毀誉褒貶落差の大きな鹿の存在もまたその因を訊ねれば、地球温暖化と中山間地域崩壊という現代の政治に帰着するのである。