「新型コロナウイルスの患者受け入れをめぐり、旭川医科大学の学長が病院長に対し『辞めろ』などと発言したことについて、文部科学省が実態把握に乗り出したことがわかりました」(2021/01/05北海道放送)。
「そこで」何が起こっていたのか? このTV報道が伝えるところでは、昨秋、旭川市内の大手民間病院でコロナ感染クラスターが発生し、地域有力医療機関の間で話し合いの結果これを救済すべくそれぞれの医療機関が分担することになったのだが、ひとり国立旭川医大学付属病院だけが受け入れを拒否した。それは、同大学長が「コロナを完全になくすためには(当該クラスター発生病院が)完全に消えて無くなるしかない」として拒否したためという。これに対して同大病院長は患者一名の受け入れを提案したところ、学長から「それならお前が辞めろ!」と辞職を迫られたという。この一連の「騒動」が文科省の耳に達し、冒頭のように監督官庁の「実態把握」という大学の自治を侵す「大事件」に発展してしまったのである・・らしい。
伝えられる範囲で見る限りこの「学長」、アカデミアに相応しからざる「独裁者」のようだ。そもそも、1973年創立の同大学は、創立時、学長は法定で6年任期でそれ以上の連続就任は禁じられていたのだが、国立大学法人化と共に各法人ごとに規定できることとなったことから同大は6年の制限を撤廃し、結果として件の人物にあってはすでに13年を超える任期を占有しているという。どうやら長期独裁政権が樹立されてしまったようである。
こういう状況に対して文科省は、この大学の何を見ようというのであろうか? 出来の悪い子供、それが地域社会の中から白い目で見られている。そもそも冒頭に引用したTVニュースの放送原稿の行間からは「アキレハテ」たる一国立大学というトーンが聞こえる。筆者は、独法化を機に学長独裁を指導力発揮と歓迎した監督官庁の文教政策に重大な陥穽が有ったものと見ている。
北海道では先にも北大で「学長パワハラ解任事件」が有ったばかり。北海道ばかりではない。東大でも学長選考問題でくすぶり、大分大学では学部が選んだ学部長選出に対して学長と学部現場の間で角逐を生じるなど、強権学長と現場の間で、およそ最高学府らしからぬ「事件」が頻発している。
いずれも国立大学法人化以前には無かった「不祥事」であり、およそ国民の信頼を喪失するに相応しい些事ばかりである。なぜこんなに知的でない問題が頻々と生ずるのか、その原因が」法人化」のどこに巣食っていたのか、86もの多数に分割統治してしまった独法化政策の誤りを含めて2004年から今日までの歴史を、文科省には虚心坦懐に検討してもらいたい。
大学は、そもそも研究者や学生たちに対して知的自由を目いっぱい認める超俗空間、その意味では俗的社会からは特異な空間であり、知的逸脱をこそ奨励する環境である。それを害する仕組みや制度の悪しき改革が上記一連の堕落を招いたものであろう。
アインシュタインと並んで20世紀を代表するもう一人の天才ニールス=ボアは、ハイゼンベルグの不確定性原理を見たとき「クレイジーでない理論は真理ではない」と言って激賞したという。学術の何たるかを伝える名言である。こういう知的自由が明日への可能性を開くものと信じたいではないか!