先週木曜27日は,1953年に朝鮮戦争が休戦に入ってから実に70年目の一日だった。「休戦記念日」といえば,それは歴史年表に記されたその日が平和到来の初日になって,遠からず和平が確定される「好き日」であったはずだ。が,この「休戦記念日」はその後70年の長きにわたって「生き」続け,いつまた戦闘が再発して戦争状態に復してもおかしくないという,実に「非歴史的な記念日」になっている。ダモクレスの剣が常に頭上にある南北朝鮮の人々の鬱陶しさは如何ばかりかと,その神経に「驚嘆」するのと同時に「同情」を禁じ得ない。
世界一の富める国アメリカを相手に,かたや世界屈指の貧困国家の北朝鮮が張り合う,それも核に大陸間弾道弾ミサイル(ICBM)に,潜水艦発射型弾道ミサイル(SLBM)やら,加えて核兵器まで繰り出して世界一の大国と張り合う。ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」に出てくる「金持ちのユダヤ人と貧しいユダヤ人:(サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ)」の一枚の絵のように,横柄な金持ちのアメリカ人と貧乏な北朝鮮人の屈辱的争いの「70年」。痛くもかゆくもないアメリカ国とアメリカ人に対抗して張り合う指導者一家三代に収奪され続ける北朝鮮の民。実に割が合わない70年であり,この強権独裁政治が生きながらえる根拠ともなってきた「休戦70年<記念日>」だ。
この国では,金氏一族の栄耀栄華をよそに無数の餓死者が出ていると聞けば,これ以上の矛盾が有るか!とヒト事と言って切って捨てられない怒りがこみあげてくる。