地球温暖化についてはその主因が炭素であるという説明が、今ではどうも争う余地のないほどに人口に膾炙してきた。それは、近代以降、わけても第二次世界大後において先進国を中心に消費社会が異常に発達し、本来地球の深奥に隠れていた石炭はもちろん石油・天然ガスなど炭素を主成分とする化石燃料を地中から引っ張り出し、これを大規模に使用し始めたがためであるという。
そういえば、筆者の子供時代、家の土蔵にしまわれていた一斗缶に入った石油は自転車やリヤカーなどの錆び落としや、しばしば起こる停電対策の石油ランプ燃料のために用意されていたのであって、一缶の石油がおそらく何年とそこにあったのではなかったか? それが、急に消えて無くなったのは高度経済成長にのって石油コンロや石油ストーブがお勝手や居間に鎮座するようになったためであり、あっと言う間に石油缶の中身は消えて無くなって、以後買い足し買い足しして石油の個人消費をドライブしていったのである。
石炭・石油に関わる産業、電力などのエネルギー産業や自動車などのこれを利用する業種など、現代社会の基盤産業資本はその強力な政治力を使って異説をつくり出す。いわく、地球温暖化は太陽の黒点活動によるのであってカーボンではないとか、地球には原因不明の低温化と温暖化の周期があって、現代はその温暖化のフェーズに位置しているからだとか、諸説を引っ張り出して抵抗してきた。
しかし、もはや国際社会は地球温暖化の炭素犯人説で政治的に決着しまったようだ。これを決定づけたのがトランプアメリカ大統領の「失脚」であったろう。かくて、勝者バイデン新大統領は就任早々1月20日に地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」への復帰を表明し、環境対策を後退させてきたトランプ前政権の政策全ての見直しを指示した。こうして、現代人は一つの世界世論の形成過程を現代完了進行形の形でいま眺めているという実にスリリングで希有な時代に生きていることに思いつくのである。
それにしても地球温暖化の原因はともかくも目に見えて地球が暖かくなったことに間違いはない。今冬の富士山にはほとんど雪が無かった。先週の1月23日土曜日の夜にようやく山肌が全面的に雪に覆われるようになったが、日本海側の豪雪が大変な被害と惨状を呈している最中にあっても富士に雪は降らなかった。元来が、西高東低ではなく相模湾から房総半島沖を通過する低気圧によって雪を降らせるのがこの山(富士)の特徴ではあるのだが、それでも寒中に雪の無い富士の姿を見たのは筆者の意識の中では初めての経験であった。この小降雪が何十年か後に「白糸の滝」や「音止めの滝」を水無しにするかもしれない?
「脱炭素」を叫ぶのは実によいとして、だから原子力発電へという陥りやすいところへ収めようという菅政権の魂胆が気にかかる。わざわざその実現期間を出来もしない2050年と切ったところが実に怪しい。昨秋、富士山の麓で採れたキノコたちが高レベル放射能で汚染されているとして地元保健所は流通と食用を禁じた。言うまでも無くフクイチ事故の影響だ。脱炭素に原発はオールタナティブでないことも用心深く追記しておこう。