「NHKから国民を守る党」、略して「N国党」がついに参議院に議席を確保したという。ネットなどの報道によれば、この「党派?」の代表は選挙結果を受けて「ここまで大きくなるとは思わなかった。(NHKを)ぶっ壊した後は危険なので党を潰す」と語っているという(AbemaTimes2019/07/24)。また、同じネットメディアで別の機会には「早く国会議員を辞めたい」とも「年内は何もしない」などとも語っているという。
これについて筆者にはある悲しい記憶がある。小学校5年生時分であった。戦後民主主義の象徴としてクラス委員長(敗戦以前には「級長」と呼んでいた)は、先生の指名ではなくクラスの児童全員による自由「選挙」になった。学年のはじめであったと思うが、その時行われた選挙で「ケンちゃん」を多数決で選んでしまった。
その開票結果を見て、女先生が泣きだした。児童たちが即座に「マズイ」と思ったのは言うまでもない。ケンちゃんはクラスのお客様で5年生になっても平仮名の判読に不自由していた。その彼を委員長に選んだのはどういう空気が教室に流れていたのか今はもう思い出せないが、ただ、実に問題であることは彼を率先して選んだ男子たちにはよく分かっていた。職員室に戻ってしまわれた先生に謝りに行かされたのは筆者だった。
テレビを設置すると同時に義務的にNHKと受信契約を結ばなければならず、それによって受信料負担が発生することが不合理であるから、スクランブル化してB-CASカードを購入する形で限定的に受信契約を結ぶというのは意見としてあってもよい。だからと言って純粋にワンポイントだけで国会における議席を獲得する政治的不安定性は実に問題である。国会で議員が議論すべき問題は実に多様であってNHKとの契約問題は文字通りのワンポイントだ。これを選択した有権者が有しているこれ以外のさまざま多様な意見は何も反映されないにも拘らず、選ばれた議員は如何なる政治的主題に対してもフリーハンドを有している。
現に、NHKから国民を守る党の立花孝志代表は「自民党がNHKのスクランブル化に賛成するのであれば改憲に賛成する」とか、かねて問題の丸山穂高議員をはじめ札付きの議員たちを仲間に入れたいと述べているという(同上)。有り得ないことではない。
所詮、政治は国民のレベルによってその質が定まる。この国の民のレベルがまだ成育途上なのか?、もうここで成長停止なのか、いずれにせよ我が小学校5年生時代レベルの民主主義に陥ってしまっていることだけは間違いなさそうである。
あの時と違って、誤りに行く先生も職員室にいない。
これについて筆者にはある悲しい記憶がある。小学校5年生時分であった。戦後民主主義の象徴としてクラス委員長(敗戦以前には「級長」と呼んでいた)は、先生の指名ではなくクラスの児童全員による自由「選挙」になった。学年のはじめであったと思うが、その時行われた選挙で「ケンちゃん」を多数決で選んでしまった。
その開票結果を見て、女先生が泣きだした。児童たちが即座に「マズイ」と思ったのは言うまでもない。ケンちゃんはクラスのお客様で5年生になっても平仮名の判読に不自由していた。その彼を委員長に選んだのはどういう空気が教室に流れていたのか今はもう思い出せないが、ただ、実に問題であることは彼を率先して選んだ男子たちにはよく分かっていた。職員室に戻ってしまわれた先生に謝りに行かされたのは筆者だった。
テレビを設置すると同時に義務的にNHKと受信契約を結ばなければならず、それによって受信料負担が発生することが不合理であるから、スクランブル化してB-CASカードを購入する形で限定的に受信契約を結ぶというのは意見としてあってもよい。だからと言って純粋にワンポイントだけで国会における議席を獲得する政治的不安定性は実に問題である。国会で議員が議論すべき問題は実に多様であってNHKとの契約問題は文字通りのワンポイントだ。これを選択した有権者が有しているこれ以外のさまざま多様な意見は何も反映されないにも拘らず、選ばれた議員は如何なる政治的主題に対してもフリーハンドを有している。
現に、NHKから国民を守る党の立花孝志代表は「自民党がNHKのスクランブル化に賛成するのであれば改憲に賛成する」とか、かねて問題の丸山穂高議員をはじめ札付きの議員たちを仲間に入れたいと述べているという(同上)。有り得ないことではない。
所詮、政治は国民のレベルによってその質が定まる。この国の民のレベルがまだ成育途上なのか?、もうここで成長停止なのか、いずれにせよ我が小学校5年生時代レベルの民主主義に陥ってしまっていることだけは間違いなさそうである。
あの時と違って、誤りに行く先生も職員室にいない。