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日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

AIは世俗社会の世俗性を追求するだけ? (最終稿)

2025年04月18日 07時54分24秒 | 政治
 「AIを使って偽の性的な画像や動画を作る『ディープフェイクポルノ』。身近な人をターゲットにした被害が広がっている。米ニュージャージー州の高校では昨年10月、少なくとも女子生徒30人の『裸画像』が学校内で出回っていることが発覚した。『こんなことが自分の身に起こるなんて考えもしなかった。どうしたらいいのか分からず、ショックでただ泣いていた』。被害者の一人、フランチェスカ・マニさんは話す。作成したのは、同級生の男子生徒だった。SNS上の画像を『服を脱がすAIアプリ』を使って加工し、他の生徒らと共有していたという」。こんな記事が朝日新聞に載っていたのは昨年12が21日のことだった。これに対して「負けてはならじ」と思ったかどうか知らないが、我がニッポンでも「生成AIでわいせつな画像を作製し、ポスターにして販売したとして、警視庁は20~50代の男女4人をわいせつ図画頒布の疑いで逮捕し、15日発表した。警視庁によると、生成AIを使って作製したわいせつ物の販売事件の摘発は全国初という。・・・ポスターは1枚約1千~5千円で販売され、売り上げが最も多かった一人は約1年間で1千万円以上を得ていたという」(2025/04/15朝日新聞)。
筆者は、「生成AIが何か人類の思いつかない新しい真実=Truthを生み出すということは決してない」と固く信じている。言うまでもないが、AIの「知識」は世界中の過去知を集められるだけ集めてその中で作り得るステートメントを「構文ルールに則って」並べて最も多く作られたものを「答」とするというものであって、無から生み出されたステートメントでなく、既存のものの中の多数例(有)をもって答えとしていることからである。また、そうでなければビジネス社会では使い物にはならない。
ニュートンとアインシュタインに並ぶ、人類が生んだ大秀才ニールス=ボアは、「クレイジーでなければ新規性はない」と言ったとか!。ボアが評価する偉大な発明・発見とは基本的にクレージーなのである。そして世俗社会ではクレージーは上の新聞記事のように、犯罪でしかありえない。つまり、AIの発達は世俗社会の世俗性を極限にまで追求してもなお、それは「新規」ではありえない。敢えて言えば「AIは、人類を凡庸にする」結果として、知の世俗性を極限にまで追い込んでいくだけのシステムに過ぎない。
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今日をもって長い間お付き合い頂いた「是好日日記」は、主催者のビジネス終了に合わせて、今日をもって「一旦」終了とさせていただきます。この間、熱心にお読みいただいた読者の皆さんに心からお礼申し上げます。また発言の場を提供して下さった「GOO」関係者に衷心よりお礼申し上げます。どこかでお会いできる日を楽しみにしております。ありがとうございました。



民主主義の原則は「全員参加」である

2025年04月16日 07時38分01秒 | 政治
 「ずっと心に引っかかっている主張がある。評論家の呉智英さんが訴えた「選挙権免許制度」の導入である。車を運転するにも危険物を扱うにも免許がいる。しかし使い方を誤って最も危険なのが権力ではないか。その権力を扱う選挙に免許がなくていいはずがない、と呉さんは書いた。「衆愚政治」を抑制するために一定の知識を問う試験を課すべきだと(「新潮45」2013年8月号)。普通選挙を廃止し、投票できる人を制限すべしとの内容は、賛同できるものではない。それでも選挙権の行使には知識や判断力が必要だという主張は、民主主義の痛いところを突いているように思えてならない。」(2025/04/13朝日新聞「日曜に想う」)
大衆民主主義についての何時になっても消えない悩みである。この悩みに解決が付かないとして世界196ヶ国中で、「民主主義」を採らない国が、恐らく統計上では圧倒的に多いのではないだろうか。その一例として英誌「エコノミスト」によれば、完全な民主主義といえる政治システムを採る国は8%(24ヶ国)しかなく、はっきりと権威主義国家を標榜する政治体制の国59ヶ国の世界シェアは39.4パーセントになるという。
筆者は、第二次世界大戦後の第1回小学校入学生(入学式は「国民学校」だったが、その年の5月に「63制」新学制が導入された)両親祖父母は言うに及ばず学校の教師にしてからが民主主義とは何たるか?皆目わからない。そんな中で、アメリカ占領軍の中では、母国アメリカの民主主義に絶望していた学卒の若き米軍兵士たちが、新生日本をこそ純粋培養の民主主義国家にしようと、純粋培養の民主主義を注ぎ込まれたのがこの学制改革でもあった。いわば理想民主主義が一世を風靡した「新時代」のピカピカの一年生だったのである。こういう教育史をもつ筆者からすると、冒頭の衆愚政治を抑制するためには、選挙に臨んで一定の知識を問う試験を課すべきであるなどという「暴論」はとても受け入れられるものではない。原始民主主義にはバカや利口の分別は存在しないのであるからだ。
人々が持つ考え方は個々バラバラであるのが普通だから公職選挙において投票結果もばらばらになるのは当然だが、そこにおいて投票者数が多ければ多い程その時代時代に合う形の合意が形成される。ホワイトの雑音の中にありながらその時代時代に適合的な「合理性」のある主張があれば大衆はそこに比較的多数が蝟集してくる。白色の雑音の中から信号を受信する技術こそ情報科学の真骨頂であり、あれと大衆世界は類似のものと筆者は信じている。
これが有効であるためには、選挙に際して選挙権者が100%、できるだけ高い投票率を上げることが条件となる。いま、この国の国政でも自治体でも政治が混迷しているのはすべからく投票率の低い選挙に原因が有る。良い政治を願うなら全選挙権者が「我慢して」投票所に行き投票することであって、投票者を制限するなどもっての外の暴論というべきである。
民主主義の原則は「全員参加」だからである。




日米安保条約はこの国にささった宿痾の刃である

2025年04月14日 17時42分46秒 | 政治
 「トランプ米大統領は10日、日米安全保障条約をめぐり『我々は日本を守るが、日本は我々を守る必要はない。日本は何も支払わない」と述べ、改めて強い不満を示した。こうした持論を背景に今後、日本側に在日米軍駐留経費の負担増などを求める可能性も懸念される。トランプ氏は閣議の場で、記者団を前に関税について話すなかで「我々はほとんど全ての人たちにつけこまれてきた」と述べた。日本を例に出し、故・安倍晋三元首相が『素晴らしく、私の良い友人だった』としつつも、米国の対日防衛義務を定めた日米安保条約について『我々は彼らを守るために何千億ドルも払う。他国のためなら、全額を米国が負担する。日本は何も支払わない。もし米国が攻撃されても、日本は我々を守るために何もする必要がない』と持論をまくしたてた。」(2025/04/11朝日新聞)。
知識と教養のない政治家ほど困り者は無い。トランプ氏は、「日米安全保障条約(Treaty of Mutual Cooperation and Security between Japan and the United States of America)」なるものを、文字通りにアメリカが日本を守るための二国間条約と理解しているようだ。文字通りに理解すればそのとおりであるが、そういう理解は歴史的教養の無さを露呈した証左である。
日米安保条約が締結されたのは1951年9月8日。それは、その4日前に開かれたサンフランシスコ平和条約締結会議を終えて、日本国が不完全ながら国際社会に対して独立を果たす承認がなされたばかりの4日後のことであった。かねてより、ダレス国務長官から吉田茂首相に、共産主義勢力の攻撃から独立後の日本を守るためには「日米安全保障条約」が必要なこと、そのために講和条約が締結された暁には日米間で締結することを、なかば脅迫的に迫られていた(1951年1月25日・東京)。かように日米安保は、日米水平の関係の条約などではなくて共産主義勢力からの防波堤として西側勢力への囲い込み外交としてアメリカ主導で締結させられる軍事条約であった、のである。
平和憲法を戴いた「新生日本」として、混乱する国際関係の荒波を戦後最初に被った汚染第一号が日米安全保障条約なのであった。それゆえに吉田首相はこの条約調印に随行した日本政府代表団の誰一人も伴わずにこの条約締結式に臨んだのである。この事実からして日米安保は「片務的」な条約として呱々の声を上げた戦後最初の理想国家らの堕落の第一歩であったのである。
上記の歴史に先立つ1947年5月3日、理想的な「平和国家ニッポン」を宣言した日本国憲法は、たった4年の後に国際社会の荒波に呑まれる形で立ち位置を決められて今日に至る。アメリカの旋回戦略に組み込まれて微妙に立ち位置を換えてきた「日米安全保障条約」、これこそアメリカ合衆国の衛星国家ニッポンを象徴する疫病神としてこの国の鼻面をつかまされ続けることであろう。トランプ氏の、鼻づらの扱い方が乱暴であるので痛みがよく感じるが、トルーマン大統領以後代々米国大統領から常に操られる鞭として日米安保はこの国に突き刺さった宿痾なのである。




兵庫県庁は令和の「播州皿屋敷」?

2025年04月11日 08時30分32秒 | 政治
 「細川家の国家老、青山鐡山は、叛意をつのらせ姫路の城主にとってかわろうと好機をうかがっていた。そんなおり、細川家の当主、巴之介が家宝の唐絵の皿を盗まれ、足利将軍の不興を買って、流浪の憂き目にあう。鉄山は、細川家の宿敵、山名宗全と結託して、細川の若殿を毒殺しようと談義中に、委細をお菊に聞かれてしまい、お菊を抹殺にかかる。お菊が管理する唐絵の皿の一枚を隠し、その紛失の咎で攻め立てて切り捨てて井戸に投じた。とたんに、井筒の元からお菊の死霊が現れ、鐡山を悩ます。現場に駆けつけたお菊の夫、舟瀬三平に亡霊は入れ知恵をし、皿を取り戻す。」。(淡路人形座「播州皿屋舗 青山館の段」の解説から引用)
江戸時代末ごろにになって、さまざまに脚色され粉飾された「播州皿屋敷」伝説。上は数ある筋書きの中の一つの筋立てのようだが、歌舞伎や狂言・講談から、はては落語に、素人芝居にと、さまざまに戯曲化され語られて今に残されているこの「皿屋敷物語」。本当はどれが本筋なのか、そもそも本筋など有ったのか?、無かったのか??。はては江戸に移って「播州」が「番町」へと語呂合わせの末に「番町皿屋敷」へと「伝播」していくとあっては何処までウソかマコトか?・・・。エンタメの夏場の夏枯れ防止に使われまくって、話が発展し過ぎたのが本当のところではないか?
さりながら播州姫路には今も立派に皿屋敷が残っているというからスゴイ!というしかない。去年の春から語り継がれ、止むことなく報じられてきた斎藤元彦兵庫県知事を「主人」とする播州役所(兵庫県庁)の騒動は、如何にも播州皿屋敷の発祥地播磨の国(播州)=兵庫に相応しい規模と物語性をテンコ盛りにして一年世間をザワつかせてきた。早くも今週は「一周年記念月」だ。
「播州皿屋敷」ならざる兵庫県庁を舞台に生起した「人情」ならぬ「刃傷」事件では、「青山鉄山」役の「斎藤元彦知事」によってなんやかんやと自死に追いやられた死者が3人(会計課長を入れて4人とも)、彼らが幽明の境を越えて夜な夜な娑婆に出て来ているとは聞いていないが、この夏などはあるいは「一枚、二枚、・・」と古井戸の中から幽霊たちが出てきて、皿の数を数えるよう有耶無耶が起こらないかと、落語愛好家の筆者は楽しみにしているのだが・・・。



歴史に学ぶというのはこういうことではないか?

2025年04月09日 07時34分34秒 | 政治
 「トランプ大統領の方針のもと科学研究に対する連邦政府の資金援助が大幅に削減される中、ノーベル賞受賞者を含むアメリカを中心とした科学者およそ2000人が『科学界への攻撃』をやめるように求める書簡を公開しました。31日公開された書簡には、C型肝炎ウイルスを発見したアメリカの科学者ハーベイ・オルター氏などのノーベル賞受賞者を含むアメリカを中心としたトップクラスの科学者らおよそ2000人が名を連ねています。書簡では『政府による80年以上にわたる賢明な投資が世界がうらやむ今のアメリカの研究体制を構築した。トランプ政権は研究への資金を大幅に削減し数千人の科学者を解雇してこの体制を揺るがしている』と強調しています。」(2025/04/01 サイエンス誌)
歴史に学ばない指導者と言うものがどれほど有害なものかということが、あと10年もしたら先験的な能力の有る者には分かるようになるだろう。しかし、残念ながら今のアメリカの国民大衆には「理解の外」のようだ。
今から80余年前、第一次世界大戦で敗北したドイツにすい星のように現れたヒットラー、その彼が支配する強権政治に嫌気した学者・研究者、この歴史ではとりわけユダヤ人迫害がナチ政権の主要政策の一つでもあったからユダヤ人学者を中心にドイツを後にして国外流出が激流となった。そしてその行き先が当時新興国家=「新世界」(A.ドボルザーク)と言われる「アメリカ合衆国」であった。その規模の大きさが、以後20世紀一杯、アメリカ合衆国を世界一の政治経済(文化・学術)大国とする基盤になったと言っても過言ではあるまい。アドルフ=ヒットラーとナチズム無しにアメリカの世界君臨は有り得なかった、というと合衆国民から叱られるかもしれない、が?
そんな歴史の逆転現象が始まったというのが冒頭の外電記事である。これに呼応するようにこんな記事が見つかった。曰く「「ドイツの経済学者たちは1日、同国政府に対し、ドナルド・トランプ大統領の政策に不満を持つ米国在住の研究者を対象とした採用活動を呼び掛けた。欧州の主要経済国であるドイツが「頭脳流入」の恩恵を受けることができるとしている。著名なキール世界経済研究所のモリッツ・シュラリック所長ら8人が独誌シュピーゲルに寄稿し、現在米国を拠点とする優秀な学者のために独国内で最大100の教授職に資金提供するよう政府に求めた。学者たちは米政府が学問の自由を損なっていると非難し、コロンビア大学とジョンズ・ホプキンス大学での資金削減や『学生の強制送還の脅威』を指摘した。」(2025/04/02 AFP)
これは、歴史に学ぶというのはこういうことではないかという典型例かも知れない。日本では、学術会議の政治支配を目論む官僚と政府与党の一部に不穏の動きがある。学術会議はここらで上記アメリカやドイツのアカデミアの例に学んではどうだろう?