日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

日本国憲法は一字一句も変わらないのに「拡大抑止」だって?

2024年07月31日 07時53分18秒 | 政治
 「日米両政府は28日、「核の傘」を含む米国の戦力で日本への攻撃を思いとどまらせる「拡大抑止」に関する初めての閣僚会合を東京都内で開いた。米側は核を含むあらゆる能力で日本防衛に関与すると強調。拡大抑止を強化し、戦略レベルの議論を深めることに合意した。米国による広島、長崎への原爆投下から79年の「原爆の日」を控える中、核抑止への依存をさらに深めるもので、核廃絶と逆行する岸田政権の姿勢が鮮明になった」(2024/07/28 東京新聞)。
ここに「拡大抑止」という難解な専門用語が出てきたが、ぶっちゃけた話「日本が核の脅しや攻撃を受けた場合に、米国が核兵器による報復を行う意思と能力を示すことで敵国を自制させること」だという。「えっ! 岸田さんは広島市選出の国会議員で、広島は被爆地として「核無き世界」を80年間ひたすら希求してきたのではなかったのか?とびっくり仰天した日本人は大変な数であろうが!??。本音はこんなことを考えていたのか?と驚くこと一入であろう。
そもそも「日本国憲法」は今日もまだ健全に生きていて、その発布以来一字一句も変わらないのに「拡大抑止」だという?、「核の傘」どころか「第九条」には、「①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とある。交戦権を認められていない自衛隊がれっきとした「軍隊」の米軍と共に「拡大抑止」などとんでもない!、「軍隊」も無ければ、ましてや国家としての「交戦権」も無い者が、よその国の「拡大抑止」によって戦い、かつまた外国(アメリカ)軍隊によって庇護してもらうなどと言う論理が有るわけもない。
にも拘らず、上記4人と日米首脳はひそかに在日米軍の組織改編を通じて米軍と自衛隊の連携強化から一体化を進める中で在日米軍に指揮権をあたえ、その力にすがって「核抑止」まで「語る」ようになってきた。かくて北にオホーツクを眺め、日本海から対馬海峡を経て東シナ海・南シナ海に続く地域は、今や世界の一大緊張地域に変質し始めているのである。
「魔の安倍政権」が激しく欲望しながらなし得なかった「軍事大国ニッポン」が、知恵も才覚も持たない(と、多くの国民は思っている)岸田文雄氏の政権によって、ずるずると留まるところを知らないままに軍拡の道を滑り落ちていく。これは一体全体どうしたことだろうか?。「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」はずの日本人がなぜこんなことを始めなければならないのか?
「平和の祭典」オリンピックを見ながら、日本国民はじっくり考えないといけない!
 


敦賀原発2号機不合格に寄せて

2024年07月30日 07時27分08秒 | 政治
 「日本原子力発電が再稼働を目指している福井県にある敦賀原子力発電所2号機について、原子力規制庁は7月26日に開いた審査会合で、原発の規制基準に適合しているとは認められないとする結論をまとめました。原子炉建屋の真下を走る断層が将来動く可能性を否定することは困難だとしていて、事実上、再稼働を認めない結論を出すのは2012年の発足後初めてです」(2024/07/26 NHK)。
日本原子力発電(㈱)の敦賀原子力発電所は1969年10月3日に初号機が臨界を迎えた。日本では、同じ日本原電の東海村原発1号機に次ぐ国内2号機で、これは我が国初の軽水炉発電所となった歴史的な原発でもあった。次いで建造された2号機は1982年に着工し、1987年2月に臨界に達した原子炉であるが、これには、原子炉建屋など原発主要部分の真下を断層が走っていることが後に知られ、この断層が動くことが有れば大事故につながる可能性がある。26日に開かれた審査会合では、この断層が別の活断層に引きずられて動く可能性があるか否かの審議が行われ、その結果が上の「動くことを否定することは不可能」という「否定の肯定」の結論となったのである。
このような原子炉の再稼働申請を認めない結論を原子力規制委員会が出したのは2012年の同委員会発足以来初めてだという。このように原子力規制委員会が政府御用機関としてではなく厳しい判断を下したことは、委員会の公正性という点でも注目に値する「大」事件である。かつ、我が国の原発行政のシンボルとしての「日本原電」の位置づけを根本から変化させるであろうことから、今後の原子力行政に大きな変革を要求することにもなるのではないか?
原子力発電問題は、単に電力行政のように見せながら、その裏では外交問題や軍事問題に密着する巨大な政治と暗黒の利権を持つ政治問題でもある。この度の、原子力規制委員会の結論が政治問題にどう関わっていくのか?、泰山は鳴動したが、泰山の麓から出てくるのは何時ものようにネズミ一匹か?それとも巨大な「ゴジラ」の出現か? 窮極は原水爆に繋がる原発問題、核の洗礼を真っ先に受けた日本国民は、ここから決して目を離してはならない。

男/女・皮膚の色の違いを越えてヒトは皆平等だ!

2024年07月29日 08時29分50秒 | 政治
 「米共和党の副大統領候補に選ばれたJ・D・バンス上院議員(39)が2021年、民主党のハリス副大統領(59)を名指しして『子どもがいない人々』を中傷する発言をしていたことに改めて注目が集まり、強い批判が広がっている。当時、上院選に立候補していたバンス氏はFOXニュースのタッカー・カールソン氏が司会を務める番組で『惨めな思いをしている子どものいない<猫好きの女性たち>(childless cat ladies)によって、この国は運営されている』と発言した。ハリス氏ら複数の民主党政治家の名を挙げながら『民主党の将来は、子どものいない人々によって支配されている。我が国に利害のない人たちに、我が国を任せたことにどんな意味があるのか』と疑問を呈した」(2024/07/26朝日新聞)
「因果応報」とは、「過去および前世の行為の善悪に応じて現在の幸・不幸の果報があり、現在の行為に応じて未来の果報が生ずること」と辞書には書いてある(goo辞書)。この暴言発言の当事、J・D・バンス氏は、よもや3年後に自身が共和党副大統領候補にノミネートされようとは思ってていなかったのだろう。せいぜい己の支持票を集めて上院選挙に当選すればよい。それには思い切って保守的な言動を弄して保守票を集めておこうとでも考えたのであろう? 「ラストベルト」都市の一つ、オハイオ州の選出だから旗幟鮮明に保守色をしっかり出しておこうとでも考えてのあさはかな発言だろうが、あれから3年、よもや己が副大統領候補になろうとは予想できなかったのであろう。それが今となって、政敵民主党の大統領候補に有色人種で、かつ女性の「カマラ=ハリス氏」が大統領候補になろうとは神ならぬ身の思いも及ばなかった。この発言は敵に大量の塩を送ってしまったことになるのではないか? 
人生、いつのトキもいらざる発言はしない方がよいとヒト事ながらアドバイスしてあげたいと思ってここに一筆啓上しておく。男/女・皮膚の色の違いを越えて「ヒトは皆平等であります」と!。

今、時代は究極のどん詰まり!

2024年07月26日 07時31分33秒 | 政治
 「朝日新聞が20、21日に実施した世論調査では、岸田文雄首相に首相を『続けてほしくない』との回答が74%に上った。前回総裁選で出馬辞退に追い込まれた菅義偉前首相の政権末期の数字を大幅に上回っており、9月の総裁選に向け、首相の不人気ぶりが改めて浮き彫りになった。『気の毒だが、岸田さんのイメージが悪すぎて、もう何をやってもダメ』。無派閥の中堅議員はそう言い切った」(2024/07/23 朝日新聞)。
こんな記事を、自分が新聞に書かれたらきっと首をくくって死んだろうなぁ!、としみじみ岸田さんになり替わって身震いしたのである。たしかに、この世論調査結果の数値は「悲劇的」である。「支持する」という回答が低いのは我慢するとしても、「首相を続けてほしくない、が74%」という書きぶりは、強烈な否認の表現である。石川啄木の歌「石をもて追はるるごとくふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし」という心境に及ぶ表現であろう。
「それにしても!」と大きな疑問が湧いてきた。こんな記事を読んだら耐えられないはずが耐えて生きているというのは、岸田さんはすべての世間の騒擾に「見ざる聞かざる言わざる」の「三猿主義」に徹し、新聞・テレビ・ネットの一切に目や耳をふさいでいるとでもいうのであろうか? だとすればこれは同情の余地なしとしなければならない。
そうではなくて、他者に交わる神経が悪くて、他者の微妙な感情を読み取る才能が無く、彼は、他者たる4億国民の思いを共有することができない無共感・無感動の「異邦人」(カミユ)なのか??。はたまた、己の不人気は承知しながら、それでいてエログロ週刊誌や低級なるネットなどで巷間騒がれている岸田後継なる人物たちも己と五十歩百歩と高をくくっているとでもいうのであろうか?
一体全体、いまの世に生きる民の哀しみ・苦しみはどこで・どう処理すればよいのであろうか? 今、時代は究極のどん詰まりに至って明日が見えない。岸田さんには明日の朝がどう見えるのか語って欲しい。
 


トリックスターの跋扈する末世

2024年07月25日 07時29分27秒 | 政治
 「広島県安芸高田市議会が2024年度当初予算を修正して議決したのは地方自治法に違反するとして、前市長が同法に基づき議決の取り消しを求めた審査申し立てを22日、広島県は棄却した。市が予算案に市議会広報紙の発行経費を計上しなかったのに対し、市議会が発行経費199万円を追加し議決していた。石丸氏は、22年11月発行の広報紙『議会だより』に掲載された自身の市議会での答弁内容に虚偽があると主張。市議会が答弁の要約として訂正しなかったため、発行経費を計上しない予算案を提出した。修正議決に対し再議を申し立てたが、市議会は結論を維持した。市は『結果を受け入れる』としている」(2024/07/24共同)
 都知事選挙で一躍全国に名を売った石丸伸二前広島県安芸高田市長。なにしろ「恥を知れ恥を!」と不倶戴天の間柄にして罵倒の対象だった同市市議会との壮絶バトル。敵対する市議会にはびた一文市税を使わせるわけにはいかないとしたのであろう、議場で居眠りするような議員の市議会に広報誌予算配分などもってのほかだ! これに抵抗した市議会は議決有理として予算を維持して通してしまった。これを不当とした石丸氏が広島県に審査を申し立てたのだが、これに対して、広島県の湯崎英彦知事はこれを棄却したというのがこの記事の内容である。
たった先ごろ、「花の都=東京」の紳士淑女たちからは、そこの知事になって欲しいと希望する人165万人もの投票を受けた人物が、たった2万人の人口の町ではこういう「石を持って追われる」扱いを受ける。このギャップをどう理解すればよいのであろうか?
もっともこの人物、実は「石をもて追われる」ところとなった故郷=広島県安芸高田市民は彼を一度は、市の停滞を破る救世者として期待して選んだのであったのだろう、が?
いま、日本国中のあらゆるところで引き潮のタイミングにあって、いたるところでこのようなさまざまな「トリックスター」が登場する時代に入っているものと想像される。この停滞感から脱却したいという熱意は何時の日か成功するのではあろうが、その時までにどれほどの苦難を背負わされることだろうか? そういえば、江戸時代が終わって明治近代を呼び込んでいった幕末時代も同じような騒擾が果てしなく有ったのであろう。歴史はめぐるというのはこういう「騒擾」を指して言う言葉なのではないか? いま、兵庫や長崎県で起こっている「騒擾」もこういう歴史的な騒ぎの一例なのかもしれない。いま、トリックスターの跋扈する末世!