一年の計は元旦にあり、その元旦の計は「年賀状」に始まる。我が家の郵便箱から溢れていたのは5、6年も前までのこと、「去る者は日日に疎し」のたとえのとおり、今では受信賀状もその頃の半分、いな三分の一ぐらいに減った。とはいえ賀状のやり取りは、人間(じんかん)を結ぶ優れたコミュニケーションでありつづけてきた。
まずは歳末に何を主題にして書くかから始まって、家人の残酷な批判(非難?)に耐えつつ文案を考えるところから始まって、やがて印刷→あて名書き→投函と一応の完了に到達するのはクリスマス明け。
それから一週間を経て元旦の受信。その発信者は我が方の送信者名簿に入っているか否かをチェックする作業が終わるころはもう元日の陽が西に傾く頃。行き違いをチェックして非礼の無いように発送落ちについては言い訳を走り書きして郵便ポストに投函し終えたときにはもう短い正月の明はとっぷりと暮れる。これが、過去何十年の繰り返しであった。
新型コロナパンデミックという未曽有の荒波を期にこの賀状を止めることにした。そのコンテンツ;――
「一期の月影かたぶきて、余算の山の端に近し。仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。いかゞ、要なき楽しみを述べてあたら時を過ぐさむ」(方丈記) 夫婦共に齢を数え、新珠の年もめでたくもあり、めでたくもなく、初春のご挨拶に限って当方からの発送は本状をもって終了とさせていただきます。但し、これが当方へ頂く分についてお断りするものではないことをご承知くださればなお重畳 2021年元旦」
これで長年悩んできた年末年始の軛から解放されるはずではあるが、さて、来年の正月の気分はそれで晴れやかになれるものかどうか? 出さなくても届いていた腐れ縁の企業や行政機関の担当さんたちの味気ない賀状しか届かないかと想像するとそれはそれで寂しくもあり、コロナ鬱ばかりでない鬱。今年はこういう複雑な思いの「正月三が日」であった。
しかし、ともあれ・・・遅ればせながら、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお付き合いの程をお願い申し上げます。(玄洋庵主敬白)
2021年1月4日