日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

施政方針演説から見えてこないパンデミック後の世界

2021年01月22日 07時30分33秒 | 政治
 地球上に広く伝染し、世界人口の極めて多くが罹患し,人類の生存に大きな影響をもたらしてきた伝染性の疾病を指して「パンデミック」という。いま世界中を震撼させている新型コロナウィルス感染症COVID-19を世界保健機構が「パンデミック」だと認定したが、これはこの流行の前と後とでは人類の文明の在り方がドラスティックに変化する可能性が高いことを意味していることになる。
 6世紀、ビザンチン帝国から始まったペストはやがてイスラームを産み出し、17世紀にヨーロッパ一円を席巻したペストの流行では中世を覆ってきたキリスト教世界からルネッサンスへと宗教から世俗的社会を導き出したし、第一世界大戦の渦中でアメリカ生まれのスペイン風邪はヨーロッパから当のアメリカへと文明を移動させた。そして今、COVID-19パンデミック!、これもまた中国で発症し中国への文明移動を起こす契機となるやも知れぬ。いずれにせよCOVID-19は何か大きな変革を人類に突き付けてくるのであろう。
 こういうタイミングですでに世界の政治や経済などに地殻変動が起こり始めている。アメリカではティル・オイレンシュピーゲルを地で行ったようなトランプ大統領が七転八倒の末に石をもて追われるところとなったし、反対に国際政治に辛うじて知性を保持させるのに貢献してきたメルケル女史が政界を去るという。日本でも永久政権か?と思われた安倍政権が消えた。それもこれも世界史の変極点=パンデミックなればこそに違いない。
 こういう「歴史的」変化のタイミングで、宿命的に政権を受け継いだはずの菅内閣がまことに心許ないのはどうしたことか? 折角の歴史的大変化の時代への認識に畏怖や畏敬の念が全く感じられない。どうやら政権はこのパンデミックをエピデミックかあるいはそれより狭小のエンデミックくらいの認識でいるようだ。
 1月19日の総理大臣施政方針演説を我慢して読んで見た。11,520字に及ぶ長文の演説原稿から立ち上がってこなければいけない新しい時代への足音はその中からは全く聞こえて来なかった。日本語として貧相であったことは敢えて問わずに感想を二三あげつらうと;――「わが国の農産品はアジアを中心に諸外国で大変人気があり、わが国の農業には大きな可能性があります。昨年の農産品の輸出額は、新型コロナの影響にもかかわらず、過去最高となった2019年に迫る水準となっています。2025年2兆円、2030年5兆円の目標を達成するため、世界に誇る牛肉やイチゴをはじめ27の重点品目を選定し、国別に目標金額を定めて、産地を支援いたします。(中略)農林水産業を地域をリードする成長産業とすべく、改革を進めます」などという。冗談じゃない。この国の農業は自給率37%しか支えられない無能力。パンデミックの中での保護主義が起これば1億の民は餓死する。いまこそ自給能力向上を提案すべきをこのピンボケだ。
 また、「わが国には内外の観光客を引きつける『自然、気候、文化、食』がそろっており、新型コロナを克服した上で、世界の観光大国を再び目指します。先を見据え、短期集中で、ホテル、旅館、街の再生を進めます」ともいう。インバウンド観光への見果てぬ夢を見続けたいのらしい。「観光」とは所詮、旅人の懐に手を突っ込んで、労せずして財布を空にさせるビジネス。与えられた自然景観や先人の努力の跡を売り食いしつつ生きる待ちぼうけ産業である。額に汗せよと説いた柴又の寅さんすら唾棄したモラルに他ならない。
 更に、「国際金融センターをつくることも、長い間言われてきたことです。日本には、良好な治安と生活環境、1900兆円の個人金融資産といった大きな潜在性があり、金融を突破口としてビジネスを行う場としても魅力的な国を目指します。(中略)海外の人材がビジネスを容易に開始できるよう、在留資格の特例も設けます」。おそらく菅氏の知恵袋竹中平蔵氏のいう東京を世界の金融センターにという戦略の入れ知恵ではあろうが、所詮はカネ偏の博奕市場形成構想に過ぎない。額に汗するモラルを失った博打打の世界である。
 どれ一つとっても、首相の施政方針演説の中に「パンデミック後の世界」を見晴るかせる光明を見つけることはできなかったのである。これではこの国のお先は真っ暗だ!!
 菅政権は、コロナウィルス効果で一気に末期症状に入ったようだ。
 


公共空間の弾性限界が近づいている

2021年01月21日 07時43分00秒 | 政治
 物理学用語でいう「弾性限界」とは、「物体」に張力を加えて引き延ばした後で、その張力を解放した時、元の長さに物体が戻れるか戻れなくなるかの限界を言い、課した力でその物体断面積で割った数値「ニュートン/平方メートル」をいう。
 去る、今月6日に起きた米連邦議会襲撃事件を見ていると、「物体」のような実体を持つモノばかりでなく、国家のような抽象的な概念システムにも「張力限界」があるのではないかという思いに駆られてくる。
 この「ワシントン暴動」、合衆国内一部にはこれを「クーデタ」と呼んでいるジャーナリズムもあるというから人びとには実に深刻なつめ跡を残し、アメリカが営々として作り上げ、かつ誇りにもしてきたデモクラシーが完膚なきまでに損傷を受けたものであろう。4年前このドナルド・トランプという男を大統領に選任したことで、その後4年間幾百ともつかぬウソと罵詈雑言と無節操な政治判断という跳梁を許してきた。この間にアメリカ民主主義が受けたストレスは弾性限界を超えていた。ついに、国家社会の基盤が元に戻れない状況にまで陥ってしまったのであろう。
 あの日(1月6日)の暴動の最中に、「ロシアのスパイ組織に売る目的で民主党のナンシー・ペロシ下院議長のノートパソコンを盗んだとされる女が、連邦捜査局により訴追された」という恐るべきニュースが世界中に発信されている。また、20日の新大統領就任式を目前にして、テキサス、オレゴン、ミシガン、オハイオなどの各州で、州議会の議事堂周辺に銃を持った抗議グループが集まっているという報道もなされている。もはや、デモクラシーの教師の資格は完膚なきまでに失った知的弾性限界を超えたとしか言いようが無い。
 さて、他人のことはともかくもその「他人のふり見て我がフリ」を見てみればどうだろう。そのアメリカからB29に搭載された原爆と焼夷弾と一緒に梱包されて落ちてきた「民主主義」、その後76年を経た今、果たしてあの頃の清新さを保ち得ているのであろうか?
 民主主義の現場=日本国会では、総理大臣が吐いた嘘の数が数百に上ったり、いまや言語明朗ならざる指導者が演壇から意味不明な言葉をつぶやいている。それでも、それなりの支持率を獲得している与党政治家たちは何の反省も感じていないらしく頻々とその権勢を利用して汚職に手を染める。世論調査の支持率は下がったとはいえまだ3割を超える人々がこの内閣を「了」としている。野党は有るか無きかの存在でしかない。ここでもまた民主主義の張力限界が近づいている。
 そこを見すかしたように新型コロナウィルスパンデミックが襲ってきた。クワバラクワバラ!
 


今日は「ウソ記念日」、今につづく不道徳の始まり

2021年01月20日 07時34分10秒 | 政治
 「小説家としてずっと気になっていることがあります。安倍政権と菅政権が日本語を徹底的に破壊してきたことです。あらゆる疑惑をうやむやにし、質問にも答えない。およそ会話が成立しないような、日本語の使い方をしてきました。その政権がいざ「緊急事態宣言をしました」「家で過ごしましょう」と訴えたところで国民に通じるはずがないんです」(平野啓一郎 2020/01/17新聞赤旗日曜版)
 緊急事態宣言を全国11都府県に発出したとは言い状、その効果は前回の同一宣言時に比べて見るべきほどの効果が全くと言っていい程に無いという。「宣言」によって行動に制限を受ける国民の側にも個々の都合が有ってのことではあろうが、道行く人の数が宣言前と比べて減るどころか人気スポットなどにあっては逆に増えてさえしていると聞く。
 これは、何にもまして指導者たちが発する言葉が「ウソ」に紛れてその「実」が無いことを人々が知ってしまっているところに原因があるのだろう。つまり、指導者たちはもう国民からその正統性(レジティマシー)が疑われ、見くびられてしまったのである。
 そう言えば今日「1月20日」は近来まれに見る「大ウソ」が語られた日として「ウソ記念日」と言うに相応しい一日である。2017年1月20日午前11時02分より11時21分(たった20分だ⁉;筆者註)、国家戦略特区諮問会議が首相官邸4階の会議室で開かれ、その場で加計学園獣医学部を愛媛県今治市に設置する計画が全会一致で承認された。
 あろうことかこの重要会議の議長をつとめた安倍首相は、この時に机上に出されていた会議資料によって「初めて」盟友の加計幸太郎氏がこの重要な提案を国に対して行っていたという事実を知ったと、後々野党の追及に対して答え続けたのである。これが記念すべき「大ウソ」であるという事実は今さら並べ立てるのも時間の浪費であるから敢えて省略する。ただただ紛れもない「大ウソ」であること、それが天下の内閣総理大臣の口から出たという事実のみを指摘しておく。ただし、まだ当人がその「屈辱」を雪げずにいるのはもちろんのことだが、彼の政敵たる野党もまた確定を放置したままでいること。ここに、世の道徳が破綻していく成り行きが見て取れる。
 世界の政治家の中でウソを多発した人物としてはアメリカのトランプ大統領をもって嚆矢とするであろうが、我が安倍晋三前首相も負けてはいない。桜を見る会や森友事件に関わって発した虚言は数を知らないと思しきが、その中でもおそらく第一等のウソがこの「1月20日初見」発言というウソではないだろうか? 
 こういうウソから始まる不信用が緊急事態と政府が太鼓をたたいても国民が知らんぷりする原因であろう。ウソはすべての不道徳の始まりである。道徳教育の必要性は政治家にこそ当てはまる。
 


残酷さをウリにする投稿サイトの制限

2021年01月19日 07時36分23秒 | 政治
 「ヘビの檻に生きたウサギ 動画投稿者『餌あげ何が悪い』」という見出しで、次のような吐き気のする記事が新聞に載っていた。
「生きたウサギやハムスターをヘビに食べさせる様子を配信していた自称ユーチューバーの男性を、動物愛護団体が「虐待にあたる」と刑事告発した。動物愛護法は正当な理由なく危害を加えることを禁じるが、「生き餌」に関する規定はない。動画の内容をどう評価するか、捜査機関は難しい判断を迫られそうだ」(2021/01/17朝日新聞)。
 これもまた昨日本欄に書いた「アニマルウェルフェア(Animal Welfare)」に関わり、また公序良俗に係る軽?犯罪ということにならないのだろうか?
 記事によれば、この投稿者は、「生き物が死ぬ瞬間が含まれます。見たくない方は終了して下さい」と警告を載せているとはいうのだが、その中身は「ハムスターやウサギ、ウズラやモルモットが、それぞれヘビやトカゲがいるケージ内に放り込まれ、捕らえられて数分間かけて食べられる様子が生々しく映し出され」ているのだそうだ。
 もとより食物連鎖というこの生物世界を形成している食うか食われるかの循環は、本質的に自然界の成り立ちを整序なものとして作り上げていて、それが人間の目からしていかに凄惨に見えようとも全体として自然界が成立していく要件であるという厳然たる事実である以上、そこにいささかの加えるものも差し引くものも有りはしない。それでいて人間社会におけるモラルの中にはそれをナマのまゝに肯定しないもの、敢えてこれを「ヒューマニズム」という。現に、こういう残虐な映像を見慣れていくことで崩れていく心が人に備わっている。おそらくそれは人間だけにのみ備わっているものであるらしい。それだけに、この残酷さに慣れてしまうことが暴力や残虐さを誘引し、ヒトは一撃で他人を殺傷する能力を持たないがゆえに生じた殺意を抑制する能力も無く、ために殺人から戦争までの残酷さに進んでしまう。
 この種の投稿者たちは、あらかじめ忠告し注意したのだから、それでも見ようというのは自己責任だと言いたいのだろうが、恐いもの見たさにそのおぞましい光景を見たくなる心理を逆なでして、かつそこで責任を一気に手放しかつ放棄してしまうインモラルな行為はやはり大きな問題が有ると言わなければならない。
 わけても投稿サイトではこれによって多くの視聴者を獲得し、それによって広告掲載数が上がれば投稿者の所得になるという点で、「親の因果が子に報い」と客寄せしている村祭りの出し物よろしく、彼にとってそれなりの収入になるというあの禍々(まがまが)しさに通ずる。それゆえに投稿者はますますもって残虐性を強調していこうとするのではないだろうか?
 上記記事は「捜査機関は難しい判断を迫られている」というが、捜査機関を引っ張り出すまでも無くサイト側で分かり易い論理をもってルール化し、それによって毅然とした処置を講じるべきであろうに。


アニマルウェルフェアを汚すキツネやイタチに劣る政治家たち

2021年01月18日 07時37分55秒 | 政治
 働き手の豊かだった少年時代の筆者の家族では炊事・洗濯は姉や叔母たちの手で十分に間に合っていたので、筆者の家事分担は唯一、朝起きて鶏小屋の戸を開けてニワトリたちを広い庭に解放してやることだった。朝の早い鶏たちは食欲も朝が一番。だから戸口を解放してやると一斉に表に飛び出して、庭を徘徊している毛虫や昆虫、そこにこぼれている雑穀類などを顔色を変えて?ついばんでいる。
 この間に当方は餌をつくるのだが、その原材料は小麦の製粉粕であるフスマ、それにお勝手から出てくる残飯類や切り刻んだ野菜に粉砕した貝殻を混ぜ合わせ、水で溶いてかき混ぜれば出来上がりだ。程よいタイミングでその容器の縁をヘラで叩きながらケージに向かって歩いて行けば庭いっぱいに広がっていた鶏たちは一斉に巣に戻ってくる。巣箱に入れた新しい食餌をかれらは先を争って食べる。そのすきに鳥小屋の戸を閉めてしまえば筆者に課せられた一朝のノルマは終わるのである。
 このように飼われている鳥たちは広い金網で囲われた広い小屋に集団として囲われてはいたのだが、それはしばしばやってくるキツネやイタチから彼らを護る防壁でもあったから生存環境としてはまずまずであったと言っても良かろう。それでも時折、小屋の床の思わぬ隙間から侵入するイタチに体中の血を吸い取られてあえなく殺戮されるという悲劇もしばしば起こっていて、その防御もまた筆者の職務分担にはなっていたのである。
 こんな4分の3世紀ほど昔のことを思い出したのは吉川貴盛元農林大臣(70)が広島県の鶏卵生産業者から多額の賄賂を受け取っていた容疑で在宅起訴されたというニュースに刺激されたためである。これについては西川公哉元農水大臣も同様の嫌疑がかけられているという。二人が請け合った?「請託」は、鶏卵養鶏業者の巣箱がアニマル・ウェルフェア(AW)に反し、動物虐待にあたるという諸外国からの指摘に対し、これを日本政府として受け入れないように請託することを目的として多額の金銭を渡したというものである。あろうことか、この賄賂は大いに奏功して請託が実現もしたという。まさに、この悪人たちはわがニワトリたちの宿敵に違いない。
 物価の優等生と称賛され続けてきた鶏卵市場価格、その裏にはおよそAWとは程遠い飼育環境。国民栄養をひたすら提供し続けてくれた鳥たちはその短い生涯を金網の上に立ちっぱなしで過ごし、ただただ300卵を生み終えて死んでいく。それでも終わらずに、その死肉はイヌ・ネコなどペットの食餌に加工されてからようやく輪廻の循環に入るのである。
 こんな動物虐待によって得た金が政治を動かす原動力になっているという罰当たり。しかもこの不正が見つかったのは、元法務大臣河井克行、その妻安里参議院議員の公職選挙法容疑捜査の中で、その買収資金を提供した鶏卵業者の存在が判明したためという。絵に描いたような悪、動物虐待に始まって人間社会迄も汚辱に染める悪の連鎖である。
 庭で餌をあさっていた鳥たちは、餌を入れた容器の縁を叩く音を聞いて一斉に巣の入り口に殺到して筆者と一緒に中に入る。そんなヒトと鶏たちの豊かな関係の時代が有ったことを、不潔な事件報道から懐かしく今朝思い出しているのである。