日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

貧弱な政治指導者が精神世界のエントロピーを極大にしていく

2022年07月29日 07時48分49秒 | 政治
 一国の政府が執る一挙手一投足はすべからく法律的な根拠をもっているものとばかり思っていたが、どうもこれは間違いだったらしい!? というのは他ではない参院選の遊説中に銃で撃たれて急逝した安倍晋三元首相を追悼するために、岸田内閣は9月に国葬を執り行うことを去る22日「正式に閣議決定した」という。「正式に」というが敗戦前にはあった「国葬規定」があの悲惨な敗戦を契機として以後「六法全書」の中から消えた。思うに明治憲法の立憲君主制下での価値観が戦後民主主義といかにも齟齬をきたしたためだったのであろう。特に議論をするまでもなく戦後法体系の中からこれは除外されたのだという。時の政権の恣意的政治利用の侵入を防ぐためだったのであろう。
にもかかわらず1967年10月31日、時の佐藤栄作内閣は、上述の意味で「戦後大系」を作り上げるに最も功のあった人として吉田茂元首相の死に対して「法的根拠の無いまま」に「国葬」と称して国民服喪の儀式を強行した。いかにも日本的というべきか?、感傷的というべきか?? 佐藤首相の「吉田学校の優等生」という自負心が、「恩師」の国葬の名の下に儀式を強行する私的動機 だったのではなかったかと思われる。
しかし、その佐藤氏自身の死に際しては、彼がノーベル平和賞受賞者という国際場裏において最高の栄誉をもって国際社会から遇された政治家であったにもかかわらず、その死にあっては「国葬」はあり得ず、以後これに準ずるものが実に半世紀以上にわたって無かったのは、他ならぬ「吉田国葬」の例が立憲制原則からの脱法的行為であったがためであったのだろう。
佐藤栄作首相をして脱法させた「吉田茂国葬」に比べて、この度の「主役」安倍氏はいかにも毀誉褒貶に激しく、歴史の評価に耐え得る人物とは筆者には断じて思えない。その人に対してふたたび国家の基本原則を破ってまで、かつ異論噴出する中にあって国内外に向かってこれを強行するというにはどんな夾雑物が含まれているのであろうか??
筆者には、最大派閥のリーダーの死による権力闘争の政権政党内部の消波装置にしか見えない。そんなドメスティックな権力闘争のために、世界中にイベント開催を呼びかける非礼について一国民として大いに恥じ入っているのである。
国家の一挙手一投足は常に法律によって律せられている。これを法治国家という。そして我らの国は実に70余年にわたって「法治国家」であったはずだったのだが、貧弱な政治指導者が精神世界のエントロピーを極大にしていくのである。
 


「鑑定留置」が必要なのは政治家たちではないか?

2022年07月28日 07時51分24秒 | 政治
 安倍晋三元首相殺害事件で逮捕拘留された無職の山上徹也容疑者について、奈良地検は向こう4か月かけて精神状態を調べるための「鑑定留置」を決定し、早くも先週22日には大阪拘置所に身柄を移送したという。当局はその「鑑定」結果をふまえて、責任能力の有無を判断し、起訴するかどうかを決めるのだという。
何と言っても容疑者は殺人という「異常」な行為を行っているのでその限りにおいて道徳律としてアブノーマルであることは言うまでもない。しかし、事件後今日まで伝えられてきた報道で見る限り、容疑者に殊の外の「精神異常性」があるようには全く見えなかったので、筆者はこの報道の「異常性」の方に大いに驚いているのである。
それよりも想いの熱いうちに公開の法廷において、被告にこの道ならぬ道に迷い込んだ旅路をすべて語りつくしてもらいたい。政治家、痩せても枯れても日本の内閣総理大臣を8年余の長期にわたってつとめた人を殺害したのである以上、故人と国民に向かって誠実に心中を洗いざらい吐露してもらわなければならないからである。
この事件、彼がその幼児期に最も必要とした母性、すでに教団が作り上げた「絶対神」に心身丸ごとからめとられた母親からそれが与えられることの無いままに育ち、あまつさえ彼を育てるための日常生活に支障をきたすまでに財産を収奪され、事実上「家庭」が持つありとあらゆる機能や文化を吸い取られ、奪い取られていき、父の自殺も相まって、折角両親から受けた才能を開花するには一家の貧困化が全ての可能性の通路を閉じてしまっていた。
25日の本欄に「安倍晋三氏を殺した男の文章力」と題して書いておいたように、この主人公の犯行前の知力は十分に高く、当人の絶望の深さは理のあることで、その絶望深度を大きくしたのは安倍晋三元首相を頂点とし、野党にまで及ぶ驚くべき数の政治家たちの教団への協賛状況であったのではなかったか? 国家権力としっかりと交わっている教団の政治力をもってして一私人の反抗など「ごまめの歯ぎしり」に過ぎなかったのである。
韓鶴子会長を招いて愛知県で開かれたこの教団のイベントに参加して祝辞を述べた当時自民党清話会会長で現衆議院議長細田博之氏の挨拶の中で、氏は「安倍総理にも私は始終話しておりますので、今日の盛会を安倍総理に早速お伝えします」とまで述べて満場の歓声喝采を得ていた。安倍氏がこの宗教組織の中核部分と強い紐帯で結ばれていることを会場の信者たちすべてが熟知していることの紛れもない証拠だろう。
それだけではない。教団との密着が次々と明るみに出てくる政治家たちにその紐帯を結んでいったのも安倍氏であり、集票マシンとしての教団の優れた機能を彼らが安心して利用できたのも安倍氏の「邪宗門」へのいざないが有ったればこそであったのである。岸信介元首相時代から官僚として政治中枢を見てきた細田博之衆院議長のあの祝意は、日本国憲法第20条第3項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」に真っ向から違反する行為であった。「鑑定留置」が必要なのは山上容疑者ではなく教団に関わった多数の政治家たちではなかったのか?

こちらが右、こちらが左でございます

2022年07月27日 07時43分29秒 | 政治
 国会議事堂正面玄関先、思案の顔で立っている女性のカリカチュア。その女性を案内しようとしているのか衛視らしい男、手を左右に振って案内しようというのであろうか? その瞬間女が思わず発したひとり言だろうか、「にゃんにもわからにゃい!」と言うつぶやき。衛視がこれに応えて、「こちらが右、こちらが左でございます」と手を左右に突き出している姿。作者の解説には「なんせ右も左も・・・生稲晃子議員(参・自民)」とある。
この絵の戯画モデルとされたのは今月10日の参議院議員選挙に東京地方区から見事?当選した生稲晃子議員で、彼女の初登院の姿を面白おかしく書いたものであろう。政治の右(右翼)も左(左翼)も区別がつかない上に、その思想性も怪しい素人が政治家ですか?という軽侮が含まれているのだろうと筆者は解釈したのだが・・・。
天下の選良としての国会議員をこういう形で辛辣に笑い飛ばすのは如何なものかとも思うが、彼女についてネットで調べてみるとなるほど以下のような記述があった。公党それも国政の重責を負っているはずの政権与党を構成する「選良」というにはいささか問題をはらんだ選考過程があったとしか思えない。
以下はWikipediaに掲載された生稲氏の紹介記事である。「①選挙のインターネット投票について、2022年の日本テレビのアンケートで回答しなかった。②「岸田文雄首相の政権運営をどの程度評価するか」との問いに対し、2022年のNHKのアンケートで回答しなかった。③「小池百合子都知事の都政運営をどの程度評価するか」との問いに対し、2022年のNHKのアンケートで回答しなかった。④「新型コロナウイルスの感染症法上の扱いを結核など2類と同等の現行の対応を維持するべきか、インフルエンザなど5類と同等に緩和するべきか」との問いに対し、2022年の東京新聞のアンケートで、選択肢から回答を選ばなかった。⑤富裕層や大企業への課税強化について、2022年の毎日新聞のアンケートで「反対」と回答。一方、同年の朝日新聞のアンケートでは「どちらかと言えば賛成」と回答した。また、同年のNHKのアンケートでは回答しなかった」等々
やくみつる氏(ここではイラストレーター)は、こういう参院選立候補者への政治アンケートに対して無知であることを根拠にしてこのカリカチュアを描いたのであろう。政治家の的確性を問うことは非常に危険性があるので軽々な議論は避けなければならないが、過半数の議席を持つ政権政党としては、必要数を越えて参入してくる人物なら無色透明にして党指導部の言いなりに賛否に同調してくれる遣い勝手のよい「素直な」議員が欲しいのであろう。このカリカチュアはそこを見事に野次っているのである。
この絵の国会議事堂玄関は独裁政治へのとば口をもシンボライズしていると見るのは早とちりか?

チャイコフスキー国際音楽コンクールの排除を悲しむ

2022年07月26日 07時28分00秒 | 政治
 ロシアに係る凡そ何もかもを国際社会から追い出すというのは如何なものであろうか? 最近に聞いて驚いたのは、あの権威ある「チャイコフスキー国際音楽コンクール」が今年2022年の4月をもって「国際音楽コンクール世界連盟」から除外されてしまったという「事件」だ。
チャイコフスキー国際音楽コンクールと言えば、ショパン国際ピアノコンクール (ポーランド・ワルシャワ)、 エリザベート王妃国際音楽コンクール (ベルギー・ブリュッセル)と並んで「世界三大音楽コンクール」と呼ばれる華を競う最大規模の音楽イベントだ。未だソビエト連邦「鉄のカーテン」堅牢なりし頃の1958年に創設され、「暗黒大陸ロシア」につながる唯一の平和的な架け橋であった。
このコンクールにおける日本人の音楽家たちの活躍は実にはなばなしく、早くも第1回の1958年大会には早くも松浦豊明がピアノ部門6位入賞をはたし、これを皮切りにして1966年には潮田益子がヴァイオリン部門2位、1970年にチェロで岩崎洸が3位入賞。1974年:菅野博文(チェロ3位)、1978年:藤原真理(チェロ2位)・清水高師(バイオリン5位)、1982年:加藤知子(バイオリン2位)・小田実稚恵:(ピアノ2位)、1990年:諏訪内晶子がバイオリンで堂々第1位、1998年には佐藤美枝子も声楽部門で第1位、さらに2002年に上原彩子がピアノ部門で第1位、川久保賜紀もバイオリン1位なしの2位。2007年には神尾真由子がバイオリンで第一位、そして最新の2019年、藤田真央(ピアノ2位)と、このように日本人音楽家たちは、ここではなばなしい成果を上げてきたものである。
米ソ対立の真っただ中で始まったと言いながらその第1回コンクール、この時代は未だピアノとバイオリンとチェロしかなかったのだが、そのピアノ部門で優勝したのがなんとアメリカのヴァン・クライバーンという無名のピアニスト。かれは「アノで核戦争を制した」とまで称され、一大英雄に遇されたためかえってその後期待に押しつぶされた面さえあった程の神格化がなされたのであった。筆者が初めて買ったLPレコードもキリル・コンドラシン指揮のクライバーンの弾くチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番変ロ短調 Op. 23 。今でも大事に保存されている。
政治と芸術という本来最も画然と分かれて存在するべきものに政治のにおいが付いて回るのは大いに問題だ。この度の「国際音楽コンクール世界連盟」の「チャイコフスキー国際音楽コンクール」の排除決定はいささか賛同しかねる。こういう政治家の軽挙妄動の生起する時代ゆえに、一層芸術がそれに対抗していくべき場面でなければならぬ。
ここでの排除の論理は、「悪党プーチン」の行為を正当化することに手を貸すことにならないか? 何もかも一緒くたにして排除すればいいというものではない。これによって特にロシアの音楽家にとって世界への進出機会が失われることにもなるだろう。即刻、この決定を取りり消すべきだ!

安倍晋三氏を殺した男の文章力

2022年07月25日 07時29分38秒 | 政治
 「ご無沙汰しております。『まだ足りない』として貴殿のブログに書き込んでどれぐらい経つでしょうか」で始まる文章、これは7月10日に安倍晋三元首相を私製ピストルで殺害した容疑者が松江市に住むルポライターの知人宛てに事件前日岡山市内で投函した手紙の書き出しである。いきなり本文を始める「構成」、筆者の切羽詰まった感情を伝える切迫感がよく表現されている。次いで「私は『喉から手が出るほど銃が欲しい』と書きましたがあの時からこれまで、銃の入手に費やしてまいりました」とし、「その様は」として自身が「敵」とする「宗教団体」に全財産を注ぎ込む信者たちの情念と同様の強さであると、自虐的にかつこれから起こす行動への高い熱度を表現する。ここが全体の起承転結の「起」にあたる部分だ。
次いで、これまで30年に及ぶという宗教団体(「統一教会」)と自分との確執、母の入信から1億円を超える寄進とそれによる一家破産・家庭崩壊の中で過ごした10代を振り返り、今の自分の自己崩壊の原因はすべてそこに有ったとまでいう。その崩壊の説明に入るが、ここでは全体を長期にわたる家庭内での惨憺たる確執・角逐情景を体言止めで語る。ここまでが起承転結の「承」の部分である。
ここから一転して彼が第一等の敵とする「教団」の説明に入る。通称「統一教会」の創始者の人柄について、その教団内での「現人神」という評価の、その外側でささやかれている長く語られてきた評判を述べ、これをこの社会が生み出した「人類の恥」と一括して吐き捨てる。この部分ではもはや経済破綻から生存時間の無い彼にとって、時間のみならず経済的にも手の届かない「ターゲット」を取り替えるしかない展開を述べる。ここで一気に彼の最終ターゲットが安倍晋三元首相しかないと一転するのである。
起承転結の「転」は文字通りの「転」で、彼にとって真の攻撃対象はこの新興宗教?教団を創始した故文鮮明氏につながる一族一家、韓鶴子氏とその子らであるが、どうやら一族の中に内紛もあって一家には堅固な一体性が無いために攻撃対象として集約し難いことを挙げてこれを対象から外すことを書いている。しかし、この段落は文脈の乱れもあって説得性が乏しい。後に警察などからの情報として韓鶴子氏がコロナパンデミックで訪日できないこと、容疑者自身渡航費が無いために韓国に行けないという二つの理由で文鮮明一族をターゲットから外さざるを得ない事情が明らかになってくる。
こういう論理をたどった上でついに「結」に至る。「苦々しくは思っていましたが、安倍は本来の敵ではない」、「あくまでも現実世界で最も影響力のある統一教会シンパの一人であった」という理由をもって暗殺対象に決定する。「安倍の死がもたらす政治的意味、結果、もはやそれを考える余裕は私には有りません」で終わる。この少々説明を端折った部分については捜査当局ではなく、法廷での供述に期待したい。
一片の文章としてみると、今どきのネットにあふれる若い人たちの貧弱な文章力とは段違いに、構文、文体、用語の使い方などしっかりしている。教育を受ける機会を与えてほしかった、という読後感が強く残った。