・・・それって,決められたモラルを厳格に保つためには,たとえ愛する者であっても「規律」を破るものがあればこれを厳しく処分することが必要だという意味だ。このTVスタジオでの話題は,そんな高尚な「話」ではない。
このTV朝番組の「話」というのは,岸田首相のご子息岸田翔太郎氏(32)が,昨2022年も押し詰まった年末,首相公邸に従兄弟などの親族一同を集めて忘年会を開いた・・まではよかったが,あろうことか広く世に知られている内閣組閣時の新閣僚全員うち揃って記念写真に収まる赤じゅうたんの階段で,一同を閣僚に擬してカメラに収めた写真が週刊誌に暴露されてしまうという,いささか褒められない話題に関して飛び出した「故事成語」である。「泣いて馬謖を斬る」というそもそもの事の起こりとこれは比べようもない軽挙妄動にすぎない。切る方も切られる方も泣いたりわめいたりする義理も資格ももとよりない。
「泣いて馬謖(ばしょく)を切った」のは,「中国史の<三国時代>、蜀の諸葛孔明が日ごろ重用していた配下の馬謖がその命に従わず作戦を実行して魏に大敗したために、軍規に従って「泣いて馬謖を斬罪に処した」という「蜀志馬謖伝」の故事から出た言葉で、規律を保つためにはたとえ愛する者であっても、違反者は厳しく処分することの重要性を説いた「成語」である。どうみても「泣いて馬謖を切った」諸葛亮の思いと我らが宰相岸田文雄氏とそのご子息や甥らの悪ふざけとは縁が無い。
それにしても天下の秀才=諸葛孔明には比すべきもない一国の宰相岸田文雄氏,おのがじし比すべきも無いと思わばよもや年若にして未熟な子息を秘書につけるとは,それがおのれが選挙事務所のつかいっぱしりというのならさもありなんというべきを,天下の首相側近の筆頭特別秘書に置くとは如何なる認識あってのことであろうか? それほどまでにこの国の中央政治のその中核は実体の無いものになっていたのであるか?
岸田氏がご子息の首相特別秘書を解いたのは「泣いて馬謖を切った」のなどではなく,ただ役に立たないから辞めさせたのであろう。最後に誰でもする「適切な判断」がなされたというただそれだけのことである。もはや政治の信頼は地に堕ちた!