朝日新聞が2、3日前、延期された「東京オリンピック」を直前にしてもなおその開催の帰趨が定まらない状況の中にあって、千々に揺らぐ代表内定者たちの心境を聴いた記事を紙面に載せていた。そこからオリンピック参加権を与えられているアスリートたちの「不安を抱きながらもなお懸命に前に進もうとする姿が見えてきた」(2021/01/24朝日新聞記事より)という。
記事は、11種類の競技から41人の出場予定者がアンケートに答えたその回答結果から彼らの「内奥」を読み解いたものである。同記事によれば、回答者44人の半数がこの大会の開催可能性について不安を感じていると回答している。開かれるのか?、ことによると開かれないのではないか?、という第一ボタンがとめられていない状態で、モチベーションそのものが維持できない焦りが紙面から伝わってくる。
五輪出場にあたって「コロナ感染症が広がる可能性が不安」25人/41人と過半数の選手たち、「自らが感染するリスク」18/41への危機感、「世の中の気分が高まらずに応援が得られないのではないか」15/41という晴れがましさの減退、「練習や実戦不足」14/41とういう不充実感、「世界中から選手が揃わず、世界一を決める大会にならない」14/41という正統性への懐疑、「特に心配は無い」という人は41人中6人しかいない、という結果であった。これだけ見ただけでも、一生懸命自らを鼓舞しつつもどうにも盛り上がらない気分が伺えてきてなんとも気の毒になる。
思えば、日本のオリンピックの歴史の中で、こういう状況がはじめてというわけではなかった。すでに過去に全く同じ体験をしている先人たちもいたのである。その最初は1940年、あの幻の第12回東京オリンピックであり、もう一つは1980年、ソ連のアフガン侵攻に抗議するアメリカに追随してボイコットしたモスクワ大会。これら2例とも何れも政治的、極めて国際政治に翻弄されての「悲劇」であった。特に前者1940年の中止は今回同様の東京大会であったから日本人アスリートたちにとっては全く同じ思いを強いられたことになるが、それでもあの時は開催2年前に「返上」という形で早期に中止が決まったが、現在の事態はコロナウィルス次第という、まことに千分の1ミリに及ばないミクロの半生命(ウィルス)に決定権を奪われていること、それも世界中に事態は蔓延した状況であって一国の努力では解決しないという複雑さが割り込んでいる。
はじめ悪ければすべて悪し。今月27日にはIOC理事会が開かれる。その時「コロナウイルスに負けた証」として、正式に「2020東京オリンピック」の中止が発表されるのではないかと思われる?。その時、この新聞に応えていたアスリートたちの心理的・精神的サポートを誰がどう支えてくれるのであろうか? 常に、政治に翻弄されるオリンピックというイベントのもつ実に巨大な悪しき影響力にどう対処していけばよいのか? 記事を読んで暗澹たる気分にさせられたのであるが・・・。
ここまで人々を追い詰める羽目をつくった政治の責任はどう果たされるのであろうか??