真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
『アメリカ映画100』シリーズ(芸術新聞社)発売中!

スティーヴン・スピルバーグ流の〈教育的〉冷戦サスペンス『ブリッジ・オブ・スパイ』

2016-01-09 | ロードショー
 

 スティーヴン・スピルバーグの『ブリッジ・オブ・スパイ』を渋谷のTOHOシネマズで観た。この場所でのスピルバーグ映画鑑賞は『ミュンヘン』以来。当時はTOHOシネマズとは言わなかったかもしれない。ちなみに場内は初日にも関わらずガラガラだった(最近は金曜日が初日になることが多いせいもあるかも知れない)。『ブリッジ・オブ・スパイ』は公開劇場がどこも小さなスクリーンばかりなのが解せなかったが、それがいまの日本におけるスピルバーグ映画の立ち居地なのだと考え、その状況に対する「別の想像」を膨らませる方向へ思考を切り替えたのだった。

 スピルバーグ映画は、『ジョーズ』『インディ・ジョーンズ』などの娯楽作、『シンドラーのリスト』『プライベート・ライアン』『リンカーン』などの社会派作を含め、共通するのは、巨大な難問が個人の前に立ちはだかり、今にも押し潰さんとする時、それでお理想を貫く「不屈の意志」を描いた物語だと言うことを改めて感じた。スピルバーグは「男の映画作家」なのである。
 かつて盟友ジョージ・ルーカスの『スターウォーズ』と同年に『未知との遭遇』を発表して並び称されたスピルバーグ。あれから40年近くの年月が過ぎてルーカスが『スターウォーズ』から手を引いたいま、彼は旺盛な挑戦を続けているが、彼の基本的な「物の見方」は変わっていないと言えるかもしれない。

 冷戦下の50年代に起きた両国のスパイ交換の物語は、彼の幼少時の出来事だが、だからこそその史実を「映画の形」に残そうとしている。本作に描かれた50年代アメリカには欺瞞と事なかれ主義が蔓延している。主人公の弁護士は、ほとんど昔のアメリカ映画に出てくる絵に描いたような保守的な家庭持ちだが、それゆえに、アメリカの理想主義を貫き、難問に挑戦しなければならなくなる。
 「ならなくなる」というのは、初め彼は――多くのスピルバーグ作品の主人公と同様――その挑戦に前向きではないからだ。しかし、一度やると決めたら、熱に浮かされたように没頭し、諦めず、命をかけても責務を全うする。つまり、この「教育的」かつ「真面目」な映画で、スピルバーグはそんな男たちこそ「目指すべき真のアメリカ人」の姿だと言いたいのだ。彼は「アメリカ人として生きることとは?」「アメリカの初心とは?」「アメリカの理想を実現するために必要な態度とは」と問いかける。多様な人種と文化が混在するアメリカをアメリカたらしめる理想の実現――それ自体が巨大な難問であり、壮大な実験であるが、映画もまたその実験の一つだから、興味が尽きないし、アメリカ映画を肴に議論することは面白い。その問いの難しさゆえに、アメリカはしばし道を踏み外し、幾多の間違いを起こし批判にさらされてきた。しかし一方で、その歪みを指摘して是正すべき「ほとんど奇跡」とも思える「理想の実現」を成し遂げてきた「現実の男たちの偉業」があり、そのスピリットこそ忘れてはならなぬものなのだと、スピルバーグは物語り続けることを責務にしているようだ。そうした彼の熱心な学校教師的な側面と愛国心は――たとえそれを日本のそれに置き換えても――僕の共感の外にあるものだが、映画監督としてのカメラ扱いのうまさは相変わらずで、構図と動かし方ひとつで状況を伝えてしまう。

 トム・ハンクスは理想の男性像(父性像)を自然体の芝居で演じていよいよスペンサー・トレイシー的。国家の壁をこえて「架け橋」となるべく奮闘するハンクス手だれの名演を見てると、彼なら『ニュールンベルグ裁判』のトレイシーの役柄も相応しく演じられるだろうと思えた。だが、本作が観る者を引き込む原動力はマーク・ライランスの存在。「時代」に準じた男の諦念と誇りを静謐な意志を秘めた芝居で名演している。結果、まるで「ベスト・オブ・スピルバーグ」のような作品になっていた。
 しかし僕は、初期スピルバーグ映画の猪突猛進的な面白さに夢中になって育った口なので、彼の歴史映画の「教育的」な部分が苦手であり、見ながら極力それ以外のところを面白がろうと努力していて、その無理に疲れてしまうこともある。「教育的」な要素を「描写」そのものが凌駕しているスピルバーグ映画と言えば『ミュンヘン』。僕はこれがベストだと思う。
(渡部幻)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« デヴィッド・ロバート・ミッ... | トップ | スピルバーグ『ジョーズ』40... »
最新の画像もっと見る

ロードショー」カテゴリの最新記事