真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
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奇才カルロス・ベルムトが『マジカル・ガール』で披露した「映画の魔法」

2015-12-01 | 試写
 

 カルロス・ベルムト監督のスペイン映画「マジカル・ガール」を試写で。創意溢るるとはこのこと。いつかどこかで見たことのあるようなないような摩訶不思議な夢の感触を持った映画だ。
 白血病を患い余命短い娘のために奔走する父親の愛をきっかけに、薬漬けの不安定な美人女性とその夫、前科者の老人らの過去と現在が絡み合い、予想外の方向へ転がっていく。公開が先なので詳しくは書けない。しかしその不条理とも言える錯綜した展開は、ファンタジックなタイトルから想像もつかないものだが、これはたしかにフィルムノワール的なのである。「黒い」それでなく「白い」それであり、ここにまず、才人ベルムトの新鮮な着眼をうかがうことができる。映画ファンなら一度この怪昧に触れておいていい傑作だと思うが、それ以上にヒットすべき作品というか、させなければ勿体ないと思わせるものがある。もしかすると、この作品を観ることで初めて映画の世界にはまる人が出てくるかも知れない、そういう可能性を秘めている気がするのである


   

 ベルムトにはイラスト的な視覚センスがあり、そのセンスにはまった役者たちの目鼻立ちと体つきが、まず素晴らしい。男優の二人は揃って知的なマスクをしている。ホセ・サクリスタンの額と背中、ルイス・ベルメホの奇妙に短い二の腕とがに股が、どこか哀れかつ滑稽で、瞼に焼きつくが、女優ではことバルバラ・レニーの存在感がセンセーショナルで、主演女優賞を総なめにしたというのも「当然」と頷かせられる。彼女の薄幸な美貌と容姿(停滞した体つきとファッション、ヘアスタイル)が時折、ゾッとさせるほど魅惑的で、このスペイン製ノワールに似合うが、しかしここで最大の「運命の女」は、美少年とも身紛わせる12歳の病身の美少女(ルシア・ポシャン)なのだ。物語は彼女の願いを叶えたいと願う父親の行動を起点に人々の過去を呼び寄せていくが、しかし本作は、「美少女幻想」もしくは「女性幻想」に寄りかかり甘えている作品ではない。むしろここには「女性(または美少女)」を「男性」がどのように愛し、扱っているかについての批評的な考察があり、そこが深みともなっている。とくにインテリ男性の弱点というか愚行を突いた部分については、同じ性を生きるものとして思わずゾッとさせられる瞬間が幾度かあった。

 
 
 もっとも、ベルムト演出は知的かつ抑制的にコントロールされたもので不必要な煽りや安易な決め付けを感じさせない。彼は劇中で「日本のカルチャー〈アニメやアイドル〉」を重要な要素として登場させるのだが、その映像の肌合いも、少年(男性)マンガ的というより女性マンガ的であり、白を活かした空間のなかに禁欲的かつ触覚的な情念を横溢させている。深い考えなしに魚喃キリコの視覚的なセンスを想起したが、勿論、内容はまるで異なる。しかし、その「語りすぎない話法」は同様に鮮やかでで、各人物が抱え込んだ「事情」の数々から生じたあらゆる「謎」の解釈は、観る者に固有の感応に委ねられている。ゆえに、さまざまな人の意見を聞いてみたくなるような、これはそういう極めてユニークな映画であり、だからより多くの観客のもとへ広まり、ヒットして欲しいと思ったのである。

(渡部幻)

   

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