真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
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『エディ・コイルの友人』・・・映画職人ピーター・イエーツの渋みあるソフィティケーション

2011-01-14 | 映画作家


 70年代から80年代初頭にかけてピーター・イエーツ監督が撮った作品は面白いものばかりである。
 60年代イギリスのリアリズム犯罪映画の傑作『大列車強盗団』、スティーブ・マックイーン主演の先駆的な刑事アクション『ブリット』、ダスティン・ホフマンとミア・ファーロー主演でセックスからはじまる男女の駆け引きを実験的な恋愛映画『ジョンとメリー』、ピーター。オトゥールの男気と執念が凄まじい戦争ドラマ『マーフィーの戦い』、ロバート・レッドフォード主演でドナルド・E・ウェストレイクの原作を映像化した粋な泥棒映画『ホットロック』、ピーター・ベンチュリーの小説を映画化したロバート・ショー、ジャクリーン・ビセット、ニック・ノルティ主演の海洋映画『ザ・ディープ』、いまも人気を誇る青春映画『ヤング・ゼネレーション』、ウィリアム・ハートとシガニー・ウィーバー主演のスリラー『目撃者』、アルバート・フィーニーとトム・コートネーが火花を散らせる文芸映画『ドレッサー』、SFファンタジー『銀河伝説クルール』など。
 多岐に渡るジャンルを器用に撮りこなしてしまうイエーツだが、本当のところ何を伝えたくて映画を撮っている人なのかは知らないし、想像することもできない。個人的にはあえて『ブリット』を保留し、『ザ・ディープ』を問答無用で外すならば、秀作揃いであり、以後の同ジャンル作品に少なくない影響を与えていると思える。
 イエーツのイメージは男くさいアクション映画で腕前を発揮する監督と評価されてきたと思う。といって同時代のドン・シーゲルやウィリアム・フリードキン、またはサム・ペキンパーやロバート・アルドリッチのような腹にズシリと重く響く骨太な男性映画を期待すると、少し肩透かしをくらい。忘れられがちだが、そもそも『ジョンとメリー』のような恋愛映画や、『ヤング・ゼネレーション』のような青春映画をもさらりと撮ってしまう、フレキシブルな監督なのである。
 『ジョンとメリー』はフラッシュバックとフラッシュフォワードを多用した作品で、その撮影と編集テクニックは凝りに凝ってる。互いの名も知らぬ一組の男女は先に肉体関係を持ってる。彼らの探りあいの心理を赤裸々に映像化していて思わず笑わせるのだが、同じイギリス出身のジョン・ブアマンやニコラス・ローグ、またはアメリカ出身でイギリスで成功したリチャード・レスターの「それ」と比べる整理が行き届いていて、ちっとも難解にならない。イエーツの職人気質がうかがえるが、これとのちの『ヤング・ゼネレーション』は、それぞれに恋愛と青春を描いて秀作である。それは間違いないが、同時に、のちのウディ・アレンやキャメロン・クロウの作品と比べれば「想いの切実」において譲らざるを得ないとも思うわけだ。
 つまり突出した個性には欠けるがうまい監督。これがイエーツの印象だが、だからこそイエーツ作品は大体においてどれもが「面白い」のである。これが彼の「個性」であり、何よりの「美点」だ。

 社会的に需要なテーマを扱っているとか、映画史上に画期的な足跡を残した作品を撮ったとか、ひとつの主題を追求し続けただとか、そういうことばかりが「名監督」の条件ではないのである。「映画」の魅力は娯楽性もしくは芸術性いずれかの追求だけではない。その「魅惑」に掴みとり観客に届けるには、ときにその両立を目指さねばならない。ここに名監督や芸術家のつくるいわゆる「名作」ばかりを観ていても理解することのできない映画の奥深さがある。つまりイエーツ作品のごとくソフィティケートされて、しかも腕のたつ職人の手による中庸な作品にこそ、大衆芸術であり商業芸術であるところの映画の「真髄」が宿ることがあるのだ。
 例えば、『ホットロック』のラストでレッドフォードが披露した、あの素晴らしい「歩行」に「映画」が詰まっている。レッドフォードの歩行が次第にうきうきとしてくる様を、イエーツは移動カメラで延々と追いかけてゆく。そこにはスティーブン・ソダーバーグの『オーシャンズ』シリーズがデザイナーズ・ブランドの泥棒映画でしかなかったのに比して、「ただの映画」としての血統のよさを感じさせるのである。あの観れば一目瞭然の「うきうき歩き」が「映画」を観ることの浮き足立つ楽しさと一体となって観る者にも伝わってくるのである。

 そんなイエーツの映画には「作者のエゴ」が感じられない。だが、それは決して映画の脆弱さを示すものではないのだ。それどころか、映画の「仕上げ」にこだわる職人の誇りと心意気を感じさせる。「職人」たる者、「努力」の形跡など残したりはしない。『地獄の黙示録』はコッポラの「映画職人魂」を「映画芸術家魂」が凌駕した結果である。ゆえに傷だらけで努力の形跡ばかり目立つが、逆にそこに「コッポラという男」の生き様を感じさせて稀有な作品になっているのだ。しかしイエーツは「プロフェッショナルの映画職人」である。だから「努力の形跡」を残すことなど「恥」にも等しいのだ。彼の映画には「ここを頑張りましたのでどうぞよろしく」というようなところがない。それは甘えに他ならず、面白いか、面白くないか、単にそれだけなのである。

 アクション映画監督としてのイメージがあるイエーツではあるが、しかしイギリス出身監督らしい役者指導の的確さを見逃すことはできない。むかし娯楽映画の基本は「スター」だった。彼らの魅力と才能を引き出し、画面のなかに定着させる腕が職人に求められた。イエーツは70年代を代表する映画スタイリストとしてそれが出来たし、誇りでもあったろう。実施、イエーツ作品には当代の大スターたちがこぞって出ていた。『大列車強盗団』を観てイエーツを『ブリット』に抜擢したのはスティーヴ・マックイーンだったが、このイギリス監督はウエスタンで人気を博したアメリカ人マックイーンを洗練された都会派刑事にイメージチェンジさせることに成功。以後、ピータ・オトゥール、ダスティン・ホフマン、ロバート・レッドフォード、ジャクリーン・ビセット、ミア・ファーロー、デニス・クリストファー、ウィリアム・ハートシガニー・ウィーヴァー、アルバート・フィニー、トム・コートネーらスターたちの魅力をフィルムに焼き付けてきたのである。

 彼のカラフルな作品群をつぶさに観ていくだけで「娯楽映画の豊かさ」「映画職人のなんたるか」をうかがい知ることができる。映画にはいろいろある。アートフィルムやカルトフィルムもいいが、昨今見せ掛けだけであったり、ファン気質ばかり突出したものに飽きてきたら、イエーツの安定した映画作法に目から鱗が落ちるかもしてない。そこに奥深さを感じ、もっと「いろいろな映画」を観てみたいと思うかも知れない。
 少なくとも僕はいまあらためてそう感じているのだが、当たり前のようにさり気なく存在しているものの真価を、実感できるようになるまでには「今更」の時間がかかるものかもしれない。イエーツ作品のような小粒かつ小粋でソフィスティケートされた映画群を、何とはなしに見続けていることが大切であり、そうした余裕を持つことは決して無駄にはならないはずである。

 最後になるが、そんなイエーツの最高作は『エディ・コイルの友人たち』だと思う。ジョージ・V・ヒギンズの小説を映画化した本作は、イエーツの経歴のなかで特異な位置を収めている。ひときわ地味で娯楽性に乏しい、いわゆる「渋い作ノワールフィルム」。『大列車強盗団』で頭角を現した「イギリス映画監督」としてのイエーツの個性が際立つ「作家の映画」は、イギリス伝統のリアリズムとアメリカのそれが融合して一際味わい深い作品となった。
 ロバート・ミッチャム(『狩人の夜』『さらば愛しき女よ』)とピーター・ボイル(『タクシードライバー』『ハードコアの夜』)の見事な男のたたずまい。彼らが演じる侘しき犯罪者の人生模様は、アメリカですでに古典であり、老舗クライテリオン・コレクションへの「殿堂入り」を果たしている。
 「新しい映画ファン」には『ブリット』でなく『エディ・コイルの友人たち』から観ることを薦めたい。そして『大列車強盗団』『ジョンとメリー』『ヤング・ゼネレーション』『ドレッサー』と流がして、『マーフィの戦い』『ほっとロック』、『ブリット』は最後に取って置いていい。
 いま、「映画とはかなかのものだなあ」としみじみ感銘を受けるとすれば、きっとこの『エディ・コイルの友人たち』の方であり、決して「有名作」の方ではないと思うのである。


渡部幻

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『ゼロ年代アメリカ映画100』という「映画の本」を

2011-01-14 | アメリカ映画100シリーズ(芸術新聞社)
 

思いのほか制作に時間がかかってしまった『ゼロ年代アメリカ映画100』。しかし、やっとのことで本屋の店頭に並ぶことに。
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草森紳一の大作『中国文化大革命の大宣伝』上下でもお世話になった芸術新聞社(!)の根本さんと僕の企画に、賛同してくれて協力してくださったのは佐野亨さん。僕と佐野さんとともに100本の映画の紹介部分の一部を手分けして書いてくださった方々は、夏目深雪さん、鎌田絢さん、石澤治信さん。そして、見栄えのする装丁を辛抱強く担当してくださったのは最近刊行された『バンドデシネ・コレクション』でも腕をふるっている小沼宏之さんです。

名本『70年代アメリカンシネマ103』の筈見有弘さん、かつてあった多くの雑誌の「映画特集」たちに。


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