ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「否定と肯定」ミック・ジャクソン

2019-01-29 06:31:52 | 映画


wowowにて鑑賞。

主人公はデボラ・リップシュタット/ユダヤ系アメリカ人でありホロコースト研究者であり大学教授である女性であります。彼女が自著でイギリス人の歴史著述家(大学も中退となっているので学者というのではないと思う)デヴィッド・アーヴィングを「ホロコースト否定論のもっとも危険な語り手の一人」(←wikより)と批判したことでアーヴィングの怒りを買う。アーヴィングはイギリスの裁判所に名誉棄損としてリップシュタットとその出版社を訴えることからこの物語が始まります。


この映画は事実に基づいた作品であるということですが、原作はリップシュタット著『否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる戦い』となっていますね。

実にわかりやすく優れた技術によって導かれていく映画で見ごたえありました。他レビューもかなり高評価でそれこそあまり否定したものは急遽には見受けられませんでした。

ところがですねえ。私としては途中から少しずつ疑問が湧いて来てしまったのですよ。


まずはこれは映画、ですのであくまでもエンターテインメントとして見るのならばそこまで深くはなくともなかなか楽しめる娯楽映画だったと言っていいのですが、それならばこの映画は事実です、という冠をつけてはいけないのではとも感じます。大体において「これは事実です」という文章で説得をしてくる映画にはある種の脅しを感じてしまうのですが、この映画においてはそれはかなりの比重を占めていると思えます。

「ホロコーストはなかったという差別主義者の歴史著述家(大学中退の文筆家でしかない)」デヴィッド・アーヴィングはこの映画の中でかなり貧相な容姿で表情の一つ一つが憎々しくセリフも下品でセクシャルハラスメントであったり傲慢であったりします。
しかしネットで見た実際のアーヴィング氏の写真はそこまで不細工でも貧相でもなく、やや奇妙な感じがしました。これは逆の詐欺ではないかと思ったからです。

一方主人公デボラ・リップシュタットを演じるのはレイチェル・ワイズ。アメリカ人女性学者らしい気の強い発言を多発しますが可愛らしい美女なのでつい私も引き込まれて見てしまいます。
現実のリップシュタットはさすがにレイチェル・ワイズと同等の美女、というわけにはいかないでしょうけど、映画においてかなり美化してしまった感は否めません。
いやそんなのは映画として当然の技巧、というのならアーヴィング氏も同じ程度の美化をすべきだったと思うのですが、明らかにこちらは美化ではなく劣化させています。

被告はユダヤ人の正義を訴える美しい大学教授である女性デボラ・リップシュタット、片や、逆恨みで訴訟を起こした下品で差別主義者でホロコースト否定論者で貧相な初老男性で大学中退の嘘つき文筆家アーヴィング(セクハラ付き)、という図式ではだれが見てもどちらを応援するか見えてしまいます。


この映画を見てアーヴィングを応援したとなればそのこと自体で自らの人格を貶めてしまうでしょう。お前はホロコーストを否定するのか。差別主義者を援護するのか、と。
私自身ホロコーストを否定するアーヴィングを肯定する気持ちにはなれませんが、それと映画の構成と技巧を考えるのは別問題です。別問題ですが、そこを訴えることすらホロコーストが絡むと気持ちが萎えてしまいます。
それが脅しだと思う根拠です。

気持ち悪いおっさんに絡まれている若く美しい女性を救い出したい気持ちには誰でもなりますし、なるべきですし、私もなります。しかもその女性が正しいのなら尚更です。

しかし、この映画の作りは過剰に偏っています。リップシュタットとアーヴィングの過剰な美化と劣化だけではありません。
映画は映画の中でしかその問題の評価ができません。ところが実際のリップシュタットはもっとアーヴィング氏を手ひどくこき下ろしているようです。当然です。ホロコーストを否定するような輩を否定するのは。
しかし映画ではリップシュタットのアーヴィング氏への批判は露骨には表現されていません。彼女がどのようにアーヴィング氏を批判したのか、その部分も説明すべきですね。
その批判した文章を表現するとリップシュタットのイメージを損なってしまうから、ではないのかと思ってしまうのです。
「そんなひどいことを書かれたらさすがに怒るかもな」
観客にそう思わせてはいけないからでしょうか。

先に書いたようにアーヴィング氏は大学中退でありながら歴史を勉強し著述家となった男です。歴史研究に人生を捧げたと映画でも言っていました。そんなしょぼい年配の男性がまだ若い女性教授にこき下ろされたら自尊心は砕けてしまうでしょう。
勿論リップシュタットはホロコーストを否定したアーヴィングを批判したのでしょうけどもアーヴィングは自分自身を否定されてしまった。お前のような無学の男に何が判る?有能な私がお前を批判する、と言われたように思えたのでしょう。
だからと言ってアーヴィングを擁護しようとは思いませんが、リップシュタットはアーヴィングの一番痛いところを刺してしまった。その痛みで訴訟を起こしてしまったわけですね。


そして現実は当たり前ですが、正義の女性リップシュタットに勝利を告げ、みすぼらしい差別主義者アーヴィングは負けます。しかもその後も悪あがきを続ける姿を見せつけるという徹底的なアーヴィング潰しです。

実際アーヴィング氏は200万ドルの支払いを命じられ破産したそうです。
映画ではそれを言ってませんね。観客に彼を同情させてはならないのです。
あくまでもアーヴィングは狡猾な嫌らしい傲慢な嘘つき男であり、リップシュタットはユダヤ人の名誉のために戦った正義の人なのですから。

頭脳明晰なスコットランド弁護士ランプトンの活躍は見ていてほんとに面白くかっこいいのです。アメリカ女性らしい感情過多のリップシュタットと冷静な弁護団のチームは魅力的ですし、映画としての醍醐味を感じます。
一方のアーヴィングは孤軍奮闘。誰も信用せず一人で戦うわけですが、そこにも彼のコンプレックスを感じます。

いったいアーヴィング氏の心にはなにがあるのでしょうか?なぜ彼はホロコーストを否定しなければならなかったのでしょうか?
むしろその角度からの映画を見てみたい気がします。

現在日本とも置き換えて考えてしまいます。

ネトウヨと呼ばれる人々。奇妙な存在です。
日本人こそが世界で最も美しい人種だと言い、何故か同じはずの別のアジア人とは違う存在だと威張ります。
そして日本人が行ったという歴史上の愚行を否定し続けます。
南京大虐殺はなかった、従軍慰安婦はなかった、インパールでの餓死もなかったと言い募ります。挙げているときりがありません。
ネトウヨさんたちとアーヴィング氏の心は同じ構成になっているのでしょう。どうしてそうなってしまったのか、分析してみる価値はあると思うのです。

そして語弊があるかもしれませんが、先日読んだ「A3」に当てはめれば森達也氏はアーヴィング氏に当たってしまうかもしれません。

というのはアーヴィング氏は「ヒトラーはホロコーストに積極的ではなかった」と書いたとされているようだからです。その後の記述がどうだったのかによってくるので一概には言えませんが、「ヒトラーはホロコーストに積極的ではなかった」という記述はまさに森達也氏の「A3」の表現と似通っているようにも思えます。

そうだとするとアーヴィング氏と森氏は同じ?

いやいや、そう簡単に結論付けることはできません。

ただ、物事や考え方は多角的に見ることができる、ということなのではないでしょうか。

否定と肯定、角度が違うとまた別の見方ができる。

そう思えました。





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