「街道を行く」と小野川温泉

2005-09-21 11:19:07 | Weblog
最近米沢市によく行く。距離がそこそこで、多少の楽しみがあるから、という理由らしい。
数日前、米沢市に行ったついでに、小野川温泉まで足を延ばした。ここを訪れた理由は2つあって、1つは、40年ぶりの小野川温泉がどうなったか、という興味だった。いわゆる慰安旅行だったが、この温泉場は暗くて寂れている、という印象だった。
今も暗くて寂しいのだろうか。

もう1つの理由は、司馬遼太郎さんの「街道を行く」の第10巻目、「羽州街道・佐渡のみち」にある。「羽州街道」は山形新聞の100周年を記念して考えられた企画だった、と聞く。旅程は2日で、まず第一日目は山寺を出発して国道13号線を南下して置賜盆地に入り、米沢市を抜けて小野川温泉に一泊する。
第二日目は小野川温泉を出発して長井市に入り、山道を抜けて上山市に出て山形で終る、というものだった。つつましい旅程である。同行者は例によって須田画伯、その他出版関係の方々だったらしい。
さて、この紀行文で特に印象に残っているのは、夕方にかけて国道13号線を南下する時の司馬さんの感想である。要するに、南下するにつれてだんだん暗く寂しくなった、というのである。もちろん、夕方だから暗くなるのば当然だが、司馬さんは人家の灯が少なくなることを言っているわけだ。たしか、司馬さんには珍しく「寂しい」という表現を使っていたように記憶する。調べると、「人恋しくなった」、とある。国道13号のここら辺は私の愛用の道だが、南下するにつれて「寂しい」と感じた覚えは少ない。車の往来が激しい上に雑多な看板の類が多いからだ。しかし、司馬さんは「何か」を感じたのではないだろうか。
寂しい道は、しかし米沢から小野川温泉へ向う道だ。今ではここには弾丸道路が開通してものの20分もすれば着く。しかし司馬さんの頃は山越えの旧道だった。着いた時は夜もやや遅くなって、真っ暗だったらしい。
次の日は米沢市を散策し、その市街の質素さとつつましさに感銘を受けたようだ。司馬さんの紀行文で、このように質素さに同感し驚きもしている作品は他に無いのではないか。今の米沢市は中心部の上杉公園の周りが整備され、文化センターのような建物もできて少しは遊べるようにはなった。しかし一歩古い住宅地に入ると、そこはウコギ垣に囲まれた質素な家が殆んどである。もちろん、新興住宅地は違うけれども。

さて数日前の私のドライブに戻る。米沢市を抜けて小野川温泉に向った。道路の両側は田圃以外は何も無いけれども、路幅が広く運転しやすい良い道路である。あっという間に小野川温泉に着いたが、温泉街の入り口に田舎の旧家を模した巨大な建物がある。入ると正面に巨大な独楽がある。要するにここは独楽をテーマにした巨大なお土産屋だった。置賜盆地のお土産のほとんどすべてがここで手に入るようだ。客に独楽を作らせるコーナーもある。私は1個100円の一番小さい独楽を2つ求めた。小野川温泉の独楽の起源についてはこれから勉強しなくてはならない。
今回の小野川温泉の印象は暗くも寂しくもなかった。それどころか、規模が予想をはるかに上回る堂々たる温泉街である。温泉街の道が広い。こういう所は道が狭いのが普通なのだが、と感動する。街は派手では全然ない。ここは温泉に浸かるための場所で、ドンチャン騒ぎをする所ではないようだ。何か由緒ありげな豆腐屋さんがあるので入ってみた。豆乳で作ったソフトクリームというものを食してみたが、これがなかなか美味しい。ついでだから豆腐も一丁買った。高かったがこれもなかなか食べごたえがあった。ここで、「司馬遼太郎さんが昔泊った宿屋を知りませんか?」と聞いてみたがご存知なかった。そこで隣の旅館で聞いてみると「それは扇屋さんか***旅館だろうと思います」とのことだった。その扇屋さんは古色蒼然たるレトロ調の宿だった。入ると何やら知的な相貌を湛えた初老の人がハッピを着て立っておられる。やはりここだった。私のような目的の訪問客はそれほど多くはないらしく、嬉々として20年昔のことを語った。司馬さんたちが到着したのは夜かなり遅くなってからだったそうだ。
原文を引用する。「私どもの宿はこの温泉場でも有数の家なのだが、若い夫婦が軸になってやっていて、従業員というのは、私の見かけたところでは一人だったように思う。」とある。このハッピ姿の初老の紳士は、その「若い夫婦」の旦那さんの方であろうと見当をつけた。たぶん間違ってはいなかっただろうと思う。たしかに「従業員」が館内をウロウロしている光景は絶無だった。20年も経てば、「若い夫婦」も初老になるだろう。これは致し方ないことではある。
この扇屋は昔から錚錚たる文人が泊った所らしく、廊下には伊藤整の色紙などがかかっていた。このかつての「若い夫」は、「そのうち司馬さんの写真を送りますからどうぞご記帳下さい」とまで言ってくれた。どうやら、その晩に写した写真のネガがあるので、ということらしかった。
司馬さんたち(たぶん須田画伯をも含めて4人だったのではないか)が泊った部屋も見た。まことに趣のある部屋だった。風呂にも入ったが、これはひどく熱くて早々に上がった。
この派手さとは無縁の温泉街にも流行の波は押し寄せている。つまり今盛んな「足湯」である。これが数箇所あって、若い人たちや家族連れが嬉々として脚を浸けている。須田画伯ならこれを試したかもしれないな、と思うのだが。

質素、素朴という、今の流行からはほど遠い米沢という町はいつ訪れてもひっそり貧しげで孤高なただずまいである。正直言ってここに住みたいとは思わないが、この街の在り方は、同じ東北人として誇りに思う次第だ。

なお、この扇屋旅館はIT化されてないらしく、クリックしても旅館の名前が出てくるばかりである。電話で連絡するしかないらしい。これは良い旅館だ。ますます好きになった。


扇屋正面


司馬さんたちの泊った部屋


胡桃沢耕史揮毫


伊藤整揮毫

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