色即是空 / 空即是色 のこと

2005-09-28 21:08:04 | Weblog
般若心経の「色即是空」はかなり良く分りますが、「空即是色」の方は大変理解が困難だ、と思っております。つまり、「物質は現象であって常に流動しているのだ」はすんなり受け入れることができますが、「現象として常に流動していることがすなわち物質なのだ」とか「現象として常に流動しているからこそ物質なのだ」という発想はなかないか掴みどころがないように感じます。

そこで、漢訳以前のサンスクリット語ではどうなっているかを考えました。もし、サンスクリット語で、英語に直せば次のようになるように書かれていたらどうでしょうか。(私の勝手な英語です)

Form is empty.
Empty is form.

*「色」をformとしたのは柳澤桂子氏の「生きて死ぬ知恵」の巻末にある英訳の言葉を拝借しました。

上の英語ではどちらも全く同じ意味です。下の英文は上の英文を倒置しただけで、文の構造はC+V+Sとなります。もしも、(サンスクリット原典で)こういう構文になっているのであれば、事実上「色即是空」だけが残り、「空即是色」は一種のレトリックになります。私がサンスクリット原典を見ているわけでもないので、これは全くの想像に過ぎないことを重ねて申し上げておきます。「色不異空」と「空不異色」も同じような構造の文だったのかもしれません。

これを解くには、まずサンスクリット語を勉強し、さらには般若心経のサンスクリット原典を入手することが必要ですが、そのどちらもややムリのような感じですね。

なお、この部分は、柳澤桂子氏の上記の本によれば次のようです。

Form---it is, in fact, emptiness.
Emptiness---it is, in fact, form.

良い訳です。

色即是空と空即是色と

2005-09-28 15:32:11 | Weblog
般若心経に凝ってます。(真経ではなくて心経が本当のようですね)
ということは、この年になるまで般若心経を読みもせず勉強もしなかったことがバレてカッコ悪いのですが、読まなかったのですから仕方ありません。

今なぜか般若心経が一種のブームなんですね。それも凝り出してから初めて分りました。ブームになってるものに凝るのはなおさらカッコ悪いけれども、たまたま一致したのだから仕方ありません。

般若心経、というと昨今では柳澤桂子という人物がどうしても浮かび上がるようです。彼女の「認められぬ病」(中公文庫)という本を読んでオドロキました。現代の日本の多くの医療現場では、どうやら「心」というものは「無い」ことになっているらしいのです。「心因性・・・」というと頭からバカにされることがあるらしいのです。この柳澤さんも心因性(というより自律神経が関わる病気)の嘔吐に悩まされ続けたのですが、これをどうやら「病気」とは認定されなかった節がありました。「病気そのものの苦しみよりも、医療から受けた苦しみのほうがずっと大きかったと告白せざるをえない」という節は強烈です。
「分らないことは存在しない」という人生観、職業観を持った医者が多いのだとすれば、これは由々しき事態です。でも、今までにお世話になったいわゆる総合病院のことを想うと、これが現実なのだろうな、と納得させられます。残念ながら。

この人が般若心経の非常にユニークな訳を提供しております。
量子論、宇宙論が格段の進歩を遂げた昨今あたりから、般若心経は一般人にとって何やら分りやすいものになったようです。「色即是空」などは、我々はもう感覚的に分るようです。(誤解かもしれませんが)
変に感覚的に分りやすくなったことが、仏教に接近する際には良いことなのかそうでないのかはどうも定かではありませんが・・・。
般若心経の中核部分である「色即是空」の裏返し、「空即是色」は正直言ってそれほど分りやすくはありません。いわゆる入門書を読んでもここはよく分りません。分りませんが、非常に魅力的な思想です。「色即是空」よりも裏返しの「空即是色」の方が魅力的に感じます。「刻々と形を変えて流れ行くからこそ物質であり人間であるのだ」とは何を言いたいのでしょうか、「色即是空」が分るようには分りませんね。ひょっとすると「空即是色」は単なるレトリックなのかもしれません。