先日は仏教の数珠とカトリックのロザリオについて考えた。
数珠もロザリオも、働きとしては「回転」である。「円」と言い換えても良い。終りがない用具だ。回転や円は「輪廻」を想起させる。カトリック教会が教える「時間」はキリストの誕生からまっすぐに直線として世の終りまで伸びる、そういう時間のようだ。しかしロザリオは輪廻を想起させる道具だ。ロザリオ誕生の裏には何か輪廻関連の土俗宗教が関わっていたのかもしれない。
回転といえば、典型的なのがチベット仏教のマニ車だ。人間よりも大きい巨大なものから、個人用の小さなものまで大小さまざまだ。これを一回回すごとにお経を1回唱えるのと同じ功徳があるのだという。マニ車の起源については知らないが、ひょっとしたら、輪廻を信じる宗教の影響なのかもしれないと思っている。
数珠もロザリオも、働きとしては「回転」である。「円」と言い換えても良い。終りがない用具だ。回転や円は「輪廻」を想起させる。カトリック教会が教える「時間」はキリストの誕生からまっすぐに直線として世の終りまで伸びる、そういう時間のようだ。しかしロザリオは輪廻を想起させる道具だ。ロザリオ誕生の裏には何か輪廻関連の土俗宗教が関わっていたのかもしれない。
回転といえば、典型的なのがチベット仏教のマニ車だ。人間よりも大きい巨大なものから、個人用の小さなものまで大小さまざまだ。これを一回回すごとにお経を1回唱えるのと同じ功徳があるのだという。マニ車の起源については知らないが、ひょっとしたら、輪廻を信じる宗教の影響なのかもしれないと思っている。