笑うための部屋と「笑い学」と

2005-09-24 19:01:58 | Weblog
先日、民放のある健康番組で笑うと血糖値が下がって健康によろしい、とかいう内容でやっていた。いや、笑うことだけではなくて、笑うことは健康のすべてに良い。長命の薬だ。
番組では(たぶん笑えない人のために)笑う筋肉を動かす体操なるものをやっていた。それでかなり健康状態は改善されるのだそうだ。しかし、そんなムリをするくらいなら実際に笑ったらどうなのか、と思う。他人とバカ話をすればもちろん笑えるのだけれども、一人の場合はどうするか。笑えるテレビを見るか、笑える本を開くのがいい。でも、テレビでやってるお笑い番組は正直言って笑えないでしょう?
では本はどうか?笑える本、ねえ。オトナでも笑える本などあります?昔なら小話集があった。これは、特に共産圏発のものが痛烈で、笑わずには居られない話が多かった。しかし、共産圏の国々が殆んど解体して以来、風刺の対象が無くなってしまった。それと共に痛烈な小話も(日本では)見当たらない。日本の息苦しさは痛烈な風刺の対象になってしかるべきものだが、当人が自殺したりするだけで、風刺で風向きを曲げようという風土は薄れてしまった。わずかに新聞の川柳に名残りを止める程度だ。
皆、マジメ過ぎる。自殺を予防するのに、まことにマジメそのものの手段を用いる。正攻法でやるのです。
ケタケタ数時間も笑い続けたら自殺志願者も思いとどまるのではないだろうか。かつてアメリカでの話だが、「笑いの部屋」というものを設けた話を覚えている。防音設備を完備した部屋で、堪能するまで笑いに笑うのだそうだ。そういう部屋を作ったら自殺者などが減ったというデータがあったように記憶する。(確かではないが)

自分、世の中、周りの人々、会社の上司・・・そういう鬱陶しい人々を思いっきり罵倒し、笑い飛ばす。そういうことだ。それを何時間続けてもよろしい。こういう発想がある、という話は未だどこでも聞かない。

「命の電話」などという正攻法があるばかりである。悪いことに、日本人は心を打ち明けられる宗教組織を持たない。宗教人を信頼して打ち明けるという伝統も薄い。というより、無い。四面楚歌で、それこそ死ぬしかないような構造になってしまっている。それなら、ダメでもともと、正攻法と平行して、笑いの部屋を造ってほしい。防音処理を伴うので安くはないだろうが、それほど高いものでもあるまい。自冶体がこれを理解して本気で造る気になれば、出来ることは間違いなさそうだ。ぜひやってほしい。そこである程度の時間実際に笑ったら、奨励金を出す。行政にも、そういう諧謔を理解する精神が欲しいものだ。皆さん、民主党の岡田前代表みたいな顔でコトに当る。限界がありますよ、正攻法だけでは、ね。

「笑い学」というものも提案したい。悲劇を作るよりも(上質の)喜劇を作る方が数倍難しいそうだ。どうすれば人を心の底から笑わせることができるかを研究するチームを作る。チームの構成員は、日本でもトップクラスの頭脳の集団を集める。そこで、「マジメからの脱出学」と「笑い学」を日夜研究していただく。もちろん破格の給与で待遇する。今のテレビの笑えない番組を笑える番組に変える方策も検討していただく。そして究極の目標は、最高の価値は笑いにあるのだと日本人が考える、そういう世の中を作ることとする。

まずは、自分の英語の実力を笑う、というようなことから始めたい。自分を笑い飛ばす。それが第一歩ではないか。

I garden.

2005-09-24 15:39:09 | Weblog
From dust I came,
to dust I go, and in between I garden."これはSeniorNetという全米組織のシニアのためのインターネット親睦組織の中のガーデニングに関する掲示板の最初の言葉です。なかなか洒落た言い方だと思います。
「私は土から生まれ、土に帰るが、生きている間はガーデニングをする」とでも訳すのでしょうか。面白いのはgardenで、「ガーデニングする」という動詞に使われてます。少しおどけた使い方なのでしょうね。