長い河の流れのごとく

長いようで短かく感じる時間の流れ、その煌く時間の姿を解く

脆さ

2006-09-29 | Weblog
電力線が事故で切断されて機能麻痺。火災で信号制御系に異常な電流が流れ機能不全。これらは全てがコストの追求のために投資が抑制された結果の事故のように思います。ネットワーク方式によるバックアップで回避できたような気がします。社会生活の便利さは全てが電気に依存しているのは否めません。その道の安全性は十分に議論されてきているでしょう、が今回の事故などを考えるとまだ十分とはいえないような気がします。平時におけるエネルギー回路のバックアップ体制が緊急の課題のようです。通信ラインはかなり充実しているようですが何年か前の地下ケーブル火災でコンピューターがダウンと言うような事故がありました。対策は十分取れているとは思いますが今一度見直す時期のようです。日本の脆さをテロリストに公開してしまったような事故です。不安です。特別な制度でこれらのインフラ投資をしていただきたいなと思います。

親になる

2006-09-28 | Weblog
若い女性(18歳の母親)が生後間もない男児を虐待し重症。痛ましい事件である。
私はたくさんの子供を生み育てるのは賛成であるが、その中で虐待行為だけはしてはならないと思います。諺に「子供叱るな、年寄り笑うな」がある。自分が歩んできた道、歩む道である。正直なところなかなか出来ないだろうが勤めるべきだ。
親になるには覚悟があったはずです。二人目の子供らしいがあなたの親、友人、知人に苦しみを打ち明けましたか?何が何でも育て上げると言う気概を持ちなさいよ。旦那さんともよく話し合いなさいよ。子育ては一人前の親になる第一条件です。がんばれ。そして早く心の平穏を取り戻してほしいと思います。

時効・加害者・被害者・判決

2006-09-27 | Weblog
時効について考えさせられる事件が発生した。殺人事件である。裁判所の判断では時効成立につき取り合わないらしい。加害者の時効までの意識は確かに日々針のむしろだろう。被害者の時効までの意識は、事件当時のままの時間が止まった日々の連続であろう。どちらも悲しいまでの人生である。
人を殺したならば死刑と言うのが私の考えである(戦争は除外・勝てば官軍)。日本の裁判では殺人者は一人殺人では死刑にならないらしい(無期懲役)。二人以上の殺人で死刑になるらしい。幼子が殺された事件に関しては本人の希望?により死刑が確定した。
今回、時効後の自首により事件が確定し、時効成立が発生した?と言うのが不思議である。殺人を犯し、時効まで持ち込む。加害者の時間は殺人時点。被害者の時間と言うか行方不明になった時点では殺人事件と捕らえていないのではないか?捜査はしたと思うが殺人事件となっていない。今回はたまたま自首した本人の申告により事件があからさまになったのではないだろうか。この時点までは世間一般は殺人事件と意識していなかったのではないのでしょうか。ですからこの時効は少しおかしい気がします。時効になるには事件が世間一般の認識が殺人事件を認知し(そうでないと闇の殺人事件が多発の危険性がある)、その時点からのカウントダウンとなるのが正常な考え方のように思います。
また死刑制度においても一人の殺人では死刑にならないのも常態化しているが、これも考え方の問題ではないでしょうか?事件の当事者が「精神的に正常でなかった」と言う議論(弁護)をしているが、正常な人間は殺人事件なんかしない。殺人事件で正常な精神状態の人間はいない。よってこの弁護の仕方は全て無効と判断しているのは私の考え方である。日本国法律を守り、施行していくには死刑制度を守っていかなければならない。また裁判制度においては、一審、二審、三審と制度があり刑が確定すると速やかに執行しなければならない。
横道にそれたかも知れないが、とにかく「時効」のあり方についての問題は、日本国の国威にかかる問題の根幹のように思いますので、十分に議論し広く国民にその意義を周知していただきたいと思います。

「次郎長」の言葉

2006-09-22 | Weblog
「女房は早くもらえ」と言う。若くして所帯をもって一連の生活をこなせと教えている。そうすることにより生活にも仕事にも張りが出ると教えているのだろう。男と女しかいない世の中。子供を2人以上作れとも教えている。「子供は多いほうがよい」。その通りかもしれない。最近の子供の数は一人っ子が多い。それは子供と自分が出来るだけいい生活を送りたいと言う経済的理由からかも知れない。本当にそうしている家庭が多いのは事実のように思います。でもよく考えてみると一面は確かに合理的かも知れないが、その子供に万が一のことが起こった場合にその家庭はどうなるのだろうか。私には耐えられないだろう。自分の人生の半分が失われたことと同じ水準になる。ある寺の扇に「順当」と言うありがたい言葉が記されているらしい。「親死に 我死に 子が死ぬ 合掌」本当にこの言葉の持つ意味はありがたいと思います。子々孫々の繁栄をうまく表現している。また幸せの根幹を表現している。ですので若い独身者方々に一言「教育は一生、人生は今が旬、早く家庭を持ったほうが悠々とした人生が送れます。ついでに子供はたくさん生めばその数の何倍もの幸せが生涯ついてきます」。

飲酒運転

2006-09-22 | Weblog
取り締まり強化週間の検挙数が発表された。9月12日から18日までの一週間で全国で約4500人が「酒気おび」「酒酔い」で検挙された。この数値をどう読むかは個人の判断に任せる。私は常態化している飲酒運転者は全国で年間80万人はいるものと推計します。今回の飲酒運転の検挙者数の中には酒気帯び運転教唆の現行犯逮捕者も含まれているという。この週間の取り締まりに置いての数値は相当数になるが、うまくすり抜けた運転者もいると思います。運転者の中にはアルコール依存症の人がたくさんいるのではないでしょうか?飲酒運転をするであろうと推測できるのに知らん顔(幇助)するものがいるのも事実ならば、それをも逮捕と言う検挙側も幇助している側面は否めない。本腰を入れるならば、一年間3交代で主要な場所を飲酒取締りすれば相当数の飲酒運転軽減につながるでしょう。交通事故を撲滅するには運転者が正常な判断の元で運転するのは勿論のことです。日本の産業構造にもう少しゆとりが持てる環境を作りたいものだ。

姨捨山

2006-09-21 | Weblog
若い人が村で暮らすには食べていけなければならない。飢饉で食料が収穫できない。大家族総出の野良仕事。体が不自由で働くことも出来ない。その年寄りのために食料を与えては幼子と労働戦力の体力が持たないので老人は一人寂しい山に入り食料を絶つ。命も絶つ。姨捨山のこと。昔話のこと。今の若者はこんな考えをしてはならないのは言うまでも無い。これからは少子高齢化の時代。老年者の気持ちは解らないと思うが、その長年の間に培われた知恵・経験は決して無にしてはならない。歴史の中においてはその知恵を拝借し、検証し、有効に知恵を生かす工夫は若輩者の務めである。大義の形を作るにおいてもその知恵は大変有意義になる。若輩者の独断は危うい。理論武装も危うい。進む方向を決める場合は、老練者のご意見を尊重し判断するのが大変よい。時代が求める方向は、大自然とともにあるように思います。

飲酒運転に思う

2006-09-20 | Weblog
飲酒運転による事故が後を絶たない。とにかくその行為をやめさせるには有効な手立てが無い。無い以上取締りの強化をするしかない。それと反則金の大幅な引き上げをすべきと思う。飲酒運転を本当に止めさせるならば段階的な飲酒判定を止め、一律の規定にすれば良い。飲酒運転は酒気帯びも何も無い、全て飲酒運転とすべきです。「飲酒運転反則金は一律20万円。事故を起こせば事故に応じての追加処罰を上乗せ適用する」。そうすることで飲酒運転は撲滅できるであろうと思います。少し過激な提案ではあるがこのくらいでちょうどよくなるのではないでしょうか。20万円も支払うのであればタクシーを利用するであろうし事故が防げて景気回復(消費支出)にもなるのではと思います。

「我」という言葉

2006-09-20 | Weblog
「我」と言う言葉の意味は(単独で思い道理にする)。と言うことが表現できそうな言葉のイメージがあります。特にこの言葉は聞こえがよろしくないように思います。下層階級の言葉のイメージが強い。それから支配階級が私心の底から発する声に聞こえる。もう一つとして塊を括る言葉でもある。「我が道」「我が一族」「我が国」の使い方でよろしく聞こえるのは「わが国」だけである。良くも悪しきも「大義」を掲げた「我」を使うようにしていただきたいと思います。

あなたの「癒し」は何ですか?

2006-09-19 | Weblog
TBのお題:「癒し」は何ですか?はあ~。「癒し」は稚児的表現だそうな。意味はよくわかっている。一人で何かしているとき癒される。なんと言うか、心が自由に解き放たれた(空想・想像出来る)ときに癒されるようです。この自由とは規制があっても自由に想像できる心のゆとりなのかも知れません。日常的には癒しなど余り考えない。「ほっと一息」の瞬間。

新技術歓迎です

2006-09-15 | Weblog
資源の無い日本がまた新しい技術を開発した。燃料の開発。植物の粕から燃料を作る技術だ。BDF・バイオ燃料だ。軽油の代替品です。ガソリン車と比べても排気ガスにには公害物質が少ない。CO2を排出しない。温暖化防止には大変よい燃料だ。以前にディーゼル車は黒煙を排出するから乗り入れを規制した地域があったがこれからは、CO2、その他の排出規制をするのがよいように思います。日本の技術はまだまだ捨てたものではない。私は黒煙を吐くディーゼル車を今も乗っているが排気ガスはガソリンに比べて人体への有害性は低いと思います。排気ガスの黒煙が有害なのは解っているが、ガソリン車に比べて見えない排気ガスの中身を真剣に比較したなば、ガソリン車の排気ガスはディーゼルに比べて何倍も有害ガスが排出されている。見えないものは確かにクリーンに思えるが、その毒性は人体に致命的な脅威を与えている。見えないものはすべて脅威です。リスクです。見えているものは人が認識できるから見えないものと比べてもそのリスクは低いと考えられます。

公務員の懲戒免職

2006-09-13 | Weblog
飲酒運転で交通事故を起こしたと言うような記事が最近はよく出るが、その罰則は道路交通法規の罰則である。当然その法律によって罰せられる。その他の不祥事においては殆どがうやむやにされている。公務員制度改革の本丸は、いかなる公務員も懲戒免職の罰則規定を盛り込むことである。よくTVで「公務員を罰する法律がない」とか言っていますが国会議員が立法化しようとしないところに原因があるのではないでしょうか?400万人の将来がかかっているかも知れないが、こんな罰則ひとつ出来ないでコンプライアンスなどと言っている役人の心理がわかりません。国民の僕であるはずの業務を行いながら何をしてもお咎めなし。そんな天国的な社会保障(利権)があるのならば全国民と共有すべきである。出来ないでしょうから罰則規定を提案する。「日本国公務員は不祥事を起こしたならば懲戒免職に処す。尚、如何なる理由をもってしても、公務員への復権・復職は認めない。」の条文を国家公務員法・地方公務員法に規定するように求めたい。

9月8日 今日は何時に起きましたか?

2006-09-09 | Weblog
TBのお題:この質問はされて答えに困ることがよくある。質問の意図がわからないときである。TPOを考えながら会話の流れなのですがどういう意味があるのか困惑します。ただ前後不覚の質問ならば単に、「朝は6時に起きました」です。現場の仕事では、安全担当者が体調管理の形で質問するときにはこんな答えでよいかもしれない。しかし肉体は起きても神経は約2時間後に目覚めると言う医学的見地?からいえば正確な起きた時間は8時と言うことになります。朝の仕事のかかり始めに工場内の作業者は怪我をすることがあります。それは肉体の起床時間と、神経の起床時間がずれているからでしょう。頭では解っているが運動がついて来ないなんてのもこの起床時間のずれですね。スタンバイするために、私は何時も朝6時かそれより早く起きます。

「恋人たちのシルエット」・・夏の終わりを感じるときは?

2006-09-08 | Weblog
TBのお題:わが町では暦の秋分の日の夕方にその予感を感じました。鈴虫?コウロギ?の泣き声がありました。暦はすごいと感じました。もう秋なのか~と。自然は秋を感じさせてくれたが、まだそのときは暑い日が多く真夏だと言うのが本音。夏の終わりを感じるのは、誰もいない海辺の夕日に「恋人たちのシルエット」が消えるときです。

温暖化防止のチーム・マイナス6%

2006-09-08 | Weblog
最近このタイトルの文字をよく見かけます。根本的な地球温暖化は生活環境の見直しから始めませんか?と言う啓蒙と行動活動ですね。これは実践できると思うことからはじめましょうと言う市民活動です。が、今年の異常な気象を見るとどうもそんな流暢なことではもう困難な環境破壊が進んでいるようです。もう止めることは出来ないような気がします。都心の温暖化の問題を考えるとよく判っているのではないですか?私はこの問題について建設的に推奨したいのは日本の社会経済環境を東京一極集中ではなく、日本国全体に分散すべきと思います。日本を本当に愛する気があるならば、日本国全体が社会経済の世界の中心地になるようなデザインを描く政治家に登場してもらいたい気がします。北海道から沖縄までが東京の機能の分散集合体であるような国に。ITを使えば何でも分散可能(ITの本来の姿)なのに何故不自由な東京に集中するのか解らない(東京だけに日本のお金が集まる仕掛けがあるようにされているのが悪い)。デザインが描けない政治家が多いのでしょうか?県庁に行けば何でも出来るようにすればよいのではないですか?最終的には日本国民の分散になるような環境作りが正しいように思います。緑と人の均一な日本国。21世紀は危機管理においても分散が大事なように思います。題して「日本列島改造論・分散環境と生活」とでも言おうかな。ご一考してもらいたいと思います。チーム・マイナス6%もそうすることで達成可能になると思います。

上級救命講習・・・阿南消防署

2006-09-07 | Weblog
9月3日に消防署で上級救命講習がありました。高齢化社会においては色々なシーンに立ち会うことが予想されると思い、この講習を受講しました。救急の処置方法の実習(ダミーを使用)でなんとなく出来そうな初期の救護方法。本当にそんな場面に会うと出来ないかも知れないが、一応は8時間の講習を終えた。救急救命に於ける初期の行動。状況の確認から被災者の状態確認、救急車手配と救命処置の方法。循環のサインの確認、心肺蘇生法とAEDの使用方法から回復体位まで。とにかくこの講習で得たものは大変に有意義であったように思います。講習料は無料でした。毎月一回普通救命講習は行っているらしい。受講料は無料。消防署の定期講習会です。修了者には終了証がもらえます。尚、技量が低下しないように自主的に定期的に講習会に参加することが勧められています。時代に応じた救命方法も変わりつつあるのでということでした。