十勝・大地の気に包まれて

四季の美しい十勝ですが 自然が厳しいからでしょうか

何かお正月の盛り上がりに欠けるような気分・・・は、自分だけ?

2006年12月31日 | Weblog
 帯広市内の大型スーパーに行っても、食料品売り場の紅白や金銀の飾り以外、普通の営業形態で、なんら特別な事は無かった。大晦日の歌合戦などのマスコミ関係のカウントダウンのみが“それらしい”のなら、日本も『欧米化』したことになるのかも。

 おせち料理は平安時代からの風習らしいが、黒豆とごまめ、なます、数の子を買ってきた。数の子は子孫繁栄を願っての事らしいが、独身の自分としては、男としての機能の維持・向上を願う事になるのかも?!それはともかく、酔っ払った勢いで数の子を貪り食うのは、お腹をこわすので気をつけなければ。

 さて、年またぎだけが気になるところだ。これから寝酒でもやって、それを楽しめるようにしておこう。来年も撮影機材などのデジタル化と仕事、写真家としての作品作りに充実した年としたいものだ。

  

日高の山々は真っ白でなく、青い部分も目立つ

2006年12月30日 | Weblog
 雪が多いと、日高山脈が『白い山の連なり』のように見えるのだが、今年のように雪が少ないと、山の地が青い(紫外線と色温度の関係で青く見える)部分が多い。

 今夜は月がきれいで、月の光が地上の雪や、山々の頂の白い雪を蒼く光らせて美しい。スーパーからの帰り、家に着くまでこのような風景を見られる幸せを感じる。

 とはいえ、帰宅してから、おでんと豚まんをほおばっている時は忘れているのだから、一時の風流人というところか。

 風流と言えば、この年末も正月らしくない気分。スーパーの売り場の寿仕様も代わり映えしない。変わるほうが問題あるのかな・・・?!

  

昨夜は十勝も大雨。札幌の大雨は44年ぶり!

2006年12月28日 | Weblog
 朝、車の上には雪が少しのっていて、天気は雨。雨の合間に雪が降ったようだ。十勝もそうだが、札幌も大雨だったらしく、インタビューされていた人々も一様に驚いていた。

 この時期、遊びに来る人、帰省で帰る人がほとんどだが、どちらの人たちが驚くのも当たり前で、遊びに来る人は白銀の世界を求めて来るし、帰省の人は経験上、この時期は雪が当たり前なのだ。

 原因は『爆弾低気圧』だそうで、今年の北海道は低気圧の影響が強く、天気の解説でも多数登場した言葉だ。今年もあと3日半、ぎりぎりまで低気圧の影響を受けている。

 しかし、オホーツク海側は大雪になっているそうで、雪に比べたら雨は流れてくれるので助かる。そのうえ、今日の最低気温はプラスだし、地上の雪はかなり減って活動しやすい。

 十勝も温暖化、異常気象の影響を受けている。人にも農業などにも。来年は、良い年になって欲しいのは当たり前だが、豊かな気分で暮らせる環境であって欲しい。

  

スーパーの売り場はお正月仕様に。なんと元旦のアレも!

2006年12月27日 | Weblog
 クリスマスが終わって、あっという間に正月仕様に売り場が組みかえられていた。なんとまあ、律儀と言うか、きっちりした国民性なんだな~と思う。

 なかでも、大型スーパーや専門店街では、何と!・・・『福袋のお得意様先行販売』と銘打って、3,000円、5,000円、1万円運命の分かれ道・・・いや、『いとしこいし』の“ガッチリ買いまショー”ではないが、福袋の先行販売をやっていたのだ。

 2万円の袋まであったように思う。そして、袋の中身をディスプレイもしてあった。冬物が売れないのか、商魂たくましいのかは分らないが、なんとまー・・・複雑な心境になった。

  

ラジオから聴こえた「我が家の大ニュース」に笑ってしまった

2006年12月26日 | Weblog
 例によってAMラジオしかない愛車で、聴きながら走っていると、『我が家の大ニュース』という年末らしい企画をやっていた。

 その中で、還暦の女性からの投稿で、「生まれて初めて口笛が吹けて、涙が止まりませんでした」と言うものがあった。真偽の程は分らないが、『女性と女性的男性は口笛が吹けない』と言われているのを聞いたことがあるので、「なるほど」と思った。

 吹けたといっても、ヒューッという音が出ただけらしい。それで、しばらくヒューッ、ヒューッやっていたら、涙が出てきたとの事。「そうか、吹けない人は、そんなものなのだな」と感じ入り、つい確認の意味も含めて、自分も色々な曲を次々吹き始めた。

 で、運転しながら10分くらい吹き続けていただろうか。少し、頭がクラクラしてきて、血の気が引いてきた。「酸欠?!貧血?!」という言葉が浮かんだ。調子に乗りすぎたようである。

 それは行きで、帰りもアミューズメントパーラーで得た資金で写真集を積んでいたので、つい調子に乗って吹いていたら、やっぱり気が遠くなりかけた。ちなみに、一番吹いたのは「オネスティ」「水戸黄門のテーマ」「口笛吹きと子犬」だった。

  

ホームページの年内最終更新完了。神秘の空を1カット掲載

2006年12月25日 | Weblog
 まる2年目になるホームページの更新は、年内最終で、空と雲の写真を6カット掲載した。中でも、最後の6番目の№39は、今年最も神秘的だと思える空のうちの1カットで、久しぶりに鳥肌が立つような感覚で撮影したもの。

 そういう気分で撮影しても、写真にしたらイマイチと言うものもあるが、ネット上で公開する場合、更に写真は良くても解像度の低さでイマイチとなる場合もある。

 さて、この「十勝のスナップ」№39~雲の思い出⑥の写真はどうであろうか?この写真は、2006年の思い出の1カットには間違いないが、反応や如何に?

 でも、なにはともあれ、今年もホームページまで見に来てくださった方々、ありがとうございます。

  

年賀状はメールで十分と言う人もいるけれど・・・

2006年12月24日 | Weblog
 年賀状は確かに面倒くさい時もある。しかし、自分の場合は、写真の小さな発表という面もあるので、違う意味で大変なのだ。

 まず、どの画像を選ぶかと言う事、そして、どのように加工処理をして、自分らしさを出すかがポイントとなる。加工と言っても不自然な手の入れ方をするのではなく、色や明るさの調整とトリミングである。

 フィルムの場合は、撮影した時点(フィルムが露光した時点)で、ある意味完了である。しかし、デジカメの場合は、業務用になればなるほど、派手さを極端にまで抑えた状態が記録されるので、『処理作業は必ず』と言えるかもしれない。

 12月に入って1カット50メガのデータ量の写真を2千枚近く処理しているので、半ば機械的に処理できるようになっている。その流れで年賀状を仕上げたので、あっという間に終えられた。

 ただ、このところ、30時間以上起きてから寝るような暮らしを続けているので、一日のリズムは無い。が、異常に元気なのは、気が張っているからか?!まあ、写真に触れているときは夢中になるので、ひと眠りしたら、肉ものの弁当でも買ってくるかな。

  

久しぶりに忙しい12月を味わっているが、新鮮!

2006年12月21日 | Weblog
 高解像度で撮影した写真の大量処理のため、12月は非常に忙しい思いが出来た。フリーのカメラマンの場合、こういう事が年に何度か無いと、パチンコにすら行けないので喜ばしい事なのだが、大詰めを迎えたところで昨日今日は睡眠時間返上で処理に当たった。

 インデックスプリントを見る限り、画像処理は適切であったようだった。このさじ加減が難しい。フィルムで撮影していた時は、プロラボのプリントマンに任せていたらよかったが、なんでも自分で出来るデジタルでは、仕上げの決定も自分なので、キリの良さを感じるのが難しいのだ。

 BGVにつけてあるテレビを見ながら何か食べたのは確かだが、ハッキリしない。写真の事になったら、自分でも驚いてしまうほど集中する。この集中力を他の事に向ければ社会人としてバランスが取れるのだろうが、何よりも写真優先では、付き合う人もあきれるばかりだ。

  

日曜日の雪は、クリスマス気分を盛り上げる量だった

2006年12月18日 | Weblog
 20センチ近く降ったエリアもあったようだが、十勝は湿った雪質もあって、10センチ未満の雪がゆっくり時間をかけて積もった。雨ならシトシトという感じで、コンコンという感じの降り方は、とても情緒に訴えかける。

 そんな雪の降る中をスーパーに行った。気温の低さも手伝って、クリスマスの飾りつけと、大きく積み上げてある鏡餅が、更に季節感を味わう演出となった。とはいえ、晩ご飯のメニューはハンバーグ弁当と、芸は無い?

 帰宅中も、みるみる積もってゆく雪と違い(大雪ではヘッドライトに反射し、前が見えなくなるが)、『雪の降る街を~♪』と歌いたくなるのは、雪の降らない所での生まれ育ちのせいだろうか?

 前後に車も無く、対向車とも出会わない時間帯・区間は、フロントガラス越しに雪見をしているようで、心地よくドライブできた。圧雪アイスバーンになる前の雪質で、運転もやりやすかった。

 それでも、帰宅して用事をしていると、年末とか、師走の実感が湧かないのが、独身の特徴かな。

  

『美しい箸使い』は、人の在り方まで美しく見せるとは

2006年12月15日 | Weblog
 BGV代わりのTVから、“懐石などでの箸使い講座”みたいなものを放送していたので、つい気になって見入ってしまった。知っていても、なかなか美しく振舞えない。普段から家でやる雰囲気ではないし・・・。

 なかでも、しょう油のついた刺身などを口に運ぶ時、空いたほうの手の平を皿のようにするのは失礼で、懐紙か、お椀の蓋で、たれるかもしれないしょう油を受けるとの事。

 あまり料亭に行く事もないが(実はまったく無い!)、せめて箸の握り方だけは基本に忠実に行っている。学生時代、『握り箸』(アイスピックのような持ち方)をしている奴が、皆から下品者とからかわれていたし、「親がちゃんとしてない」とまで言われていた。

 ちゃんとしている(つもりの)自分は独身で、そいつは早くから結婚しているのは、何かの皮肉!?かもしれないが、ちゃんと子供に箸の持ち方を教えたか不安になる。

 今風の言い方をすれば『大きなお世話』なのだろうが、外国人に箸の持ち方を指摘される時代は御免である。