十勝・大地の気に包まれて

四季の美しい十勝ですが 自然が厳しいからでしょうか

真っ白な銀世界。除雪の重労働が無ければ雪見なのだか・・・

2006年03月30日 | Weblog
 春先の、湿った重い青みがかった雪は、夕方から再び降り始めた。明日の昼まで降るようなので、積雪量は更に増す。

 除雪をしないところは70センチを超えている。ほんとのドカ雪。冬の北海道のパウダースノウとちがい、春先にはボタン雪とも違う、湿った重い雪が降る。みぞれとボタン雪の間の感じで、降り積もるだけではなく、木々やアンテナ、壁など、垂直のものにでもくっついて凍る。

 もし、夜にライティングをしたら、樹氷あり、樹氷のような電柱あり、樹氷のような看板など、冬には見られない景色となる。とはいえ、この湿った、くっつく雪は除雪もしにくく、重いのだ。

グーグルアースの面白さと制約

2006年03月29日 | Weblog
 今頃になってと言うわけではないが、グーグルアースをやってみた。大都市部の解像度はかなりなものだけど、その他の地方都市や十勝などは「模様」でしかないのが残念。畑の畝まで見えるかと楽しみにしていたのだが・・・。

 以前住んでいたことのある小樽などは、港のあたりはハッキリ分からず、モノクロになっていて、何か理由があるのかなと思わせられる。

 面白かったのは、大阪で写真事務所をしていたビルが分かった事と、生まれ育った大阪の印象的な場所や建物が確認できた事だ。「ここでは、あんな事や」「そこでは、こんな事を」していたと、回想できるのも楽しい。

 こういうソフトが無料で使えるというのは、すごい。実際には、更に解像度が上がったものが使われているだろうし、かつ動画で見られるとしたら、旅行の概念まで変わってしまうかも。

卒業の記念写真を、撮影から仕上げまでデジタルにて

2006年03月27日 | Weblog
 とうとうデジタルオンリーで仕事をしてみた。考えてみれば、フィルムでも現像に失敗したり、カメラの故障の可能性もあるのだから、デジタルのみが危険度が高いと考えるのは、アナログ人間の性だろうか?

 卒業記念の集合写真の撮影をデジタルですると、撮影直後にクライアントに見せて確認してもらえ、露出やピントも限度はあるが確認は出来る。

 撮影終了後はパソコンにコピーして銀塩と同じく調整すれば、あとはプロラボにネットで送れば済む。現状のブローニの現像のみで一週間近くかかる事を考えると、そのスピードも魅力的である。

 写真の仕事が減った事を嘆いてばかりいないで、こういう形での仕事の展開を認めるべきなのだな。

 とはいえ、画像がフィルムに残らない不安感を、まだ払拭できないでいるのは確かだ。

報道方法はともかく、パチンコ「冬のソナタ」は上品だった

2006年03月23日 | Weblog
 日本がおとなしすぎるのか、世界の報道機関や政府発言は過激だな~と思わせられることが多い。周りを海に囲まれ、どこの国とも地面で境界を接していないからか、日本の特殊性を感じる。それにしてもまあ、・・・やめよう。腹が立つのは分かるから。

 スーパーの半額セールの時間待ちに、ちょこっとアミューズメントパーラーへ。いつも空いていない〝冬のソナタ〟が1台空いていたので着席。この台は構造上、下皿が無いので空き確認がしやすい(下皿がある台では、おばあさんが黒いビーズの小物入れを突っ込んでいる時がある。当然、『この台は、とってある』のが分かるのは打ち出してからなので要注意)。

 台の印象は「きれいに作ってあるな~」という感じだ。日本の今の芸能界は「キモかわいい」というか、品がないというか、「出演料は安く・インパクトは強く」というイメージ。台の液晶には冬のソナタを見た人なら有名なシーンなのだろう、美しい男女が実写で映しだされていた。また、実写は熱いリーチらしい。ちなみに普通のリーチはアニメーション。

 割とスムースに3連荘がかかり、資金アップでスーパーへ。サーロインや和牛上肉を検討したが、豚バラの切り落としと、もやしで200円弱のメインディッシュ。何と言うか、食費は安くつく男だな~。


病は気から・・・強気で病は治まる・・・とラジオは言うが

2006年03月20日 | Weblog
 車の中では、相変わらずAMラジオしか聴けないので、NHK2局と民放2局しか選択肢が無い。それはそれで、迷わなくて済むので?運転には支障にならない。

 そんな装備だけれど、ためになることも多い。今日の話題の中に、

「病は気からといいますが、気を強く持って生きると、病の方から逃げます」ということを話す専門家(何かの・・・)の話が印象的だった。年とともに不安になり、病を引き込むように考える人が多いとの事。その結果、免疫を含む心身の抵抗力が下がるそうだ。

 話を聞くアナウンサーが「やっぱり、人生も気合なんですね?」と言うと「その通り!」とのこと。

 「病を悪魔と考えないで、友のように付き合っていくほうが楽」と言った文豪もいたが、気合で何とかなるなら「健康長寿、気合だ!」をセレクトしたい。

十勝の問屋に無い任天堂DS・・・需要と供給の妙?

2006年03月19日 | Weblog
 NHKまでが脳のトレーニングの番組や講座をやり、ゲームのコメンテーターの伊集院 光氏が夫婦で「動物の森」をやってるとかコメントするほど、これらのゲームは売れている。任天堂の予想を上回ると言うが、そうなのか?

 脳のトレーニングゲームは、娯楽性も実用性もあるので母にプレゼントするために探したが、十勝の大手おもちゃ屋さんや大型スーパーの玩具売り場でも・・・無い! 「スワたまごっちのパターンか!?」と思ってしまう。
 それというのも、大阪の弟に頼んでも「ヨドバシカメラも入荷待ち」とのことだからだ。

 景気が上向きになると、やっぱり精神性や娯楽性など生活の質、暮らしの質に関するモノが売れるのだろうか。健康で、更に賢く生きたいしね。

アミューズメントパーラーの見学者・考

2006年03月17日 | Weblog
 アミューズメント・パーラーについて、もうひと話題。

 前回は台の事ばかりに目を奪われていたが、気がついた事がもう一つある。それは見学者の多さだ。向かい合ったうち1列が人気台で、対面の列がガランとしている時、空いている席に腰掛けて人気台の動きを見ている学生みたいな若者や老人たち。また、向かい合った2列とも人気台の時は通路を行ったり来たり、リーチがかかればボーっと見ているのだ。

 台を探しているわけでもなく(空き台があっても座らない)、ひたすらリーチ画面をあさっているかのよう。それとも研究中?

 見ている方は何と思っているか分からないが、やってる方はガラスに緊張感の無い顔が映っているし、タダ見されている(ケチ臭い?)し、あまり気分良くない。
知り合い同士なら「熱いのをひいたゼ!!」で見てほしいかもしれないが・・・。

 それもこれも、今の台がド派手ゆえなのかもしれないが、せめて、無反射ガラスにでも出来ないだろうか?!

アミューズメントパーラーの台の進化?はギネスものかも

2006年03月15日 | Weblog
 編集者との待ち合わせに時間があったので、嫌いではないアミューズメントパーラー(旧パチンコ屋?!)でひと遊び。驚いたのは、パチンコ台の機能と造り。ちょっと間を置くと、とんでもない状況になっている。

 ジュリー(沢田研二)がテーマの台は、パチンコ台の中にピンボールマシンが入っているし、小林 旭の台はピストルが動くし、撃つ動作もする。都はるみの台は液晶の短冊が出てきて「あさぼらけ・・・」と百人一首の和歌が表示され、都はるみの声で読まれる。中でも全台ふさがっていたのは「冬のソナタ」がテーマの台だ。タイトルは知っているが、一度も見たことが無かったので、食いつくように液晶画面を見ている人が多いところを見ると、ドラマのメインのシーンが再現されているのだろうか。

 バラエティーに富んでいるというのは、ああいう状況を言うのだろう。効果音も音楽も光もすごい。資金も1万円単位でないと遊べないそうだ。
 昔と言っては笑われるが、床に落ちた玉を子供に拾わせて、親が打っているような光景を見ることは、もう無いだろうな。

 今のフィーバー台は、当たれば大きくプラスになる確率は高いらしいが、負けると大きいとの事。やっぱり「電子式頼母子講」的な要素はあるのだ。

日曜の北海道の民放ラジオは早じまい。おまかせ録画をチェック

2006年03月13日 | Weblog
 北海道のAMラジオの民放は2局で、それも日曜日は26時30分でどちらも終了。雑用をしながら「ラジオ深夜便」・・・と思いかけたがTV音声をBGMに、それもビデオの「おまかせ録画」機能で録ったものをかける事にした。これはキーワードを入れておくと何かしら関係ありそうなものをビデオが判断して録っておいてくれるのだ。

 その中に新作映画「北斗の拳」のメイキング番組があったので、つい見てしまった(BGMにならん!)。ケンシロウもラオウも声優が変わり、初めて北斗の拳を見る人は抵抗無いだろうが、TV放送はもとより、劇場版もビデオで20数回見ている者にとっては、かなり違和感があった。映像も3次元的になって綺麗だけれど、以前の劇場版のほうが・・・。

 このところ焼き直しが多い。歌もゲームも映画も。やっぱり、あのころの日本文化って言うのはパワーがあったのかな。

最近のニュースを見てると、日本も変わったのかな~とか

2006年03月09日 | Weblog
 BGM代わりにTVをつけているのだが、この頃のニュースの質に考えさせられる事が多い。凶悪な事件といっても江戸時代よりましだろうし(すぐ叩き切られることは無い)、性のモラルの崩壊といっても平安時代の自由度、江戸時代のおおらかさに比べると、現在の方が不自由という研究者もいる。

 ただ、今の生活は、自由度が高くなったように思う。恥や名誉のために切腹する事もないし、世間の目も厳しさが、なくなりつつある。世間体も死語に近い。これをアメリカ的というのだろうか?

 昔は食事をどうするかということで、多くの時間をとったそうだ。儀式的な要素もあったらしい。今はコンビニ弁当でポン!である。残った時間の使い道を、誤りたくないものだ。