村報第3号は、昭和27年1月号です。新年のあいさつが1ページです。読みにくいのですが、読んでみると、村民一致団結して、より幸せな村を作りましょう。ということでしょうか。今から比べると堅苦しいようですが、当時ですから。
村とは、まったく関係ないのですが、真面目に読んでいて、最初の太文字がまったく読めませんでした。
謹みて年の始めの御慶芽出度御壽ふぎ申上げます
これが、読めません。いろいろ苦労して、ネットで調べ、1時間かかりました。
つつしみて 年の始めの ぎょうけい めでたく おん ことはぎ もうしあげます
と読むのでしょうか。難しいものですが大体の意味は、わかります。めでたいということです。また。それを言葉にだしていうと、さらにめでたいことになりますよという言霊の文でしょうか。
さて、左上には、広報委員会のメンバーの名前が大きく出ています。当時の布野の重鎮の方ばかりです。けれど、岸實さんという方は、まったく私にはわかりません。というのも、布野で岸という家名に記憶がないからです。93歳の母に聞いてみると、布野小学校の校長先生ではなかったかと言うのです。調べてみると、確かに布野小学校の校長先生で、昭和22年3月から昭和30年4月まで、校長先生をされていたようです。講堂に写真があったはずですね。私の叔母様が在籍中の校長先生でした。
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