心配ないさ~

ふくたまの日常生活のつぶやき

先輩と私

2011年10月29日 22時53分55秒 | お仕事
さて、後輩Bくんと引き続き一緒に仕事ができることになったわけですが、何分二人とも
新しい案件の言語は未経験。

そういうわけで、お客さんのA課長からは、福岡で万全のバックアップ体制をしくことと、
依頼があっています。

私の上司である係長は私にとっては先輩にあたる4名の方々で構成される支援チームを結成して
いただきました。

その4名というのは、全員私より年上で、SE・プログラマ経験、実力全てが私より上の
方々です。

ただ、未経験の言語とはいえ、私ももう31歳、SE・プログラマ経験は6年目になります。

未経験だろうが何だろうが、任された仕事は自分の力を頼りに完璧にこなして当たり前だと
思っています。
(もちろん、他の方々の力も頼りにしますが、あくまで自分主体でという意味で)

だから、先輩方に甘え、依存してはしけないという気持ちを常に持って作業をしていこうと
心に決めています。

その4名の中で、Cさんは私が名古屋にいた2年間で最初の1年間をリーダーとして務めて
いただいた方です。
その後私がリーダーを引き継ぎました。

私がリーダーになった後、Cさんは福岡に引き上げ、別の案件に携わりました。
その後も、メール等で何度も相談に乗っていただきました。

ただ、プロジェクトが火を噴いていた終わりの半年ぐらいは、私の考えとCさんの方針が
大きく食い違い始め、夜中の2時ぐらいに所長や係長も宛先に含めてケンカめいたメールの
やりとりをしていました(汗)

正直その時私はプロジェクトを先に抜けたCさんを憎んでいましたね…。
今考えると逆恨みもはなはだしく、恥ずかしい限りです。

名古屋での任務を終え私は福岡に帰ってきました。
そしてすぐに仕事を辞めようと思い始めました。

そんな時、まっさきに相談したのがCさんでした。
それは過去のブログで書いたことがあります。

今後のこと

名古屋時代は最悪とも言っていい状態で終了した二人の人間関係。
それでも心の奥底で私はCさんのことを尊敬していたんだと思います。

今週Cさんに電話しました。会話したのは昨年8月以来です。
支援をしていただく経緯を話すと、Cさんは快く引き受けてくれました。

電話の中でCさんは
「名古屋の時はふくたまくんをサポートできなかったから、今回はちゃんとバックアップしたい」
とおっしゃっていました。
名古屋の時もサポートしていただきましたし、そう言っていただけなんと心強いことか…。

4名の信頼のおける先輩方にサポートしていただける。
それは非常に心強いことですし、幸せなことです。

同時に私の仕事ぶりを先輩方に見せるということにおいて、しっかりとした姿を見せたい
という気持ちが非常に強いです。


東京でどれだけ成長したか見てもらいたい。

皆さんのおかげで自分はここまで成長することができたと伝えたい。

そう思うと自然と心が奮い立つのです。

他のメンバーのために…

2011年10月29日 10時21分11秒 | お仕事
今週月曜日に「良いことと、悪いこと両方があった」と書きましたが、今回は
「良いこと」を書きたいと思います。

現在担当している開発は来月を持って一旦クローズになります。

プロジェクトの終わり、そして次へ…でお客さんのA課長は私に新しい案件を用意していくれている
ことを書きました。

私は新しい案件で使うプログラミング言語が未経験なので、もう一名その言語に精通した人間を
入れてほしいとA課長から要請があっていました。

その一名を私の後輩Bくんにすることで、A課長の了承をいただきました!!

後輩もその言語は未経験なのですが、会社としてバックアップをしてくれるのならOKだよ、
ということでした。

今会社は厳しい状態です。

だから、社員にとにかく案件を持たせることに必死になっています。

もし、その言語に精通した人間ということになると、外部から人を入れなければなりません。
つまり、私の会社の社員ではないということ。

そうなると、後輩のBくんは12月以降案件がなくなり、新たに案件を探さなくてはなりません。

そこで、先週金曜日に私の所属長と係長から
「何が何でもBくんをその一名として案件に加えること!!」
と勅命が私におりました。

「その言語に精通した人間が条件」とA課長からは言われ続けていたので、今週月曜日の
進捗会議後にA課長に直訴することになって私はかなりプレッシャーを感じていました。

土曜日、日曜日なんかはそのことを考えて、かなり思い悩んでいたんですよ。

そして、月曜日の進捗会議後に、A課長に直訴しました。

もう、Bくんを入れれなかったら私はクビだぐらいの思いで、直訴しましたね。

始めは難色を示していたA課長も次第に考え方が変わってきてくれて、最後はBくんを
入れるということをOKしてくれました。

福岡の係長にそのことを電話で報告すると「よくやった!!」と言っていただけました。

もうとにかく後輩の案件を確保できたという結果に、私は肩の荷が降り安堵しましたね。

ただ、今回私は始めからあとプラス一名はその言語に精通した人間ではないと無理と決め
つけており、所属長や係長に言われてA課長に直訴したという経緯があります。

もう少し、自分以外の人間も案件に組み込む、後輩Bくんの案件も確保するという
思いがあれば、私の方から所属長や係長へBくんを組み込むための提案していたのかなと
思っています。

それは自分だけでなく、自分以外の人間の案件も確保するという気持ちが薄かった結果であり、
その点は今回見えた自分の問題点だったと振り返ります。

今後は自分だけでなく、他のメンバーについても案件に携われるようにするという気持ちを
強く持ち行動していこうと心に決めた今回の出来事でした。

良かったことと、悪かったこと

2011年10月25日 00時11分53秒 | お仕事
今日は仕事で良かったことと、悪かったこと両方がありました。

もう遅いので、今日は悪かったことだけ書きたいと思います。

悪かったことというか、気分が良くなかったことというか…。


今プロジェクトは私の会社以外、もう一社がお客さんの下で作業をしています。

そのもう一社のリーダーAさんは私より二歳年上。

基本的に私には敬語で話しかけてくるのですが、ちょくちょく
「~なの?」、「~やったよ。」
と、タメ口で話しかけてくるのが私は気に入りませんでした。

だって、二歳年上とはいえ、別会社同士だし、私はその人と先輩・後輩の関係にあるわけ
でもないし、何より、今のプロジェクトでは私が協力会社のリーダーをやっていて
私の方が立場、プロジェクト貢献度、仕事の出来、すべてが上だという思いがあります。

小さい人間だと思うかもしれませんが、私にもプライドがあるし、とにかく最近
タメ口が多くなってきてムカムカしておりました。

今日の昼間、私がAさんに携帯で
「この件について数字を教えていただきたいです。」

とメールを送ると、Aさんは

「後で内線する。」と返してきました。

「良かったこと」で書きたいと思いますが、私は午後から大きな仕事をしなければ
ならなかったので、ちょっとナーバスになっていました。

メールを受け取ってからいらだってしまい、

「後で内線するではなく、後で内線しますと敬語を使っていただきたいのですが。」と

返信しました。

その後、Aさんから内線があったのですが、彼の第一声は
「何かいらだってますね~。」
でした。

それ以降特にこの件は話さなかったのですが、さすがにその後はオール敬語でしたね(笑)

怒りに任せたメールを返信してしまったな…と、ちょっと後悔しましたが、
たまには感情的になるのも悪いことではないか…と今では思っています。

感情的にならず怒らずという気持ちでいつもいますが、感情を表に出すというのも
時には必要なのかな。

字のうまさ

2011年10月23日 10時28分16秒 | お仕事
今日は日曜日、ということでお休みをいただいています。

結合テストは明後日まで、予定通り完了できそうです

昨日は後輩と二人で開発現場に出社し、明日、明後日のテストの認識合わせを
行いました。

その後たまには二人で飲みに行くか~ということで、我々が住んでいる近所の
居酒屋で飲んできました

そのお店で手書きのお品書きがあったのですが、達筆ですごくうまい!

考えてみると、我々SEは例外なく字が下手です

もう5年この仕事をやっていますが、字が上手いSEに会ったことはありません(笑)

私も大概下手ですが、周りはそれに輪をかけて下手なんです。

一度、クライアントが設計書に手書きで赤を入れてこちらに返してきたことがあります。

お客さんのリーダーと二人でそれをながめてて、

「この字よみづらいですよね~」
「なんて読むんですかね、これ???」

なんて笑い合ったことがあります。

赤字の中に、ほんの一部だけですが、青字で書かれたコメントがあり、

私:「ほとんど赤字ですが、一部ある青の字なんか特にひどい。
   読めないったらありゃしないですよね。 ヾ(@^▽^@)ノわはは」

と言いました。

すると、

お客さん:「あ、それオレが書いたメモ書き」

私:∑( ̄Д ̄;) ∑(゜ω゜ノ)ノ ∑( ̄Д ̄;) ∑(゜ω゜ノ)ノ ∑( ̄Д ̄;) ∑(゜ω゜ノ)ノ

お客さんは自分の字は暗号化がかかっていると自身で言うぐらいなので、全く怒りもしません
でしたが、ちょっと焦った出来事でした

リーダー

2011年10月19日 12時35分44秒 | お仕事
今日は代休をいただき、お家でまったりしています。

短いようで長かった、長いようで短かったこのプロジェクト、それも終わりに近づいています。

プロジェクトが一区切りついたら、このプロジェクトの振り返りを本格的にやろうと思っています。

その中で、リーダーというポジションをやるにあたって何が大事なのかを最近よく考えることがあります。

初めてリーダーを経験した名古屋では、結果、周りからの評価共に散々なものでした。

はっきりと言われたわけではありませんが、所属長からはクビめいた宣告を受けたことがありました。

名古屋時代も今と同じように自分の限界を超え、もうこれ以上できない!っていうぐらい
頑張っていたし、努力もしていたんですよ。
今の東京でもそれは同じ。

しかし、結果はあきれるくらい180度正反対に…。

リーダーとして求められる能力は?

まずはリーダーシップという言葉が思い浮かびます。統率力という言葉に置き換えても
いいかもしれません。
リーダーはメンバーをまとめ、引っ張っていかなければなりませんからね。

次はコミュニケーション力。
お客さん、メンバー誰とでも良好な人間関係を作り上げるにあたって、コミュニケーションは
必要不可欠です。

折衝力。自社に有利になるよう、お客さんと交渉していかねばなりません。

判断力。リーダーは常に判断をし、適切な指示をメンバーに出していく必要があります。


どれも必要ではありますが、なければリーダーをやっちゃダメなのか?と言われると
そうではないような気がします。


名古屋時代と、東京時代の違いは…。


名古屋時代は初めから諦めモード、こんなの成功させるなんて無理だよ、
失敗しても自分の責任ではない、という思いで常に仕事をしていたような気がします。

対して今は、何が何でもプロジェクトを成功させる、失敗すればいかなる理由があれ、
責任は全て自分にある、そんな思いで常に仕事をしています。

そう考えていくと、違いは「覚悟」なのかなと思えてきます。

何がなんでもプロジェクトを成功させるんだ!!という「覚悟」。
失敗したらいかなる理由があれ、他人のせいにせず、自分自身が責任を負うんだという「覚悟」。

この二つの意味を持つ「覚悟」がリーダーをやる上で最も必要なものであると、名古屋時代、
東京時代を比較していくと見えてきます。

リーダーシップ、統率力、コミュニケーション力、折衝力、判断力
どれも重要な要素(能力)であることは間違いありません。

でも、それらはあくまで付加的な要素であって、あればなおよしといったものだと思います。

リーダーをやる上で一番問われるのは「覚悟」。

これがないと土壇場、厳しい状況に置かれたときに弱いのです。
どんなに能力があったとしても。

「覚悟」がない人間はリーダーをやるべきではないと思います。
それがなければ、どんなに能力があるリーダーでも、周りを不幸にしてしまいます。

ただ初めてリーダーを経験する人にそれは望みすぎだと思います。
「覚悟」の重要性は一度リーダーを経験しないと身を持って分からないと思うので。

逆にいうと、「覚悟」さえあれば、どんな人間であってもリーダーをやっていいと思います。

自ら手を上げリーダーをやりたい!
リーダーをやって名を上げたい!と意志表明する人間は、私の周りには皆無です。

リーダーをやりたくないとい言う人に、「なぜリーダーをやりたくないのか?」と聞くと
「自分には統率力がない」、「コミュニケーション力がない」、「交渉が下手だから」といった
自身の『能力不足』を理由にする答えが必ずと言っていいほど返ってきます。

リーダーシップがなければリーダーをやっちゃいけないのか?

周りと上手くコミュニケーションがとれないとリーダーをやっちゃいけないのか?

交渉力がないとリーダーをやっちゃいけないのか?

答えはNOです。

リーダーに必要な条件、そして唯一の条件、それは

「覚悟」

これさえあれば、リーダーをやっていいと私は考えますし、その考えは絶対に間違ってないと
思います。

なにも、リーダーシップ、統率力、コミュニケーション力、折衝力、判断力
これらの能力がどうでもいいと言っているわけではありません。

揺るぎない「覚悟」を持ってリーダーを続けている人にのみ、それらはおのずと身に付いて
いくものだと思います。

よく、「この人はリーダー向きの性格だ」とかいう言葉を聞くことがあります。

私は「リーダー向きの性格」なんてものはないと考えます。

そんな周りの決めつけ、自分自身の思い込み、それで二の足を踏む人がいます。

その固定観念を持つことは決して得にはなりません。

とにかく惜しいのは、性格が消極的だからといった理由でリーダーをやりたがらない
周りの人達です。

もちろん本当にやりたくない人はやる必要はないです。

でも、やりたいけど自分の能力では無理…、なんて思っている人は本当にもったいないと
思うのです。

リーダーなんかやったもん勝ちです。

一度やってみて、苦しい思いをしなければ、私が出したような答えにはたどり着けないはずです。

だから、周りの人からもっと「リーダーをやりたい!」、「リーダーをやって目立ちたい!」と
いった声が聞けるようになりたいし、今はそうなるよう周りに接しています。

私は以前このブログで
「リーダーとメンバーとの間に、偉い、偉くないという差はない。
 あるのは役割の違いだけ」
と書いたことがありました。

それは間違っていませんが、リーダーはメンバーより、より高い目線であることが
必要です。

リーダーを経験しなければ見れない景色というのがそこには存在します。

一人でも多くの人達がリーダーを経験し、その素晴らしい景色を望む人達には見てもらいたい。

そんな思いで今回は「リーダーに必要なものは?」ということを書いてみました。

ちょっと一息

2011年10月17日 19時17分07秒 | お仕事
今日は定時で上がらせてもらい、お家でゆっくりしています。

このプロジェクト最後の大改修。

テスト項目数はこれまでやってきた中で、ダントツ一位。

そのためのテスターを3名入れているほどですからね。

先週ようやく単体テストが完了しました。

テスト項目数は何千に上りました。

後輩にテスト仕様書を作ってもらい、3名にテストを実施してもらう。
私は進捗管理、ソース改修等、その他諸々、といった体制でやっています。

数千のテスト項目を全て消化するのは本当に厳しいと思っていたんですよ。

それでも、期日通りに完了!!!

みんなの頑張りには頭が下がります。

この改修はこれまでの中で一番難しいと言えます。

この改修をやる時、いろいろな理由があり、私は正直乗り気ではなかったのですよ。

でも、今はやって本当によかったなぁとしみじみと思っています。

システムがより強固になる改修であるというのはもちろんですが、私自身のJava力が
飛躍的にアップしたのを感じます。

この改修は、なんか本当にJavaチックな改修だったというか、うまく言えないのですが、
よりJavaのことを深く知れたものとなりました。

先週単体テストが終わった時、またまたですが少し「寂しい」と思いました。

結合テスト、総合テストになると作業場所が変わるので、プログラムは私の手元を
離れていきます。

その別作業場所では、後輩やお客さんの社員がテストを担当します。

単体テストのドタバタ感。それもこのプロジェクトではこれが最後か…と思うと、
ちょっと感慨深くなってしまいました。

明日からはいつもの作業場所に私は残り、いろいろな残作業をやっていくことに
なります。

クライアントのリーダーが先月プロジェクトを離れることになった時、
私のお客さんのリーダーに電話があったそうです。

いろいろなチームが集まってできている今のシステム。

我々が担当している個所が最も品質がよかったと最後に誉めていただいたと
お客さんは喜んでいました。

とにもかくにも、ラストスパート!!!

最後まで気を抜くことなく、品質を高め、成功へと導いていきたいと思います。

プロジェクトの終わり、そして次へ…

2011年10月15日 13時40分53秒 | お仕事
来月11月末の本番環境モジュール入れ替えを持って、プロジェクトが終了します。

昨年9月にスタートしたこのプロジェクト。

1年2ヶ月という期間を経てついに終わりをむかえます。

全力で取り組んだこの1年間、本当に貴重な経験をさせてもらいました。

会社を辞めるかどうか迷っている中での東京行き。

2ヶ月してからすぐにリーダーを任せていただき、多くの優秀なメンバーに支えられて
何度も山を乗り越えてきました。

乗り越える度に私だけでなく、みんな成長し、結束力を深めていきました。

山を越えている途中はとてもしんどく、やめたい…、なんて思うこともざらにありました。

でも一度も諦めず、コツコツと品質を高め、「やまない雨はない」と自分に言い聞かせ
なんとか切り抜けてきました。

改修案件はあったのですが、クライアントのいろいろな事情で、改修は見送りに。
見送りになった改修はまた時期がくれば再開する可能性がありますが、とりあえず
我々のチーム持っている残課題は来月末を持って、全てクローズします。

そして、来月末にプロジェクトが終わることが決定しました。

昨日お客さんA課長の口からそのことを聞いた時、私が感じた気持ちは

「寂しい」

というものでした。

念願のJava開発から離れるから、という思いもあります。

でも何より、これまで築いてきた人間関係のよい現場から一旦離れてしまうことが
何よりも嫌だったというか、惜しいというか…。

別のお客さんの元、次のプロジェクトに移れば、また一から人間関係をスタートさせ、
また一から信頼を得るということをやっていかねばなりません。

この仕事をやっている以上、それは避けては通れない道です。

でも今のお客さんのことは大好きだし、うぬぼれるわけではありませんが、
お客さんも私のことを非常に信頼してくれているのは常に感じるし、よく耳にしていることです。

それから離れる日が近いのか…、そう考えると、何とも言えない焦燥感になります。

プロジェクトが終わると聞いて数時間後、A課長から内線があり、ふくたまくんに
話があるとミーティングをよくやっているスペースに呼ばれました。

『実は来月中旬から別の案件がスタートする。
 来年2月までの3ヶ月ちょっとという短い期間になるが、君にその案件を担当してほしい。』

と話がありました。

その後、A課長はうちの会社のB所長にそのことを正式に申し入れ、私は今やっているのとは
全く別の案件を来年2月まで手掛けることがかなり濃厚になってきました。

B所長から電話で『A課長はなんとしてでもふくたま君を手放したくないと言っていた』と
連絡がありました。

言語はJavaではなく、私がほとんど経験したことがない言語。

以前からその言語の経験がないことはA課長には話をしていました。
そういうことで、私の他にもう一名その言語に精通した人がほしいともB所長には
要請があったようです。
その一名を私が管理して、プロジェクトを進めていく。

Javaも実務未経験でしたが、すぐに慣れ、今ではフレームワーク部分の拡張もできるように
なった私の柔軟性、慣れの早さを期待してくれているとも感じます。

今のプロジェクトが終わりなれば、後輩や、他のチームメイトは一旦プロジェクトを離れ、
今の現場には私一人残ることになります。

いろいろな協力会社が集まりスタートしたこのプロジェクト、一時は30名にまで規模が
膨らみました。

そのほとんどがJava経験者でした。

結局最後に残ったのはJava未経験者の私。

この結果は自分としては、必死でみんなに追いつこうと、日々実務を通し努力してきた
証なんだと思うようにしています。


今は来年2月までその新しい案件をしっかりとやり抜き、成功させる、
そして、3月、4月以降はまた大人数で開発ができるよう、土壌を作っていこうと決意を
固めたところです。

三連休

2011年10月08日 09時18分45秒 | お仕事
今日から三連休。

しかし…、オール出勤。

今開発している案件は本当に難しい…。

今までやってきた開発の中で、間違いなく一番難しいです。
これを成功されるためには、自分の限界を超え続ける必要があります。

後輩は明日、あさっての二日出勤してもらうつもりでした。

ところが、全く別の開発ですが大阪で火がついてしまい、後輩はその火消し要員として
今日は始発で大阪に向かっています。

おそらく徹夜して、こっちに戻ってくるのは明日の朝…。

文句一つ言わずけなげに仕事をし続ける後輩はすごいと思います。

今ではチームに欠かせない存在となりました。

明日は朝、帰ってきたら、とりあえず寝てもらって、夕方ぐらいに出社してもらおうと
思っています。
「そのまま会社に行きますよ!」と言ってくれるのは非常に嬉しかったのですが、
やはり寝ずに仕事をするのは身体に大きな負担がかかってしまいます。

彼が戻ってきたときに、彼の負担が少しでも減るよう、今日は仕事をしたいと思います。
今頃大阪に着いたころだろうな~。

今はみんなでカバーしあって進んでいきます。

応援歌

2011年10月02日 12時17分15秒 | 遊び
祝ホークス優勝♪ということで、もう一つ野球のことを書きたいと思います。

プロ野球には選手や球団の応援歌があります。

一つ一つがよく作られており、ふくたまにはお気に入りの曲がいくつもあります。

ちょっとそれを紹介したいと思います。

【1.福岡ソフトバンクホークス チャンス時の応援歌】
 もともと藤本博選手の応援歌だったみたいで、今では得点圏にランナーがいった時に
 すかさず大合唱するお祭りムード満載の応援歌です。
 
 リズムは単調なんですが、本当に盛り上がるんですよ。
 これが流れてくると、おお!チャンスだ!!と気分が盛り上がってきます。

 あるサイトで日ハムファンの方が、「実はこれ大好き」って書き込んであったのを
 見て、とても嬉しくなったのを覚えています。

【2.いざゆけ若鷹軍団(ホークス球団応援歌)】
 ホークスファンと言えばやっぱりこの曲。

 ダイエーホークスからソフトバンクホークスにチーム名が変わっても、引き継がれて
 いくなど、ファンと球団の愛着を感じますね。

 僕はダイエーホークス版の方が好きです。特にイントロ部分が美しいんですよね~。

 だから、本当はソフトバンクホークスになった時点で、別の曲を球団応援歌にして
 ダイエーホークス版で凍結してほしかったという思いがあります。

【3.カブレラの応援歌(西武時代)】
 2003年あたりはよく西武ドームに足を運びました。

 その時に西武ファンで埋まるライトスタンドから鳴り響いてたのがカブレラの応援歌です。

 なんというか、エキゾチックというか、他の応援歌にはない雰囲気があるのです。
 それがカブレラの豪快なスイングと混じり合って、対戦相手の応援歌ながら
 いつも流れてくるとワクワクして聴いていました。

 最近知ったのですが、今は西武の外国人選手の応援歌として定着しているようですね。
 やっぱり、いい曲だってみんな思ってたんでしょうね。

【4.ファイターズ讃歌(日本ハムファイターズ球団応援歌)】
 2003年は東京ドームにホークス対日ハム戦もよく観に行きました。

 この曲は7回裏のファイターズラッキーセブンの時に流れます。

 なんというか、すごく曲調が軽快で、歌詞が本当に爽やかなんですよ。

 「進め~、ファイターズ、勝利の男~♪」
 のサビでオローラビジョンにファイターズの選手達が次々に映し出されるんですが
 それが大好きでしたね~。

【5.リトルネプチューン(オリックスブルーウェーブ球団応援歌)】
 曲としての完成度の高さは、数ある応援歌の中でもナンバー1だと思っています。

 これを聞くとイチローがオリックスにいた頃を思い出します。

 ボーカルの方が超うまいんですよ。

【6.ホークス柴原洋の応援歌】
 ふくたまはホークスの選手の中で柴原選手が一番好きです。

 基本的には逆方向に打つバッティングですが、打球がひっぱったときと同じくらい
 勢いがあるんですよ。
 センターに抜けるヒットなんて、芸術品とまで思いましたもん。

 あまりにも柴原選手のファンすぎて、福岡ダイエーホークス時代に
 『背番号31 SHIBAHARA』と刺繍してもらい、ユニホームを買いました。

 柴原選手を好きになった理由の一つが、この応援歌なんです。

 とても勢いがよい曲調は、柴原選手にぴったりと合っています。

 ここ数年一軍での活躍はないんですが、もう一度復活してくれることを心から願って
 います。

【7.白いボールのファンタジー(パリーグ連盟歌)】
 「青空に輝くスタジアム~♪」と軽快な出だしから始まります。

 ふくたまは大学時代福岡ドームでバイトしていました。

 試合が18時から開始される場合は、だいたい17時10分ぐらいにこの曲が球場に
 流れます。

 これを聴きたくて、試合開始前17時にバイトに入ることが多かったです。

と、まだまだ好きな曲があるんですが、特に好きなのはこの7曲です。

今日までは優勝の余韻に浸るぞ~♪

祝ホークス優勝

2011年10月02日 11時13分54秒 | 遊び
昨日、ホークスが西武に勝ち、自力優勝を決めました

画像はさっき買ってきたニッカンスポーツ新聞の表、裏一面です。
関東圏で表、裏一面使ってホークスのことを載せてくれるなんて、なんていい新聞だ~

2位日ハムと10ゲーム以上の差、何の問題もなく減り続けるマジック。

正直、そんな状態だったので、優勝して当然か…、なんて感じでここ最近試合は
あまり気にはしていなかったんですよ。

マジック1でむかえた、昨日の西武ドームでの対西武戦。

やっぱり優勝決定試合はめちゃめちゃ気になる!

横浜から西武ドームはちょっと遠いけど、観に行けなくもない。
でも、優勝決まらない可能性だってあるしな~

いろいろ迷ったんですが、自宅でインターネットライブ中継で観戦することにしました

観ていて始めは冷静だったんですが、福田選手がタイムリーで均衡を破ったとき
パソコンの前で手をたたいて大喜びしてしまいました

そしてすぐに右中間の一番深いところをやぶる明石選手のタイムリースリーベース
あれは前進守備しているデメリットなんですよね~
ホークスとしてはしてやったりって感じで、気分がよかったです。

ふと思い浮かんだのは

「あ~~~、やっぱ西武ドーム行っとけばよかった~~」
(勝ちそうになった瞬間そう思うなんて、なんて現金なやつ 笑)

3対0のリードでむかえた9回の裏。

「ピッチャー 馬原」

大歓声が響き渡ります。

ベンチが映し出されると、内川選手が泣いていました

横浜時代からいろいろあり、意を決してのホークス移籍

彼の思いは10分の1も分からないかもしれませんが、これまで
5月時点で最下位、スタンドファンからの心無いヤジ、シーズン最後は個人成績だけ、

優勝したい…

思わずもらい泣きしてしまいました。


最後は福田選手の超ファインプレーでゲームセット。

秋山監督、孫オーナーの胴上げ。

続いては選手会長の川崎選手、チームキャプテンの小久保選手。
そして最後は内川選手の胴上げ

チームメイトが一番内川選手あっての優勝だということを知っていたんだと思います。

きっとチームメイトみんなが
「次はウッチーだ!」って言い合って実現したんだろうな~。

移籍一年目の選手を胴上げするって、なかなかないと思うんですよ。

やっぱりホークスはいいチームなんだな~って思いました。

チームに貢献した人物を分け隔てなく評価する

私は福岡出身から福岡ソフトバンクホークスのファンなのではなく、
福岡ソフトバンクホークスが魅力的なチームだからファンなのです。

福岡出身ではなかったとしても、きっとホークスのファンになっていただろうなぁ~
って思うことがよくあります

なにはともあれ、ホークス選手のみなさん、感動をありがとうございました