映画感想(ネタバレもあったり)

映画コラム/映画イラスト

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』ラストネタバレあり 映画版のラストは「ぬるい」のか 

2020-11-03 | ネタバレあり








映画版は「ぬるい」か

何代にもわたって続いてきた女性差別を淡々と箇条書きしていく文体が、怖い。。
物語性(虚構性)を排して「こんなの作り話だ!」と突っ込まれる隙を与えない作り。
事例一つ一つに注釈をつけて本のラストで「全部事実です」とハンコを押す。
このスマートさ、クールさ、ソリッドさ。
そしてやっぱラストの衝撃ですよね。。。

お前、今までの話聞いてた???って言いたくなるくらい、、全部ひっくり返すセリフ。。
目の前真っ暗になりますね、あのセリフは。

***

なので、
この小説に胸撃たれた人は、確かにこの映画は「ぬるい」と感じても仕方ないと思いました。
違和感を感じたり、怒りが湧いてくる人もいるんだろうなと思います。

映画はまず映像が綺麗だし、この夫婦が超絶美形だし、物語性も高かったですからね。
(それでも普通の映画よりはかな〜り淡々としてましたけどね)



映画での改変


小説では「ママ虫」と陰口を言ってたのがおそらく男だったのに対して
映画版ではその中に女性がいたことで「男 VS 女」の構造が揺らいだ、的なことも言われておりますが
「ママ」や「専業主婦」を揶揄する声は女性からも発せられていると言う事実はありますから
ここに女性が加わるのは事実により近い改変ですので、正しいと思いますし、
小説が「男 VS 女」の構造を描いていたと〝仮定〟すると
映画版でその単純な対立構造を崩した描写をしていると言えるわけで、より良い改変だったと思います。




ラストの希望

一番の問題は、やっぱラストですよね。。
小説では「今まで読んで来たのは何だったの???」っていう絶望のラストだったのが、
映画版では希望の光を見せたラストになっていました。

これはやはり大きな改変ですので賛否両論必至でしょう。
制作側はそれもわかっていて、希望の光を見せたんだと思います。

しかも、そんなに明るい光でもないでしょ。。
普通のことでしょ、あれ。
あんなことが「希望の光」としてラストで描かれるってことは、
それまで118分かけて描いてきたことがいかに地獄だったのかが際立つと思います。

***

原作小説は
韓国で特大ヒットを飛ばし、社会現象を起こした、と。
その波は世界にも波及している、と。
小説はきっとこれからも売れ続け、世界にインパクトを与え続ける。
だったらもう同じことやんなくて良いのでは。
これを原作にして映画を作るなら、一歩先を示すものにしたいと思ったんじゃないでしょうか。
「こんなに地獄なんです。真っ暗闇なんです。」という衝撃のラストだった小説、
のその先、
「こっちへ進みましょうよ。まずこれくらいできません?」と指し示すようなラスト
にしたかったんだと思いますよ。
変化を促すようなラスト。
明るい方へ変化しましょうよ、と。
5年、10年後に若い人がこの映画を観て
「このラストが希望のラストだったんだって!この時代地獄じゃね?」って思ってくれる状況になってなきゃ困るわけだから。


原作小説と映画版のラストネタバレは一番下の方に。





以下は原作読む前の感想

女性差別の釣瓶打ち!
日常生活を普通に送ってるだけでこれだけ出てくる。。物凄いのさ。
画面で行われていることは『第三夫人と髪飾り』と同じ。
ただ
『第三夫人と髪飾り』は1800年代のベトナムの話だったので
「現代でも変わらないのではないでしょうか?」という脳内変換が必要だったんですが。

この映画は、思いっきり現代劇。
生活水準も低くもなくそんなに高くもなくって感じ。
ほとんどの人が自分と合致してしまう。
まさに「今」の差別問題としてゴンゴンガンガン羅列していく。
****

これが韓国映画のすごいとこですよね。
『 パラサイト 半地下の家族』でもそうだったけど、
現代社会の問題提起を
「昔話」として描いて「今でも通じるのでは?」と投げかけたりするのでもなく、
怪奇映画として描いて「現実社会でも起きていることでは?」と投げかけるのでもなく、
現代劇としてストレート描いておきながらも、
絵的な美しさや迫力は十分あって、
登場人物のキャラクターも面白く描ける。
****

主演のチョン・ユミが超絶美人でしかも旦那がコンユ、それでもこれだけ追い詰められている、というのが表現できている点で、
美男美女であることの意味もわかる。
「幸せなはず」という圧力が思いっきりかけられてる分、もしかしたら不自由かもしれない。

****

チョン・ユミさんは超絶美しいし可愛いんですけどちょっと顔に個性がない(失礼…)。。
それも今回の映画ではぴったり。
基本的に松本若菜に見えるし、
たまに松岡茉優にも見えるし、
蓮佛美沙子にも見えるし、
麻生久美子に見えたりもする。
しかも彼女はたまに体を乗っ取られて、他の女性の言葉を代弁する役でもある。
巫女的な存在であり、今で言うとリツイッターのようなことをやってる。
彼女の独自の存在感てのがない。

空虚さを抱えていながらも感情を押し殺した演技が素晴らしかった。

***
この人物は「女性」という大きなカテゴリーに苦しめられている。
キム・ジヨンだから苦しいのではなく、「女性」だから苦しい。
個人である前に「女性」ってことで道が絶たれる。
ラストで希望を掴むまでそれは続く。

ラストに希望があることで、それまでの苦しみが際立つと思うので、希望のあるラストはいいと思いますけどね。
***
あと、
原作小説よりも男性が優しく描かれているそうですね。

旦那の好人物ぶりはちょっとSF(空想科学小説)レベルでしたけど、
他の男たちは十分クソでしたが。。
クソっていうかアホ?
見えない力によってアホにされてるって感じでしたよ、男たち。
これよりもひどいの?小説での描写は。。
で、
旦那がこれだけ好人物であっても苦しみは軽減されない、ってことの方が地獄じゃない?
だから映画の方が地獄なのではないかと思ってしまう(原作まだ読んでない状態なので)。
***

レディースデイってこともあって客席はほとんど女性。

姑とか差別意識バリバリのスポンサーとかがあまりにも言動がひどいので
僕はちょっと笑っちゃたりしたんですが、
全然笑いが起きない。。
たぶん笑えないんでしょうね。。。
現実と重なり過ぎて笑う余裕もきっとなかったんでしょう。。

***

なんか、
結婚がゴールっていう考え方も弱まってきてはいるけど
まだ結婚したら「おめでとう〜!」「幸せ〜!」ってこの世の終わりみたいにお祝いしてますよね。。
代わりにこの映画を一族郎党で鑑賞したらええねん。








原作小説と映画版のラストネタバレ



映画版では、
夫が育児休暇を取ったっぽくてジヨンさんは再就職したっぽい感じで終わります。
原作小説では、
ずっとジヨンさんの歴史と症状を聞いてきた精神科医(男)が、部下の優秀な女性スタッフが出産を理由に退職することになったので、「いくら良い人でも、育児の問題を抱えた女性スタッフは色々と難しい。後任には未婚の人を探さなくては…」という独り言で終了。



最新の画像もっと見る