10月19日 岡山県高梁市にある。 別名・高梁城
備中松山城は秋庭重信が延応2年(1240)に築いたのが最初とされる。城のある臥久山は中国山地と瀬戸内とを結ぶ交通の要衝を見下ろす位置にあり、毛利家などの城塞として機能していた。天守は江戸時代から現存する12城の一つで、天守の中では最小ではあるが日本一高い所に建っている。平成9年、本丸・南御門・平櫓・土塀など再建された。
臥久山8合目のふいご峠駐車場まで車で行くことが出来る。そこから歩いて20分ぐらいで中太鼓の丸跡に到着。
山城の周辺は高さ10m以上の巨大な岸壁がそびえて、”難攻不落の名城”の石垣群
三の平櫓東土塀(重要文化財)
天守(右)と再建された五の平櫓(中央)、六の平櫓(左)
天守(重要文化財)
天守の内部
天守からの眺め
二重櫓(重要文化財)