深堀大三郎の生涯マナビスト

自然や街を歩いて観察するのが大好き、歩いて歩いて楽しみたい。
また、お城の石垣を眺めると力が湧いてくる。

「最後まで・・・」

2008-11-20 06:04:01 | Weblog
昨日、ボランティア活動の話し合いがあった。
委員の数も増えて、いろいろな話もたくさん出るようになった。
皆、アイデアが豊富だ。
一年前参加したときと雲泥の差があるように思う。
いよいよ面白くなるであろう。
ところがちょっと気になることがあった。
話が最後まで行かないままで、次の話題が飛び出したりしていたことである。
何らかのけじめをつけないと、良いアイデアも消えてしまう。
継続して検討するもよし。結論を出すもよし、だが・・・。
まあ、お堅いことは言わない事にしよう。
多分

「みな、頑張っているかなあ~」

2008-11-19 06:51:35 | Weblog
最近の世の中、本当に厳しくなってきた。
独立開業したのが平成3年。
もうバブル崩壊も誰の目にも分るようにはっきりしていた。
それから、皆苦労して生きてきた。
一時良くなるかなあと思っていたらまた厳しい波がやってきたようだ。
波は繰り返すというが、ちょっとはやすぎるような気もする。
どうしても思い出すのが、共に苦労してきたセールスの友だ。
「どうしているのかなあ?」
街を徘徊しながら想う今日この頃である。


「ムリすることはありません」

2008-11-18 05:55:52 | Weblog
この一年間は、殆んどボランティア活動で終わりそうである。
何とか両立させたいと努力してきたが、思うように行かなかった。
話も無いことはなかったが、ライバルなのでその話には乗らなかった。
事情を知らずに持ってきた話だったので、ご丁重に断った。
そんなこんな、いろいろあったが、我がままを通そうと思えば当然だ。
この程度のレベルの話は、かわいいものだ。
世の中には、もっとレベルの高い?話が多すぎる。
それが、悪事にまで発展している。
「渇しても盗泉の水は飲まず」と孔子の故事がある。
ちょっと大げさな話になったが、ムリせずゆっくり歩きたい。
多分かな?

「自らの力で切り開いてみたい」

2008-11-17 06:35:11 | Weblog
最近、以前のように物事がスムーズに運ばないようになった。
それで、時にはいらいらすることもある。
年齢的にも仕方がない面はあるが、そればかりではないような気がする。
心の持ち方が、変になっているのかも知れない。
まもなく、誕生日が来る。75歳となる。
誰かが、「後期高齢者」でなく「好機高齢者」と言っていたが、良いことばと思う。
何とかこの好機を、自らの手で生かしてみたい。
鬱積したムードを切り開き、再起してみたい。
ちょっと

「楽しきかな・・・」

2008-11-16 07:02:56 | Weblog
昨日の午後、グループで話をさせてもらった。
今年一年で体験した「蚤の市」を通して、大げさだが「経営実学」とでも言うかを・・・。
遠くは、京都、兵庫のかたも見えていた。
皆さん喜んでくれてた様子で、ほっとした。
モノづくりの人が多かったようである。
これまで30数年経験してきたセールスと違った体験をもとに、「戸板一枚」の商いの原点、そしてそこに存在する「ハレ」。「経験価値」。
そして、「経験経済」の話をひらたくしてみた。
まだまだ、骨子に工夫が必要と思うが、一応まとめることが出来た。
何ごとも、楽しくやることだ。

「荒天こそ、好機」

2008-11-15 05:02:57 | Weblog
最近、どこかの知事さんの発言が問題になっていた。
「どこどこに大地震が来たらチャンスだ」と言ったようなこと。
確か、「荒天こそ、好機なり」と毛利元就の言葉の趣旨で言ったかも知れない。
しかし、立場や場所など、また、名指しされたところなどから考えると些か不適切だったように思う。
私も、仕事柄常に使うし、考えもその通りだと思っている。
「逆境こそチャンス」「不況こそチャンス」などなど。
しかし、負の言葉は、他人に向けて使うより自分に向けて言うほうが良いように思う。「逆境にある自分・・・」「不況で困っている自分・・・」と言ったように。
今日、講演する。注意!注意!
多分

「明日に向かう」

2008-11-14 05:35:47 | Weblog
「人間は未来を見ることは出来ないが、過去は見ることは出来る」と本で読んだ。
ずっと以前に「60年後のビジョン」策定のほんの一部に関して予測値の算出に関ったことがある。
12通り位の予測式でタイガー計算機を回したが、60年にもなっていないのにその部門はなくなってしまった。
この労力と時間は、コンピュータ時代には考えられないことだった。
過去の時系列データから、予測したわけである。
「結局、未来予測と言うものは出来ないものと考えるべきだろう」とも言う。
確かにそうであろうと思う。
だが、それが正しいか正しくないかは別として、一定の条件や範囲に関して考えると、その時点では役に立ってたように思う。
そういう意味では、未来を見るということは錯覚かも分らないが、「明日を見つめて」進みたい。
多分



「熱心にやると面白くなる」

2008-11-13 07:35:17 | Weblog
渡部昇一の本の中に、カール・ヒルティの「幸福論」の一節が紹介されていた。
「仕事をする技術」についてである。
自分が何気なくやってきたことと似ているので、面白いと思った。
仕事をするとき、遊びを一つ入れて仕事をするということである。
その遊びでも、仕事と結び付けられるようなものであると、なお楽しみが生まれる。
逆もまたそうである。
遊びに行っても、ちょっと仕事に結びつけることが出来るようなものを一つ入れるのである。
「仕事なのか、遊びなのか、はっきりしない」と言うお叱りを受けそうだが、苦痛を伴うことでも、本当の面白さが生まれる。

「常に、自分を鼓舞しなけりゃ・・・」

2008-11-12 06:23:46 | Weblog
物事が巧く行かないことがあると、どうしても気が滅入ってしまう。
それが二三続くと、なおさらである。
そのような時は、また何かが追い討ちをかけてくる。
そのように、思いたくもなる。
そして、ついつい「卑屈」感に陥る。
「卑屈は悪徳」だと認識していても・・・
決して自分はそうはならないぞと自信はあるのだが、いかんせん、人間である。
そこで、毎日の呪文「出来るできる・・・」を数倍以上となえることになる。
何をかくそう、これが自分の現実である。
しかし、言葉には力がある。
ただ、自己暗示しているだけではないかとお笑いめさるな。
今朝はまた、その数倍を唱えることとする。


「所属団体などなど」

2008-11-11 05:42:30 | Weblog
これまで多くの団体に所属してきた。
仕事の関係で仕方が無かった。
しかし、数年で随分と整理してきた。
これも環境変化で仕方が無かった。
まだまだ、すっきりしなければならないところもあるかもしれない。
自分の身の丈、行動半径に合わせて考えなければならないと思っている。
ところが、ムダのように見えても役立っているところもある。
よくよく考えて、整理しなければならない。
たとえ、「雑魚の魚(とと)まじり」と言われようとも・・・
多分