バスケ青春の詩

平成25年12月22日をもって33年9か月ほど勤務した仕事を定年退職をしました。これを機会にまた想いを綴ります。

まっとうな道...2014

2014-01-18 07:01:52 | やっぱりミニバス!
平成26年 1月18日 土曜日

 
「まっとうな道...2014」


子供を授かり、親になろうとするときに思うことは、とにかく五体満足で生れてきて欲しいという、切なる思いでしょう。

そして生まれて来てくれた我が子とともに、親になっていく、

我が子に人として生きていく“術”や“道”を躾ながら、

親自身も、そのような“道”を心に染み込ませていく。

『あいさつをする。
うそをついてはならない。
自分がされて嫌なことを、人にしてはならない。』

そしてそれに背くことをしたならば、徹底して叱る。

それをした理由という“訳”があるかもしれない。

「だって...、でも....、だけど...、」

しかし、それは言い訳にしか過ぎない。


例えば、学校に遅刻すれば、先生は叱る...、

遅刻した生徒にしてみればまっとうな理由があるかもしれない。

生徒が先生に言うべき言葉は、まず「すいませんでした。」の一言だろう。

いかなる理由であれ、遅刻したことの謝罪の言葉が先だと思う。

そしてその訳を話す、「だって...、でも....、だけど...」ではない、言い訳ではない事実を話すこと。


私は我が子に親として叱ってきた…我が子の腕を取り、引きずりながら、泣きわめくのもかまわず玄関の外に放り出したこともある。

胸ぐらをつかんで、蹴り飛ばしたこともある。

他人様の子供にそんなことをするわけがない…我が子だから、教え育てる責任は親にある。

何故そこまでするのか?

それが、私という親だから…


一方では、誉めるときは一緒になって喜んで、全身で笑い合った。


そんな我が子に、親はいつしか期待していく。

我が子の才能が人より優れ、花開いていくのを見るにつれ、期待していく。

子供にとって、親の期待に応えていることは最初は嬉しいと思うのだろう。

しかし、やがて子供は、その期待が重くなっていくこともある。

そして潰れていくことがある。


我が子は、いつか自分の夢を持ち始める。

親にしてみたら、荒唐無稽な夢物語にしか思えないものかもしれない。


しかし、やがて子供は、その夢に向かいながら挫折を繰り返し、生きていこうとする。

親は、その才能を活かして欲しいと願いながら...我が子の生きざまを見守るしかない。

そして、「生きていてさえくれればいい」と思っていて...親はその過ちに気付く。

夢を見つけようとして、もがいている我が子に気付かなかった悔みは消えない。

だから、親としてそんな過ちを繰り返したくはない。


だから、「生きてくれさえいればいい」...だけではなく、「まっとうな道を生きて欲しい」と願う。

母親は、我が子はいつまでも自分の分身だから、我が子が安心して暮らして欲しいと切に願います。

父親は、我が子の安寧を願いつつ、しっかりと自立して欲しいと願います。

ただ母親であれ、父親であれ我が子の幸せを自分の命にかえても願うのです。

そんな気持ちに溢れている“今”なのです。