アンザン大学
授与式はルク副学長の挨拶から始まる。インフルエンザの影響で学内を消毒している最中に訪問したので、猛烈な噴霧器のエンジン音と消毒液の臭いの中で式が進行する。アンザン大学での奨学金授与は今回4回目、授与するのは農学部の学生20名である。
私たちは交互に奨学生(男性16名、女性4名)に奨学金を授与する。そして、返礼としてアンザン大学の標章の入ったピンバッジを奨学生たちから胸に付けてもらう。
←アンザン大学の奨学生と授与者たち
奨学金の授与が終わったあと、奨学生を代表して、ゴク・ユンさんがお礼の挨拶を述べる。
←奨学生代表ゴク・ユンさん
彼女の話は長く複雑で、日本語に訳すと時間が相当かかりそうなので、ルク副学長が手短にと促した。そのために中間をとばして挨拶は終わった。
そのあと、彼女を代表に選んだ教官の1人から、
「彼女から、父親が勤め先をリストラされ、それによって生じた家庭の窮状を綴った手紙を受け取り、その内容に感動したので、奨学生代表に選んだ。そして、手紙の内容を挨拶の中で話すよう彼女に勧めた」との説明があった。
「今回は残念ながら、時間が押しているので手紙の全容を紹介できないが、後日、日本語に翻訳し、何らかの方法で皆さんに知らせる」ことで一同、納得。
最後に、アンザン大学からお礼として、アンザン大学の標章入りの盾と花束がFUJI教育基金に贈呈される。
←副学長から盾と花束が授与される
夕食はロンスエンのレストランで、ネップ・モイで乾杯しながら、奨学生たちと楽しく交流。奨学生たちは私たち高齢者に対して非常に礼儀正しく振る舞い、日本の若者に彼らの爪の垢を煎じて飲ませたいとの思いを強くいだいた。
会も終わりに近づき、一同のアルコール度も上がった頃、奨学生の1人が地元の民謡を歌ってくれた。その返礼に私たちは“北国の春”を歌おうと、立ち上がったのは良いが、それぞれが歌詞をうろ覚えで、断水後に蛇口をひねったような歌となる。
すると、奨学生のみんなが立ち上がり、一斉に威勢よく歌い出す。歌詞の詳細は不明だが、どうやらホーチミンを賛美する歌らしい。まるで母校の応援歌を歌う団員のような彼らの歌声に、ただ脱帽!
私たちが訪れた時、ロンスエンに長期滞在する日本人は2人だけとのことだが、どのような伝をたどってか、その2人とも今宵の交流パーティに出席された。1人はJICA(青年海外協力隊)から妊婦の栄養指導のために派遣された遠藤さん、もう1人はコシヒカリの栽培を指導されている江森さんである。江森さんはベトナムから日本に帰化された方なので、ロンスエンに長期滞在する元々の日本人は遠藤さん1人であるらしい。彼女はベトナムに滞在してまだ3ヶ月なのにベトナム語で奨学生たちと楽しく会話している。 (岩田・記)
授与式はルク副学長の挨拶から始まる。インフルエンザの影響で学内を消毒している最中に訪問したので、猛烈な噴霧器のエンジン音と消毒液の臭いの中で式が進行する。アンザン大学での奨学金授与は今回4回目、授与するのは農学部の学生20名である。
私たちは交互に奨学生(男性16名、女性4名)に奨学金を授与する。そして、返礼としてアンザン大学の標章の入ったピンバッジを奨学生たちから胸に付けてもらう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/98/be79739a6274cfc170925abe1a7714f8.jpg)
奨学金の授与が終わったあと、奨学生を代表して、ゴク・ユンさんがお礼の挨拶を述べる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/c0/dd7d58286977949e3f15f69c788f11ff.jpg)
彼女の話は長く複雑で、日本語に訳すと時間が相当かかりそうなので、ルク副学長が手短にと促した。そのために中間をとばして挨拶は終わった。
そのあと、彼女を代表に選んだ教官の1人から、
「彼女から、父親が勤め先をリストラされ、それによって生じた家庭の窮状を綴った手紙を受け取り、その内容に感動したので、奨学生代表に選んだ。そして、手紙の内容を挨拶の中で話すよう彼女に勧めた」との説明があった。
「今回は残念ながら、時間が押しているので手紙の全容を紹介できないが、後日、日本語に翻訳し、何らかの方法で皆さんに知らせる」ことで一同、納得。
最後に、アンザン大学からお礼として、アンザン大学の標章入りの盾と花束がFUJI教育基金に贈呈される。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/47/b8e990698c3687dd413277fc56cf72cb.jpg)
夕食はロンスエンのレストランで、ネップ・モイで乾杯しながら、奨学生たちと楽しく交流。奨学生たちは私たち高齢者に対して非常に礼儀正しく振る舞い、日本の若者に彼らの爪の垢を煎じて飲ませたいとの思いを強くいだいた。
会も終わりに近づき、一同のアルコール度も上がった頃、奨学生の1人が地元の民謡を歌ってくれた。その返礼に私たちは“北国の春”を歌おうと、立ち上がったのは良いが、それぞれが歌詞をうろ覚えで、断水後に蛇口をひねったような歌となる。
すると、奨学生のみんなが立ち上がり、一斉に威勢よく歌い出す。歌詞の詳細は不明だが、どうやらホーチミンを賛美する歌らしい。まるで母校の応援歌を歌う団員のような彼らの歌声に、ただ脱帽!
私たちが訪れた時、ロンスエンに長期滞在する日本人は2人だけとのことだが、どのような伝をたどってか、その2人とも今宵の交流パーティに出席された。1人はJICA(青年海外協力隊)から妊婦の栄養指導のために派遣された遠藤さん、もう1人はコシヒカリの栽培を指導されている江森さんである。江森さんはベトナムから日本に帰化された方なので、ロンスエンに長期滞在する元々の日本人は遠藤さん1人であるらしい。彼女はベトナムに滞在してまだ3ヶ月なのにベトナム語で奨学生たちと楽しく会話している。 (岩田・記)