GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

今さら パート2

2018-02-12 23:39:27 | 野球

青木(米)が、ヤクルトに復帰しましたな(笑)メジャーでは、頭部死球を受けてから"トラウマと脳震盪の影響でトータルで活躍したか"といえば疑問符が付きますが、かつての日本球界の救世主としてもう一花咲かせて欲しいですね!背番号は、入団当時の23。恐らくセンターかライト起用でしょう。ココ・グッチ・雄平との競争になりますが、ココと雄平は1年間フルに働ける計算が出来ん選手ですし、ココ以外は全員、左打者ですね(汗)まぁ、ヤクルトは去年打線も低迷したけど、元々打線が売りですから、野手はセの脅威な球団になるかも知れませんな。

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今さら

2018-02-08 21:38:17 | 野球

 書き漏れというか、今年からのプロ野球は、「改悪」が多いからな(怒)今年から国際(世界)に基準を合わせ、"投手の「二段モーション」禁止"を解除しました・・・結局、世界では"そこまで厳しく取り締まってない"という事やったんですな(汗)「この12年間の茶番は何やったんでしょうね」?去年の菊池雄星(西)も、去年までに認めていれば・・・ただ個人的には、"誰にも文句を言わせない最初から「一段」にしとけば文句の無い投球フォームを身に付けて欲しい"し、"今年からも禁止は続行して欲しかった"ですね!なお「アマチュア側」は、"走者がいる時のセットポジションの投球のみ「二段もショーン禁止」"らしいです・・・ここでも足並みが揃わない「野球界」(少怒)!それと来季から「二死後の投手のベンチ前でのキャッチボールも禁止になる」らしいで。→これは、世界に合わせて賛成です。ルールブックにも"禁止"と明記されてて、今まで黙認されてただけの話で禁止なんが、本来のルールなんですから。

 あと今頃書くけど、新コミッショナーは、古い体質っぽい気質の巨人を中心に話を進めて行きそうな人物らしいです。←だって、巨人が見付けて来た人物やもん!斉藤惇 氏というかた。巨人の発言権がかなり弱くなってきてるとはいえ、プロ野球界の"巨人呪縛"は、簡単に解けそうもないですなぁ(号泣)・・・

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ytv漫才新人賞 ラウンド3

2018-02-08 19:13:47 | お笑い考

紅しょうが 52

大自然 56

ヒガシ逢ウサカ 57

ダブルアート 55

◎霜降り明星 58

◎プリマ旦那 61〇

風穴あけるズ 59

蛙亭 53

〇セルライトスパ 60

マルセイユ 56

熱いお茶 57

コウテイ 54

からし蓮根 54

ミキ 56

さや香 55

 審査員は、巨人師匠・兵動・ほんこん・久馬とよしもとばかりでは、代わり映えせん!紅しょうがは、設定もベタやし、笑いに斬新さが、無い(涙)女子らしいネタでその辺は、Aマッソと正反対。熱さがネタに出てる所は、やや加点した。大自然は、個人的には、ツカミがあった方が良い!いくら発想が飛んでても、飛躍しすぎやな・・・ただ白井伸大の"合体想像"のくだりがかなりネタのキーになってて、凄かった!ヒガシ逢ウサカは、相方がキモいネタで悲鳴が上がってたけど、Wボケ・ツッコミのスタイルで素晴らしかったです!ダブルアートは、落ち着いたネタ運びは、さすが!ただ"訴えかけるもの"がない(汗)霜降り明星は、少しずつ意外性はあるけど、このコンビは、内容が薄っぺらい・・・客ウケは、前半が特に良かった。プリマは、うーん、まあさすがの完成度と練習量!ですが、やや意外性に欠ける(汗)唯一の松竹からの参戦の風穴は、まとまりがないのが、良くない・・・しかし、だいぶ上手になって来てるな!ただ「ここから見る地球は、キレイなぁ。」っていうボケに対して安藤のツッコミの"ここどこすぎるねん!"っていうツッコミは、不適切な気がする(困)シンプルに"じゃあ、ここどこやねん!"でええ気が・・・蛙亭は、特徴が無いなぁ。ただネタの運び方は、目新しいかも知れない。セルライトは、シンプルやったけど「良いネタ」やったかな(笑)ただ細かい事を言うと"銀行にお金を預ける事は、「貯金」やなく「預金」"やけどね(汗)マルセイユは、設定(「結婚生活に憧れてるからやってみたい」)が、ベタすぎる・・・客ウケは、良い!熱いお茶は、オネエキャラの人が田淵(インディアンス)に方法が、似てる(汗)ただ"田淵より上手い事言えてる"(グッド)!「言葉遊び漫才」やな。コウテイは、"普通の漫才は出来へん時代"やからなぁ(汗)気持ちは、解る!ちょっと伝わり辛いなぁ・・・計算はしてる感じが、する。ボケの説明をするツッコミは、面白い。からしは、「ホストをやりたい」っていう設定自体が、ベタ・・・"下品なでんじろうか!"のくだり以外、良い所が少なかった(涙)ミキは、完成度の高いネタではない(汗)大した意外性もないけど、ちょっと楽しく感じるのは、2人のキャラかなぁ・・・さや香は、客ウケが、やや弱い・・・ネタの選択が、ややミキと被ってたな(汗)

 プリマ・セルライト・からしが、プロの審査員の合計点が、全くの同点で並ぶ事態に!しかし審査委員長の巨人師匠が、一番高得点を付けたプリマ決勝進出決定が、下されました!まぁ良かったですね、過去2回は、普通に通過してもおかしくない出来でしたから(汗)ただいずれにしても、今年も非よしもとからの通過者は、無し(号泣)・・・

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2月5日という日

2018-02-05 00:12:34 | 野球

・・・・・・・

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何故か気になるOB選手でした!

2018-02-03 23:36:03 | 野球

片平晋作(伸作)氏が、亡くなられましたね(涙)片平氏は、上宮高校時代からワンちゃんの「一本足打法」を模倣するだけでなく、取り入れて自己流に磨き続け東農大を経て1971年オフに南海に入団。2年目の1973年に頭角を現し、シーズン後半には六番・左翼手に抜擢される。翌1974年から登録名を晋作に、背番号も22から25に変えると、王そっくりの一本足打法で一躍有名になる。一本足打法だけでなく、ユニフォームの着こなしまでそっくりそのまま真似していた。"王本人が気温が高くなる時期にアンダーシャツを長袖から半袖に変えると、片平自身も一日の狂い無く半袖に変えていたくらいであった。"というのは、今週の週ベに書いてましたが、全くのウソ!!「一日のズレも無く、なんて事は無いやろ、夏場なら、殆どの選手が普通に半袖にするやろ」と。加えて指に貼る絆創膏の貼る位置が、ワンちゃんと違う指やと「貼る指が、違うぞ」とファンから野次られた事もあったそうです(困)1975年はわずか39試合の出場に終わるも、1976年にはDH、一塁手としてレギュラーに定着。初の2ケタとなる12本塁打を放つ。しかし1977年にバセドウ病を発症、柏原純一にレギュラーを奪われ、出場試合数が44試合と激減し、本塁打0に終わる。1978年はあわや練習生の危機もあったが克服し、柏原の日本ハムへの移籍により一塁手の定位置を小田義人(ヤクルトー日本ハム―南海―近鉄)と争う。1979年にはレギュラーを確保、初めて規定打席に達し、リーグ5位の打率.329を残す。1980年には21本塁打をマークした。低迷する南海の中で、主力打者として活躍していたが、1982年にブレーザー監督との確執と根本陸夫管理部長の強い要望で、キャンプ前に山下律夫(大洋ークラウン・西武ー南海)、山村善則と2対2のトレードで黒田正宏と共に西武に電撃移籍。田淵幸一を指名打者に追いやり、一塁手の定位置を獲得、勝負強い打撃で1982年、1983年の連続日本一に貢献、守備面でも1983年にダイヤモンドグラブ賞を受賞した。1986年に清原和博が入団。同じ一塁手であったため同年はDHに回り、打率.292、17本塁打と好成績を残す。→森監督も起用法に頭を悩ませていたようですが、よくぞパ・リーグにDHがあった・片平氏が清原のファースト起用に納得してくれたと後年述懐してますね。1987年、南海入団当時の守備コーチだった古葉竹識が監督をつとめる大洋に、トレードで永射保と共に移籍した。大洋でも1年目には一塁手の定位置を獲得し、打率.298、13本塁打を記録するが、翌1988年には新入団のジェームズ・パチョレックにポジションを譲る。しかしその後も代打の切り札として活躍し、持ち味の長打を十分発揮した。1989年は打撃コーチ兼任となり、同年を最後に引退。西武時代の1985年から大洋に移籍した1987年にかけて、3年連続開幕戦本塁打もマークしている。

 引退後は西武に戻り、一軍打撃コーチ・二軍打撃コーチ・二軍監督・編成部長を歴任。コーチ時代は鈴木健、二軍監督時代(1期目)には小関竜也を育てた。2期目には二軍の試合の内容と結果、個々の選手の状態などを自分でパソコンに打ち込み、メールで大石友好一軍チーフコーチに送っていた。2010年から解説者を務め、2013年には解説者として活動する傍ら、女子プロ野球のイースト・アストライア初代監督に就任。この年に始まった「ティアラカップ」でチームを優勝に導いた他、チームから多数の表彰選手を輩出しましたが、1年で退任しました。

 う~ん、やはりパ・リーグを代表するような選手やったそうですね!帰ってきた野球狂のネタ~藤井寺球場編~では、パンチ佐藤・ますだおかだが、K―岡田がスタッフから投げられたイニシャルボールに"K"と書いてあり、パンチが「門田さんだったりして」と発言して形態模写をし、岡田氏が「片平さんいう可能性もありますよ」という場面がありましたから、プロフィールをちゃんと知りました!この番組は、パ・リーグの話題や選手名が、よく出ましたからな!他にもこの2001年の前にMBSラジオの太田幸司のスポーツナウの「プロ野球人名辞典」のコーナー内片平氏の存在を初めて知り、"ある程度活躍した選手"と認識しましたね。僕の社会人1年目の2003年は、何故か"こういった2000本安打までは行かないけど、いぶし銀で世間的には知名度が低めな選手をよく調べ、追っ掛けて来た時(今もか?)やった・日テレG+でも1989年のVTRで日テレのアナが、大洋の片平選手が引退を発表致しましたと実況してた映像もよく観てた"んで印象に残ってて、この年はよく友人にも「片平晋作、片平晋作、清原の前の西武のファーストやった!」って言ってましたね!実は、僕は片平氏とニアミスしてたんですよっ!2006年にあじさいスタジアム「サーパス神戸対中日」の試合を観に行った時にバックネット裏近くの通路と球場外の間の扉からサインを貰ってる少年が居たんですが、「西武の片平さんが、この試合を観にこの球場に来てるんですよ」とチラッと見えた・教えてくれたんですよ、僕が「えっ?あの片平晋作が!?南海・西武・大洋の」と思わず言いましたが、そしたらそれを聞いたおっちゃんが「南海の片平や。」と知ってるけど、教えてくれました。ただもう奥に引っ込んでしまったんで、サインを貰うのも間に合わなかったですが(涙)ただ教えてくれなきゃ、多分僕1人では氏の存在の気付かなかったでしょう(謝)それにこの時は、間違えてインク切れのマジックペンを持って来てて、ここで知り合った人に借りてる状況でしたし(爆)ただ不思議な事に"西武の球団関係者やのに、何で関係の無いオリックス対中日の試合を観に来てるんかなあ?と思って、あとでO君に電話でこの事を聞いたら、「お前知らんのか?球団編成の人は、トレード候補とかを探しに、自チームだけでなく色んなチームの試合を観に来るんやで、特に二軍は!」"と教えてくれました(汗)おかげでそういった知識が、また身に付いてる訳ですが。しかし同じ膵臓がんで急逝してるのに、仙ちゃんとの扱いの差と言ったら、テレ東の『追跡LIVE! Sports ウォッチャー(スポーツウォッチャー)』に至っては取り上げもせず(怒)(溜め息)通算成績は、試1503率.274 176本601点 安1181 でした。合掌です(涙)

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