倉田誠(巨人―ヤクルト)氏が、亡くなりました。倉田氏は1964年オフに巨人に入団。4年目の68年に6勝を挙げ、頭角を現す。1973年には18勝9敗、リーグ最高勝率.667を記録。V9最後の年に大きく貢献した翌年から抑え投手として起用され5勝6セーブを記録する。1977年にトレードでヤクルトに移籍。翌年には中継ぎ・抑えとして43試合に登板して5勝2敗4セーブを挙げ、チームのセ・リーグ初優勝に貢献した。80年限りで引退。あっ、そうか。知らん事はなかったっていうのは、高校時代に村田兆治のライバルの浅野啓司(サンケイ・アトムズ・ヤクルト―巨人)と入れ替わりで、印象にあったんやな(汗)通算成績は、試374 55勝37敗13S 防3.36 でした。お悔やみ申し上げます(涙)
さらにヤクルトで数々の名選手をスカウトで発掘し、助っ人外国人の獲得にも定評のあった片岡宏雄(中日―国鉄)氏も死去。1972年からスカウト。成功したとしても堂々と"それでも、プロのスカウトの目は、節穴である"と著書で言ってのけたのは、立派でしたな!!選手獲得の際は、"数値・数字よりも、観た時の感覚を大事にしていた"ようですよ!現役時代は捕手で通算成績は、試29率.167 0本0点 安2 でした。お悔やみ申し上げます・・・
P.S THE Wの感想は、いつ更新出来るか分かりませんが、しばらくお待ちを。