GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

つくづく考えさせてくれたかた

2020-03-30 20:44:08 | お笑い考

僕に初めて『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』で笑いというものを教えてくれた人、そこでどちらも実力者なんやけど、明らかに笑いを持って行ってたから、友人と志村 氏と加藤とどっちが面白いかで物議を醸した番組。本当に目立っててギャグも多かった志村氏を"面白い・良い方に挙げて良いのか、実は加藤の方が面白いんではないか?"とひねくれて迷ったけど、最終ジャッジはやはり志村氏になった少年時代。僕が出会って来た人々の中で"お笑い史上、最も面白い番組やった"と言ってはばからない人が多く"お笑い史上最大の怪物番組"のオレたちひょうきん族を終了に追い込んだ番組!「8ミリビデオカメラでの視聴者投稿コーナー」もありましたな、しかも持っていない家庭には、貸し出しもしてて(笑)のちの肝となる「木魚を叩き?ポン、ポン、ポン、だいじょうぶだぁ!ウエ、ウエ、ウエ~ッ!」のリズムネタや「だいじょうぶだぁ」だけを切り取ったギャグヒゲダンスをやってたのも、この番組!

・僕の中でザ・ドリフターズの番組は、あまり口にしたく理由にしたくないけど、"世代的に"『8時だョ!全員集合』ではなく『ドリフ大爆笑』でした。月に何度かあるのを楽しみにしてました、大掛かりなセットを使ったり「もしもシリーズ」やったり!

学校が始まる憂鬱さの月曜日をやや紛らわせ・緩和してくれた番組志村けんのだいじょうぶだぁ口調を真似した「僕らの合言葉は、ダッフンダ!それでは皆さんまた来週("またあとで"バージョンもあり)!バ~イ。」・「〇〇は、いいよなぁ。」・今でもこの定番キャラのネタだけは早送りせずに観る「変なおじさん」など・・・晩年はマンネリ化を感じ、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』・ダウンタウンのごっつええ感じに心を惹かれ、同番組からは離れて行ったあの日々・・・それでも『志村けんのだいじょうぶだぁⅡ』など信念を曲げずに、やり続けた彼!だいじょうぶだぁで「シリアスコント」をした意図は、"面白いコントは、いつでも出来る!逆に悲しい場面や設定のネタをすれば、新たな視点を得られるんではないか?"というのは、幼少期の僕には当然解らず、"何でいつもの面白いコントをせえへんの?こんな悲しい音楽をバックに悲しい設定のコントをするんやろう?"と思ったけど、"その悲哀も含めて現実全体を受け止めてこそ、笑い"って(伊東四朗も同じ様な事を言ってる、"悲劇も喜劇に含まれている"「この世の事は」と)事なんですな!!

・両親には止められんかったけども、僕らの家に親戚が遊びに来た時に親戚に観るのを止められた『志村けんのバカ殿様』最近では、だいじょうぶだぁに出て来るキャラも登場し、"時代設定が、現代と江戸時代がごっちゃになってる"と批判してしまった番組・・・

・精神的にも余裕も時間も無く、当時は正社員で仕事も多忙でVHS1台しかなかったので、当時は長野在住で関東ローカルやったけど、フジは映ってたけど、フジ深夜枠としての『志村流』→『志村塾』→『志村通』→だいじょうぶだぁⅡ→『志村屋です。』は、殆ど観れなかったですね(汗)→『志村軒』→『志村劇場』(この辺りぐらいから観るようになりましたね・・・)→『志村だヨ!』→『志村笑』→『志村座』→『志村の時間』→『志村の夜』→『志村でナイト』(現在)は、マメに観るようになりました、ただ京都放送がオンエアしなくなったんで、急遽志村でナイトをサンテレビで観るようになったんで、かなり遅れてオンエアしてた京都とのズレで、かなり観れなかった回がありましたね・・・

100点の笑い=会場・視聴者、全員が笑う笑いを目指した志村けん(未だに達した事は、無いと証言していた)!!"解る人だけ、解れば良い。それがレベルの高い笑いだ"とほぼ対極の"笑いの価値観(お笑い観)"の持ち主であった松本人志。どちらかというと、思考は後者寄りの僕。しかし互いを認め合い、尊敬し合ったご両人。

"ドラマ・映画には、出演しない。歌もめったに出さない!"という点に最大級の賛辞を送っていた松本人志。映画『鉄道員』に出たのは、高倉健さんの依頼だから、断る理由が無いし、たまたま。しかし今年はその信念を覆すのを解禁し、NHKの朝ドラ『エール』への出演を快諾、映画の主演も決まってたけど、後者は実現せぬまま・・・神様が"最期まで彼の肩書きをコメディアン・志村けんにこだわったのか!?"やとしたら、僕は神を恨む!

志村けんの笑いの哲学「動き8・言葉2」。幼い子が笑うのは、間違いなく変な動きだし、万人に共通するから。

"ベタな笑いほど、技術が要る(=難しい)"!!"観ている人が、展開やオチを分かっているから、間やタイミングが少しでもズレたら、全てが台無しになるから"!本人は100点を取った事はないと言ってますが、"ベタを極めた形"があなたでしたでしょう!!

「同じネタを何回もやる重要性」を説いた志村けん。その経緯は、"小さな頃コントや漫才を観てて「良いネタだと思うもの」は、ツッコミもボケもオチも、毎回一緒なのに、いつも同じ場所で笑ってしまうのは、何でなのかなあ?と思っていたら、やっぱり腕なんですよ!それが「芸」というものなんですよ、だから「マンネリ」というのは、私の中では、最大級の誉め言葉ですね"と!

・荒井注 氏が、ドリフに居た時は加藤が大ボケやった全員集合の時によく観ていたという太田(爆笑問題)は、一時『欽ちゃんのドンとやってみよう!』を観ていた為、久し振りにまたドリフを観てみたら、全員集合を全く観てなかった彼は荒井氏が脱退し、知らない人(志村)が加藤を押し退けて大ボケをやっていた事に大きなショックを受けたらしい。しかし観て行く内に"加藤茶から主役の座を奪っただけの事は、ある!素晴らしい才能の持ち主だ!"と魅了されるようになったという。

・最新のだいじょうぶだぁのネタとしては、定かやないけど前回のオープニングコントの肥後克広(ダチョウ倶楽部)が、「沢尻エリカか!?」・「東出昌大か!?」といったツッコミを入れたコントは、秀逸でしたね!!志村氏が"「時事ネタ」を入れたコントをするのは、レア"と思ったんで。2・3回前のだいじょうぶだぁの「病院」コントの"志村(じいさん):おら、3年も通院するの、疲れたよ・・・早く、ばあちゃんの居る天国に行きてえよ・・・"、"肥後(医者):おじいさん、おめでとうございます!もう病院に来なくて良い・通院しなくても良いんですよ。"、"志村:本当か?"、"肥後:入院です"というネタで、肥後がオチを言う前に僕は「通院は、終わりって事やろ」って思いましたし"入院オチは、読めましたが"・・・3年前ぐらいにあった「保育園」のネタは、友達がどんどん母親が迎えに来てくれる中、寂しい音楽がバックに流れ"志村氏が、寂しそうな表情で土いじりをしてたら、保育園の先生に早くうち(家)に入りなさい"と言われ、"うちの家、保育園だもんな"というオチは、意外性があり良かったですね!"緊張?と緩和の笑い"ですしね。

時に若手(2013年のTHE MANZAIほぼ=M-1優勝者のウーマンラッシュアワー)や後輩(岡村)を批判・苦言を呈した志村けん。

・ドリフの付き人から始まり、一時期漫才・コントコンビのマックボンボンを結成した時もあった、初代とのちに1人と2回コンビを組んだ時代もあった。

・とは言うものの、ドリフという視点では、"コミックバンドが、原点"という事も忘れていなかったと思いますよ(燃)!最近のCMでも、楽器を演奏してたし!

・「アイ~ン」の名付け親は、実はバッファロー吾郎A(木村明浩)[汗]志村氏は、無言で手の動きをしてただけで、バッファローAから知った岡村(ナイナイ)が、「志村さんて、この手の動きの時に何も言ってませんよね、アイ~ンって言ってみたら、どうですか?」と軽く助言したのが、キッカケ。

・志村氏に憧れて、わざわざ東京都東村山市に居を構えた日本エレキテル連合。

・途切れて発売されても、"いつでも新発売"やった「ケンちゃんラーメン」。

ウーマンを批判して以来若干嫌いになり、飲酒しながらネタを観てる姿勢からずっと呼び捨てにしてましたが、実はあなたを「レジェンド芸人」のプラスアルファ枠で入れてました、「ドリフ」ではなく"志村けん"として!お笑いビッグ3(たけし・タモリ・さんま)+拙ブログ閲覧にあたっての諸注意にも書いてあるダウンタウン・ウッチャンナンチャン・爆笑問題+笑福亭鶴瓶・志村けん・コント55号(萩本欽一)が、"レジェンド"だ!!!と

・本名、志村康徳。

 全てが、ええ思い出です!!!全てが、"志村けんを現わす笑い"でした!!僕を一番最初にお笑いに導いてくれた事や"笑いについて色々考えさせていただいた"かたに感謝しかありません!!志村さん、本当にありがとうございました!!!!合掌(大号泣)・・・

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