GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

そろそろ にちようチャップリンに加えて

2019-11-17 22:18:02 | お笑い考

お笑い統一王座GP2019 第10回予選大会 後半戦

しずる 57(同点によるじゃんけんにより勝ち抜け)

ランジャタイ 56

トータルテンボス 58(同点によるじゃんけんにより敗退)

↑までは、前半戦の挑戦者


ジグザグジギー 56

そいつどいつ 47

マヂカルラブリー 55

 ジグザグは、複雑で"客自身や店員が、どの色を指してるのかが、解らん"ていうのが、笑うポイントっていうのが、「ジグザグワールド」やな。欠点はもう一つハネる所が・・・そいつどいつは、"見せ方の妙(技術)で、ドカンと笑いを取る手法"やけど、完成度が、低い・・・マヂラブは、ネタの着眼点は良いけど、細かい詰めの部分の笑いが、弱いかな・・・

 あと平川幸男(Wヤング)師匠が、亡くなられました(号泣)!まさかまさかです!!"あれほど動ける78歳はおらへんかった"し、体調が悪いなんて微塵も感じさせへんかった!やはり体調や気持ちを悟られず、舞台裏や影ではゲボ吐きながら気丈に頑張ってるんですな(汗)歌も非常に上手で、自身の冠番組『平川幸男のちょっと聞いたぁ?(やったかな?)』でカラオケを長時間歌い続けるという耐久ギネス記録を持つ(現在も保持している)。初代Wヤングは、中田治雄(軍治)を相方に持ち、基本的にはツッコミを担当していました。ダジャレをフォーマットとしてたものの、腕は確かでたけしも"Wヤングには、敵わない"と舌を巻いていたほど、評価してたらしいですが、治雄(はるお)の借金苦で、熱海で自殺を遂げる・・・"数か月後に漫才ブームが起こる為、もし存命なら、その「筆頭株のコンビやったかも知れん存在」!!"と今でも惜しむ声が、聞かれます!なお平川師匠のギャグには、「ちょっと聞いたあ」・「えろう(えらい)すんまへん」等が、あります。その後数年間は、ピン芸人として活動しますが、暫定でよしもと新喜劇の佐藤武志とコンビを組んだが、会社役員からの評判も良く正式に相方として迎え入れ、"2代目Wヤング"を結成!舞台を所狭しと全力で動き回るアクロバティックで動きで笑いを取る漫才だけでなく、漫才の序盤では僕が好きなくだりの"それはやってた"・"いや、(もう)止めた"・"って事は、やってたって事やなぁ"・"止めてた"とかの引っ掛かりをいつまでも繰り返すのが、好きでした!それに"高齢であそこまで行き切った(振り切った)ら、評価せざるを得んやろう!"というぐらい振り切れてましたからね、「ベテランは喋くりで笑いを取るのが、基本」という持論が僕にはあるけど、Wヤング師匠は別格扱いでしてました(燃)!なお師匠は非常に苦労人で、弟子である平川ジロー(平川タロー・ジロー、結成後5年以上かな?ぐらいまでは、コンビ名を"オズ"と名乗っていた)さんも2004年に睡眠薬自殺で亡くしています(涙)当時、ジローさんは、ラジオ大阪で冠番組というかレギュラー番組を持ってたのに・・・それでも将来や収入に不安を感じ、そう至ったそうです。そのかたは、非常に真面目やったそうです。僕もNGKで1994年9月・1995年1月にオズを観た事がありますが、2回共同じネタでしたけど、弟子育ちコンビだけあって非常に上手で面白い漫才でしたね(←当時は、そんな漫才全体の構成や息や間も全く解ってなく、台詞を断片的に捉えてただけなんで、偉そうな事言えませんが・爆)。そのあと1998年頃の満開!ハッスル家族にも平川タロー・ジローとして出演してましたし、全く売れてない存在でもなかったと思ってましたが、僕は彼が自殺したのを知ったのは、亡くなった3年後でしたが・・・だから平川師匠は、身近な人2人も自殺で亡くしているんです!"僕はWヤング師匠を1回は、生で観る!"という夢は叶わずに、師匠コンビの片割れが、逝ってしまいましたんやな(涙)生で観ることが出来ずに終わってしまったのは、ベイブルースさんに続いてで、無念の結果になってしまいました・・・平川師匠、夢を見させていただいて、ほんまにありがとうございました!!天国で軍ちゃん(中田治雄)と好きなだけ漫才し、歌も歌いまくってください!!!!

コメント
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