GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

後援会(タニマチ)もほどほどにせにゃあ・・・

2014-09-29 22:04:00 | 野球

 今でもはびこってるんか、知りませんが(汗)拙ブログにも以前登場しましたが、かつて高校野球の甲子園大会のヒーローであった"ドカベン"こと香川伸行氏が、亡くなられました・・・香川氏は高校進学の際に奈良県の天理高校と迷いなさったようですが(汗)香川氏は捕手として浪商高時代、のちにプロでも活躍する牛島和彦(<現役時代>中日―ロッテ<監督>横浜)との「名バッテリーで」名を馳せました!自身は、1979年センバツで準優勝に大きく貢献。夏の大会では3試合連続本塁打を放ちました!!鳴り物入りで地元・大阪の南海にドラフト2位指名で1979年オフに入団(大笑)早期から活躍するも、プロ入り後は「後援会による数々の呑みの誘い」があり、"人の良い香川氏は断り切れずに"その殆どの誘いを受けてた模様でした(困)それらの事から、元々体型がご立派であった身体にさらに拍車が掛かり、"体重が大幅増加"しました(涙)最高時は、150kgまで行った模様・・・もちろん出場機会も段々と減少し、運動量は落ちますから、ダイエットも体調管理も大変になり、悪循環に陥って行きました(落ち込み)遡ると控え捕手からスタートし、1983年にはレギュラー捕手となり、84・86年は、正捕手であった!他の年は控え捕手や"打撃を活かす為に「サード」で起用される事もあった"のは、高校時代のチームメイトの牛島氏曰く「ああ見えて、足も速かったから」という経緯もありました!しかし南海最終年の1988年に成績が急降下し、ダイエー初年度のオフには、引退に追い込まれました(困)"自己管理さえしてたらもっと大きく伸びてたであろう才能"は、牛島氏も「体調管理にもっと気を付けてたら、凄くとんでもない選手になってたと思う、何をやらしても上手かった・器用やったし、足も速かったんやから」という様な選手やったんでしょうなぁ(炎)他にエピソードとしては、試合中に「球場でタコ焼きを何舟食っとった」とかプロ入り初打席で初ホームランの際の試合後のインタビューで記者に「打った球は、どんな球でしたか?」と訊かれ、「こんな小さいまーるい球や」と答えたとか(←球種を聞いてるのに)(ウインク)この発言自体が、微細な事に捉らわれず(気付かず)感性で野球が出来る"「天才」の発言"ですな!かっとばせ!キヨハラくんや当時のパ・リーグの野球のネタ要因であった部分も在ったのは、"体型とキャラクターによるもの"でもありましたが。
 以前コンピューターシティさんの返信にも書きましたが、僕は当時のダイエーの選手のサインがたくさん入ったボールを持ってましたけど、用水路に落とし帰らぬ物になった中には、香川氏のサインも入ってましたし、彼のサインが当時"唯一誰のサインかが、判るサイン"でした・・・だって香川伸行の横に"ドカベン"って書いてあったんやもん!!香川さん、あの時はボールを失くして、本当にごめんなさい!親父にサインをしていただき、父親に代わってありがとうございました!!通算成績は、試714 率.255 78本270点 安460 でした・・・合掌です(涙)

コメント
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