フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

ミシンが突然動かなくなり途方に暮れ、ぼんやり昔々の事を思い出していました。

2020-04-22 20:52:09 | 想い出

暖かい日 という事でしたが、陽ざしが無くなんとなく寒かったです。午前中はいつも通り台所仕事をしたり片付け仕事をしていました。10時半ころになって、長兼昼食を食べる支度をしてやっと一休憩。

昨夜作って食べたみそ仕立てのシチューと、何時もの常備菜と生野菜で食事に。藤棚に下がっている花房が、風でゆらゆら揺れているのを眺めながらラジオを聞きながら食事をするのが常。

あるじが”流行らない食堂みたい”と言っていたわたしの実家の食事は、一番初めに住み込みの若い男性たちが食事をして、その次に私たち子供たちが食事をします。最後に両親と祖母の”大人”の朝食になりました。

 

昼食は、子供たちは学校に行きますので住み込みの男性たちで、その次に大人と家に残っている子供が居れば一緒に食べました。ただ、日曜日でも住み込みの人たちの食事が有りましたから、食事タイム常に3部制でした。

当然夕食もです。特に父は毎日晩酌をしていましたから、大人の食事時間は長かったです。

そんな家でしたから、あるじが亡くなるまで一人で食事をしたことは無かったのです。玄関のドアも深夜以外はカギを掛けることはなかったはずです。

 

日曜のお昼は、弟たちのお友達が遊びに来ていましたので、”ご飯ですよ”と声を掛ければ、彼らが真っ先に食堂に来て席に着くのですから、ビックリ。

父は時々、”今日もいるのか?迷い犬みたいだな”とからかったりしましたが、当人たちは全く気にせず楽しそうに食べていました。そんな家でした。

 

わたしが学生の頃、母に”弟と妹の勉強を見て欲しい”と言われ、月水金は弟と弟の友人3人、火木土は妹とその友人3人の勉強を見ることになりましたから。毎晩7時から9時までは、お姉さん先生でした。

夏休みは日中、お勉強タイムにしたのですが、部活の後の時など”お腹が空いて勉教出来ない”などと言う子が居ました。そんな時は、御櫃にいつもご飯が多少残っていましたから、お握りを作りました。
お腹が空いた一人分では無く当然4人分でです。

懐かしい良い想い出になっています。妹の友人たちは、今でも訪ねてきてくださり、わたしを”先生”と呼びますので照れます。

 

午後から、ミシンを踏んでいたのですが、突然動かなくなってしまい、ミシン屋さんも”コロナ”の影響でいつ来てくださるか不明とか。ちょっと残念!それで気落ちしてしまい、外を眺めながらぼんやり昔々の事を懐かしんでいました・・・。

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